[MySelf]


12月1日

<旬のお話>

そういえばここ1年、ほとんどゲーム・マシンに火を入れていないことに気づいた。
実際、たまにやるゲームといえばせいぜいがカルノフぐらいのもの(自らを省みる為)、
社会人になってゲームというものから離れた生活を送るようになってからもう随分たった。

が、今はこんな体たらくでも、かつての学生時代は「睡眠以外を全てゲームに捧げる男」と
して随分と名を馳せたものだった。そんな度を越えたゲーム狂だった僕にとって忘れえぬ…
いや、そんな言葉では軽すぎる、むしろそれを手にいれるために生まれてきた、といっても
言いすぎではない程のインパクトを僕に与えてくれたゲームが、ドラゴンクエストだった。
僕のこの半生はドラクエとの歩み、そしてドラクエとともにあった、と言っても決して過言
ではないだろう。

そんな自らの学生時代を一変させたゲームとのファーストコンタクトは確か1986年だった。
が、当時、PC88ワールドに全開でのめりこみ、ブラックオニキスやウィザードリィといった
洋物系本場モンのRPGを既に体験済みだった僕にとって「家庭用ゲーム機初のRPG」という
DQ1の歌い文句はあんまり魅力的に聞こえず、クラスメイト達が「太陽の石が…」「メルキド
の下の毒の沼地に…」などと熱く語っているのを冷ややかな目で見つめているだけだった。
 そんなある日、僕と同じくディープなパソ・マニアだった友達がDQに転んでしまったことから
状況は一気に変わりはじめる。その友達に「絶対面白いからやってみ?」と半ばむりやり気味に
押しつけられ、義理的意味あいもあってなんとなくやり始めたのが最初のきっかけ。
だけどそうして転がりはじめた小さな小さな石ころは瞬く間に巨大な岩石となって僕をあっと
いう間にノック・アウトした。コミカルでファンタジックな敵キャラと、どことなくほのぼのと
した、だけどそこはかとなくもの悲しさを感じさせる世界観、そんな正と負の要素が絶妙に調和
しあった中で感じたその楽しさと言ったら…! そして僕の頭の中はDQ一色となった。

 


それから半年後、冬期補習授業をバックれて神田から日本橋を通って上野までひたすら「それ」を
探して歩き続けたあの冬、そうしてようやく手にいれたDQ2、サマルトリア王子の使えなさっぷり
に辟易しつつ、水門の鍵を求めてあてもなく大海原を彷徨い、地獄の落とし穴ダンジョンを抜けて
やっとの思いで辿り着いたあの雪の高地ロンダルキア。 あれから17年余りが経過した今でも尚、
まだ鮮明にあの画面の白さが思いだせる。当時ファミコン通信(当時名称)で連載されていた桜玉吉の
「しあわせのかたち」とのコラボも手伝って、僕の中のDQ熱は更に高まっていった。

 


それから1年後、いよいよ本命が登場する。口コミでの評判やゲーム雑誌の押しで徐々に広がって
いったDQ人気はここにきて一気に爆発し、世間一般にその過熱っぷりをはじめて晒けだすことになる。
特に池袋ビッグカメラ前の行列やそれに絡む強奪事件などは、ニュースや新聞で取り上げられる程の
社会現象にまで発展し、まさにタイトル通りの「そして伝説へ」的ムーブメントを存分に巻き起こした。
発売当日の深夜3時、アキバ萬世橋の上にてゲームボーイ版桃太郎電鉄をやりつつ、そのムーブメントを
他の阿呆共と少しでも共有できたことは、今となっちゃすっかりいい思いでだ。

 


押しも押されぬゲーム市場最大のビッグタイトルとなったその2年後に満を持して出されたDQ4に
おいては、一見平和そうに見える世界をじわじわ侵蝕していく闇の描写と、各地に散らばった勇士達が
旅を経て徐々に集結していくベタ的演出の秀逸さが、あまりにも前作が素晴らしかった故に心配された
反動の杞憂を軽々と吹き飛ばしてくれた。や、確かにAIシステムはアホすぎたけれど、ここまで
完成されたストーリーと世界観の前においてはそんな欠点などもはや御愛嬌レベルに過ぎないだろう。
エンディングにおける主人公の村の復興シーンを見たときは、思わず目頭を熱くしたものだ。

 


ファミコンを卒業し、SFCへとハードをグレードアップさせたDQ5の印象は、なんといっても
主人公の結婚イベントに尽きるだろう。ビアンカかフローラか、元気一杯の幼馴じみかそれとも清楚な
お嬢様か的このチョイスは、僕の腐れた妄想を過度にかきたてた上、なお床の上に転がしめ、それだけの
ジレンマを与えて、まだ選択への苦悩を強いるほどであった。その当時、結婚どころかまだ彼女という
存在を手にしたことがなかった僕にとって、こんなにも心揺さぶられるイベントは過去どのゲームにも
存在し得なかった。あえて今DQ5を総括するとするならば、僕のような虫ごときにおいては生涯持ち
得ないかも知れない家族愛といったものを我々クソオタ共に擬似体験させてくれた稀に見る博愛ゲーと
言えるだろう。

 


あまりにも支持を受け過ぎた故の宿命だろうか。以後、DQの発売サイクルは極端なロングタームへと
シフトすることになる。その間隙をぬって着実にユーザー数を伸ばしていった「プレイするムービー」
ことFFシリーズの台頭は、世のゲーオタ共の頭の中から着実にDQの存在を取り去っていった。
加えて秀麗なグラフィックを売りとする次世代ハードへの世代交代が重なったこともあり、以降RPGは
「想像力の時代」から「ゲームさせられる時代」へと確実に変化を遂げていった。そんなゲーム高度
成長期のまっただ中にひょっこりと姿を現わしたDQ6は、存分に練られた戦闘システムと、素朴かつ
ちょっと切なげなストーリーでもって、忘れかけていた何かを僕に再び取り戻させてくれた。

 


それから更に5年、今頃になって?という程トゥーレイトなタイミングでもって、ようやく第3世代
マシンのPSにデビューを飾ったDQ7は、「とにかくクソ長過ぎる」「冗長すぎて中味がスカラ」
などの悪評を一部からは賜ったものの、石版探し・移民の街・モンスターパーク開拓等の素晴らしい
アイデアにより、黎明期のゲーム、特にゼルダが色濃く持っていた「発見の喜び」という要素をなによりも強く、
そして深く味あわせてくれた。

 


それぞれの時代、そのときの状況、その中での生活…
どんな場面においてもドラクエは常に僕を魅了し続けてくれた。
故に再度繰り返そう。僕のこの半生は、ドラクエとの歩みだった。
そして僕のこの半生は、確かに、ドラクエとともあった。

今、僕の目の前にドラゴンクエスト8がある。
数々の思いでを脳裏に回帰させつつ、今、僕は目の前のDQ8をじっと見つめる。
前に会ってからもう5年もたったンだね。今回も一つ、またよろしくお願いします…

そう口の中で呟いた後、僕は慎重に、かつ丁寧に、そのディスクをパッケージから取り出した。
さあ、いよいよだ。
一息はいた後、厳かに、ほぼ1年ぶりとなるであろうPS2の電源に火を入れる。
そしてそのフロントテーブルにディスクを載せれば、ホラ、あのテーマが… この5年、待ちに
待ちわびたあの勇壮なファンファーレが…!





…ってあれ? 

フロントテーブルが出てこない? そもそもPS2自体が起動していない?

さ再度コンセント・チェック! ケーブル・チェック! 左右確認よし! しかるのちスイッチオン!!

… 

 … 

  … 

   …

はい!というわけでファンファーレは脳内補完することにしたよ!
そーれ、ちゃーん ちゃーん ちゃーん ちゃーん ちゃーちゃーん♪
ぱーぱぱーぱ♪ぱぱぱぱーぱー♪ぱーん!ぱーん!ぱーん!ぱーん!バーン!バーン!バーン!
もうバーンってやっちゃう!バーンってやっちゃう! なんでいつも!どうしていつも!!
.


12月2日

<個室ビデオごときじゃ、もうイタくねえ体になっちまった>

正直ね、今年はサクっと流そうと思ってた。だって生きてんだもの、生きてるってことは確実に
死に近づいていくってことだもの、そら年くうぐらい当たり前だろ? ってな至極当たり前かつ
当然のお話をね、あたかも鬼の首でもとったかのごとく、毎年毎年わーい、たいへん、たいへん!
ってバッカじゃねえの?バッカじゃねえの? そんな罵倒を自分自身に向けつつ、何気に過去の
マイバースディ日記などを読み返しておりましたらですね。いつのまにか僕の顔がすっかりワイアルドと
化しておりました。故にそのまま「エンジョイ&エキサイティングー」と叫びつつ街中に飛び出して、
道いく人々を携帯のカド辺りで片っ端からこうバッタバッタとなぎ倒したい…!
そんな気分で一杯になってしまった今日という日を現在進行形で心の底から呪っている虫のサカイです、
皆さんこんにちわ、1年365日の中でもっとも訪れてほしくない日ナンバーワンが今年もまたやって
きちゃいましたー

というわけで、今日という日はヘコヘコヤンに食べさせて完全消滅させることにしましたヘコー
あ、説明が申しおくれましたがヘコヘコヤンというのは、小学校3年生当時、ウルトラマンA
シリーズに感化されまくっていた僕がマイ脳内で生み出した怪獣です。姿形はまあH×Hの念獣を
シンプルにしたような、芋虫みたいなイキモノだと思ってください。
授業中、教科書の端にその姿をシコシコ書いてたのを当時の担任に見つかったのが運の尽き、
その行為を怒られるならまだしも、気が違ったセキセイインコばりにクツクツ痙攣笑いされた末、
全クラスメイトの前でその怪獣の名称を強制的に連呼させられるという、小学校低学年の児童が
味わうにしては度を越えすぎた屈辱を心の底から楽しんで以来、ヘコヘコヤンとこの思いでは
それから20年以上たった今でもなお、永遠に消えぬ心の傷として、鮮明に記憶しております。

ほどなくして、学校での僕のあだ名はヘコヘコヤンとなりました。
それにしても、子供というのは、まことにもって残酷なものでございますなあ。

「ヘコヘコヤンおはよう!」
「よお、ヘコヘコヤン、元気?」
「ヘコヘコヤン!ヘコヘコヤン!」

以後、学年が変わるまでの半年に渡ってからかわれ続けた僕の精神は、虚構の筈であった
ヘコヘコヤンという存在を、心の奥底という瘴気渦巻く洞窟内において、遂に実体化させて
しまったというわけでありまして。

それからというもの、僕の中で何かイヤなことがある度に、ヘコヘコヤンが大活躍。
ヘコーヘコーって雄たけびあげながら、僕にとって都合のわるいもの全てを食べてくれるように
なりました。

給食の中にブロッコリーがまざってたらヘコヘコヤンがヘコー!心の中でバクー!
(そのままトイレに流しました)
テストの結果が悪かったらヘコヘコヤンがヘコー!心の中でバクー!
(すかさず空き地に埋めました)
センセイに叱られたらヘコヘコヤンがヘコー!心の中でバクー!
(そいつの革靴に僕のお小水をなみなみと注ぎこみました)

つらいこと苦しいこと悲しいこと、全てヘコヘコヤンが食べてくれました。
いままでも、そしてこれからも。ありがとうヘコヘコヤン、今後もよろしくヘコヘコヤン。

「ヘコー!ヘコー!」

それから幾年もの年月が流れました。
ヘコヘコヤンに頼らなくても大丈夫になってから、もう十何年の月日が過ぎ去りました。
だけど今でも、つらいことや悲しいことがあると、たまに彼のことを思い出すのです、
ヘコヘコヤンの、あの雄姿を…




ていうか、この前雑誌読んでたら、そこにヘコヘコヤンがいて、本当にびっくりしたよ。




うわー超久々、ヘコヘコヤン。まさか、こんな姿に進化しちまってたとは。

というわけで、ヘコヘコヤンとの久々の再会を祝して、今日はとことんヘコることにした。
床に転がってたコンビニの袋を、頭からすっぽり被ってヘコーヘコー!
心ゆくまでヘコーヘコー! 思う存分ヘコーヘコー!




うわー楽しいー すげー楽しいー 
ちょっと油断すると、即座に意識をもっていかれそうになっちゃうところがまた楽しいー
楽しいどころか、「楽」になっちゃう!「楽」になっちゃう!(人生から)

ま、唯一の問題点があるとするならば、ガチでやったらもれなく死亡してしまうことですが、
ヘコヘコヤンを体感する為には、まあ、致し方のない代償といったところですよね。
皆さんも秋の夜長にヘコヘコヤンを味わってみませんか?ほら僕と一緒にヘコーヘコー!
さあ、皆で一緒に、「楽」になっちゃえ!「楽」になっちゃえ! 今日はそんな僕の誕生日ー!


12月7日

<ドラクエ8ニッキ>

1日目
 ただでさえ壊れかけていたPS2に、先日、あろうことか自らの手でトドメを差して
 しまい、頭を抱えまくる日々。
 しかたないのでパッケージを延々と眺めて、先延ばしになってしまった旅へと思いを馳せる。
 それにしても挿し絵の馬が気になって仕方がない。なんだこのエロエロしさ。


2日目
 馬が気になって眠れない。


3日目
 遂に馬の正体が判明。
 齢17〜8才の清楚なお姫様が呪われた姿だと知り、とんでもなくエクスタる。
 畜生となり果てた定めにより、ただただ全裸を無防備に晒すしかないというその屈辱っぷりを
 一刻もはやく拝みたくて仕方がない。はやく、はやく、馬姫様に会いたいよう。


4日目
 PS2を手に入れて初プレイ。生の馬姫様をはじめて見て狂喜する。
 うまーうまー!と叫びつつ、村の中を駈けずり回っていたら、あっという間に
 気持ち悪くなってトイレで軽々と吐いた。
 酒を飲みながらのグルグル3Dは確実に体によくない。


5日目
 うまー!うまー! そして再び吐く。
 まるで反省が生かされていない。
 それでも僕は会いに行く。今日も君に会いに行く、ウマー!ウマー! 


6日目
 マイミクにて同好の志(センセイ)を発見。

 呪いで馬にされた姫が出てくるのだけれど、これってメチャクチャエロいっすね。
 だって高貴な生まれのうら若き姫が色んなとこ丸出しで外歩いてるんですよ?(馬だけど)
 は、排泄とかはどうしてるんじゃろかー。一々馬車から外して、みんなの見てないところで
 するの?してるの? し終わった後はどうしてるの? お父さんが拭いてるの? それはそれでやべー

 むしろお前がヤバすぎるよ。そういった感情とはまた別のところで凄まじく共感を覚える。
 ついでに限りなく殺意を覚える。あの馬はオラのもんだ。誰にもわたさねえぞ!!


7日目
 【馬よ!】呪われし姫【いきりたつぞ!】
 というスレを求めて2chを一晩中を彷徨った挙句、会社に遅刻する。


8日目
 そして今現在、遂に末期症状に至る。 もう誰にも止められない。


12月21日

<更新メモ>

 → 


こりゃ反則すぎるわ。電車の中で久々に声だして笑っちゃいました。


12月24日

<涯的岩窟論>

ここ最近のはてな全盛・ブログ繁栄の流れにおいて、かつてのインターネットブームをも軽々
と凌駕する勢いでギョーカイ系テイストというかプレジデント系スメルというかベンチャー系
フレーヴァーというか、つまりは今までのオタ臭・ひきこもり臭、もしくはナードならぬラード臭
などの腐敗臭で満たされきった我らがビバ・アウシュビッツ・ワールドとまったく異なるカルチャー
ウェーブが、ここ1年の間に急速に広がったような気がする今日この頃なのである。

ここまで前振っておいたところで各コミュニティにおける文化の違いを背景にグダグダと自分の
思うところ好き勝手に書きなぐってウェブにおける時流のオピニオンリーダーを気取ったつもりが
実はピ抜きのオニオン君、つまりはたまねぎ戦士以下(むけてません)だったという、まったく笑えない
オチつけてそのまま退場でもすれば良かったのであろうが、僕が今、主張したいのはそういうこと
ではなく、つまりそれ以前の前提、基本的姿勢に関して、今ここにあらためて問うてみたいと思った
次第なのである。

つまりは昨今より流行しているGUI統合環境によるブログ 及び ホームページと呼ばれる旧態然とした
タグ直打ち系サイトなどが発信する情報なりテキストが面白かろうがつまらなかろうが成長しようが
衰退しようが対立しようが共存しようが我ら一般ユーザーにとってそんなことはほとんどまったく完全に…!
と言ってもいいぐらいどうでもよすぎる事項に過ぎないことは明白であり、ハートマン軍曹的に表現
するならば「全て平等に価値がない」のであり、その出来のよしあしを抜きにして一緒くたにくくって
しまえば、単なる自意識の垂れ流しに過ぎないメタ情報群が自らのニッチに対する意義を主張するなど
思いあがりもはなただしいと。まあ、そんなことを述べたくないわけでもなくなくないが、それ以前に、
もっと主張したいことが一つ、確実に存在するのである。

なあ。いつからトップページは省略されるようになってしまったのだ?

つまりだ、お前らトップページをなんと心得ておる? とまあ、今日の趣旨はそういうわけである。
実際、ここかつての巡回先を見るかぎり、昔はトップページを設置していた筈が、今や周囲の流行に
押し流されてトップにそのまま文章を置くサイトが随分と増えたような気がしてならない。
ま、確かに。トップは書き手が読み手側に一番アピールしたいポイントであると同時に現時点の最新
情報で埋められてしかるべき代物であるというその意味を考えれば、その情報にできるだけ簡単に、
かつ素早く辿り着けるようにする為の配慮をマスターが図るのは当然と言えば当然の選択と言える。
そのサイトが新聞としての特色、つまり提供している情報内容そのものに強く重みを置くなら尚更、だ。

が、現在主流となっているあの新聞の見出しのような合理性を完璧に極め尽くした定型フォーマットから、
時に非常な無機質感を受けてしまう僕のような人間にとってその配慮はそれほど意味を持たない。
本に表紙があるように、小説に挿し絵があるように、一目見ただけでその個が持つイメージというものを
喚起させるアイコンとしての意義を僕は強くトップに求めたいのである。
ブログやホームページを構成している一番重要な要素が「個人のパーソナリティ」にあると強く信じて
やまない僕のような人間にとってのその意義とは、その名の通りHO・ME・PA・GE、つまりあの
ダサくてムサくてオタオタしい「ほめぱげ」にこそあり、それは何の意味も持たないヴォイド型であり、
無駄極まりない代物でありかつ合理性と対極にあるものでなくてはならない。
「大好き、だけど大嫌い!」さあ、今こそ、もう一度トップページの意味を考えようではないか。
はてな・ブログ全盛の今だからこそむしろ積極的にトップページを設置しようではないか。
さあ、壁紙に重さ満点の星空JPEG画像を配し、バックにウザさ満点のお気に入りMIDIを垂れ
流そうではないか。大体あれだ、表紙がない本があるか!名前のない駅があるか!溝のないCDがあるか!
蓋のないペットボトルがあるか!なに?ユーザビリティ?アクセスビリティだと? 黙れゼロどもっ!
もともと何も持ってない我々レベルの愚民が安い自意識を満足させるために撒き散らしてるくだらねえ
情報に蓋しないなんざ愚の骨頂!トイレのドアしめないで糞たれてるようなもんだ!せめてドアは閉じろ!
そのためにこそトップは存在する!その中で1人、孤立せよ!そして個別に生きようっ個別に死のうっ…!

…いや、いやね、別にね、なにも僕は今日もらった「メリークリスマス!ところでトップがウザいんだけど」
とか「字が小さくて見にくいです、むしろ醜いです」とかいったフォーム群にムカついてこんなこと書いてる
わけじゃないんだよ、うん、そして普段好むフォントの大小はその人間の器の大きさに比例するもんなんだよ、
ここ覚えとこうね☆ …ってか大きけりゃいーいーのーかー!
ホラこれでどうだ、これか!.
これがいいのんか!これかー!.
(いグー! というかこんなことやってる自分にびっくりする。自分にびっくりする…という感覚…!





7年前、こそっと見つけた唯一の安住地であるネットの中でさえ、最近生きにくくなってきた。
オタのひがみ全開で言うならネットは今も昔もコジャれてないし、断じてオシャレなんかではない。
だっていかにブログがトレンド全開だろうが、いくらそれっぽい題材取り上げてようが、それ書いてる
本人の格好そのものがモニターの前で背中丸めてみみっちくキーボード叩いている不様極まりない
ネクラオタまんまの姿であり、それは決して取り繕いようがないからだ。

ま、確かに今は時流がわるい、ネットに対する利便性が上がりすぎた。
それを単なるツールとして上手に使いこなす賢い奴等が大量に流れこみ、この腐海に一大近未来都市を
築きあげようとしている。

だが、安心したまえ、クソオタ共よ。我と同じ属性を持つ屑共よ。
確かに奴等はうまくやる。時流に乗るセンスに長けているし、そのうえ相当頭がいい。

が、奴らは絶望的に飽きっぽい。多くを許容できるが故に飽きっぽい。持てるが故うつり気なのだ。
つまりこのブームは今だけだ、再びネットが暗黒に閉ざされる日もそう遠くはないであろう。
そのときこそ、みせつけてやろうではないか。我々オタの執念をもこえた怨念とも言うべき執着を…!
燃やし尽してやろうではないか、奴等の残した残骸を。塗りつぶしてやろうではないか、萌え一色に!

だが、今はその時期ではない、黙って力を蓄えておくのだ。
今はただ待とう、必ずや訪れるその日を願って… 


待て!しかして希望せよ!!


12月27日

<You Won,t See Me Coming>

エロ!エロ!エロイーズ!と連呼しつつシロガネーゼのコマダムどもにいきりたった牡馬を
けしかけたい、おーカミング、カミング。そんな夢を胸一杯に膨らませつつ、世の中全ての
つがいに呪詛を吐いてたらいつのまにか僕の25日は終わってました、遅ればせながらメリー!
そんな僕のイブはと言えば、品川に新しく出来た品達とかいうラーメン博物館もどきに野郎3人で
行って勢いだけでラーメン2杯かっこんだあと、駅構内の喫茶店にてボジョレーのボトルをオーダー
して通勤帰りのリーマンやOLが優雅にお茶を嗜んでるその横で屑らしくラッパ飲み、そのエンダー
っぷりをあますことなく見せつけたその後、そのまま雀荘へ特攻して牌と朝まで語りあってましたー
このイーピンはマンコー!そしてこの100点棒がチンコー!そーれ両者を合体グリグリグリー!
そんな狂態のフィナーレは、自らのサイトで宿主募集・ヒモになるべくして上京してきたナイスガイの
「食糞までは覚悟してきました!」というありがたいお言葉で飾られることにより無事終了と相成り
ました。それにしても食糞かー、恋ってつらいな、愛って厳しいな。

あ、そだ、大事なこと忘れてた。もちろんケーキも食べたよ、雀卓の上で。コンビニ直送300円の
すごい奴、なんだかとっても甘かった。そのとろけるような甘さに包まれつつこのまま永眠しちゃいたい、
甘き眠りよ訪れろ、せめて夢の中でぐらい、おーカミング、カミング。


#目覚めたのは次の日の午後4時でした。12時間ねた、あたまいたいー


12月29日

<ドラクエ日記>



ぼ…僕だ…!




僕がいる…!


#ゲーム枠において、今日、エロゲー以外のジャンルではじめてヌキました。
 ね、ねえ、童貞捨てた気分ってこういうの?(ちげーよ)


12月31日

<今年もいよいよ最後ですね>

僕主催でインターネットの愉快な仲間達と忘年会をやったのですよ。

だけど愉快な仲間達は、参加表明とか予約とかそういった「枠」がちょう苦手。
その辺を配慮して、ミクシにて「暇な奴、適当に飲みにこい」とだけ書いて、
募集かけてみました。

さて当日、忘年会ラッシュを考慮して単身先行でお店に乗り込んだ僕、
ま 10名以上は来るだろってことで、まずは15名で席をキープしてみたわけですが。


<1時間後>



たった1人来てくれたお友達と互いに顔を見合わせてポカーン。
お通しが干涸びる干涸びる。


誰もいない右を見やりつつ、そのお友達が一言ポツリと呟きました。



「右! 弾幕薄いぞ、なにやってんの!



#きっかり30分後、お店の人に「頼むから席を移ってくれ」と懇願されたといいます。
 今年も最後の最後までNOーFUTUREづくめな一年でございました。


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