川村渇真の「知性の泉」

書記や記録係を新人に担当させるのはダメ


新人に書記や記録係をやらせると、会議の効率が低下する

 会議の席では、新人に書記や記録係をやらせる光景をよく見る。いろいろな組織で当たり前のように行われているが、ハッキリ言って、これはダメな行為である。理由は簡単で、会議の効率を低下させるからだ。
 たいていの会議では、前面にホワイトボードなどを置き、それに検討内容を書きながら進める。項目を列挙して整理したり、項目間の関連を明らかにするなど、全員が見れるボードに書くことで、検討をきちんと行える。ボードに書いて確認することは、非常に役立つし、必要な作業である。
 問題なのは、書く役目を新人にやらせることだ。新人の多くは、議論対象の内容に関して深く知らない。会議では話すのが中心なので、知らない言葉が声だけで登場すると、それを漢字で書けずにとまどう。また、学校を卒業したばかりだと、日本語の表現力が低いため、発言した内容を適切に要約できない。おまけに、会議で何を書き残すべきかを知らない。こんな新人がホワイトボードに書く役目を担当すると、何も書けないで固まってしまう。
 そうなると、よく知っている人が手助けする。内容が分からなければ、内容の説明を始める。要約を上手に表現できなければ、適切な表現を教えてくれる。一人ではなく何人かが手助けするので、いろいろな意見が出てまとまらない状況も起こる。
 この状態を外部から客観的に見ると、非常に面白い。本来の議論内容から話題が離れて、議論を記録することに移っている。つまり、本来の議論ではない話題を扱っていて、議論が停止している状態だ。その分だけ議論が遅れるし、本来の話題への集中力も低下する。議論の質としては、どう考えても良くない状態である。こんなやり方では、1時間で終わる会議も、1時間半や2時間に延びてしまう。
 もう1つ弊害がある。ホワイトボードに書かれた内容の質も、あまり良くない点だ。新人が書く内容に関して、細かな点まで何度も指摘するのは面倒なので、細部の悪い表現はそのまま通してしまう。また、ホワイトボードなら悪い箇所を指摘できるが、議事録用の記録している内容だと、後から見て不明な個所が見付かったりする。結果として、分かりにくい箇所を含んだ記録が残りやすい。書いた内容の質が悪ければ、詳しい人が後で直すだろう。それも無駄な作業で、本来ならやらなくてもよいものだ。

最良なのは、一番分かっている人が前に出て書くこと

 書記や記録係を新人が担当するのは適当でないと分かった。だとしたら、誰が担当するれば最適であろうか。それは、話題として取り上げている内容を一番詳しく知っている人である。
 会議では話しながら議論を進めるが、話すだけでは全体像が把握しにくい内容も多い。そんなときは、分かっている人が前に出て、ホワイトボードに構造や構成を書きながら説明すると、他の人が理解しやすい。理解が早まれば、その分だけ議論も早く進む。
 内容を深く理解している人なら、書記としてホワイトボードに記録する場合も、上手に整理して書ける。書く項目に漏れがないだけでなく、適切な言葉も選べるし、重要度の高い順に並べて書いたりもできる。書く際に迷わないので、無駄な時間も生じない。
 もう1つ見逃せないのは、自分で説明しながら書ける点だ。その人が書記をしない場合でも、一番詳しいため、会議の中で話して説明するだろう。そのとき、説明し終わった後で誰かが書くか、説明の区切りで止めてもらって書かなければならず、待ち時間が生じる。逆に、説明する本人が書くと、話しながら書けるため、無駄な待ち時間は最小限に押さえられる。
 加えて、説明が分かりやすくなる点も見逃せない。書きながら説明すると、それまで書いた項目を参照しながら説明できる。「これとこれの関係は…」とか、「ここからここまでが1つのグループで…」などと、項目を指差しながら話せる。ただ話すだけより、説明の分かりやすさが向上する。
 通常の会議では、細かな話題ごとに詳しい人が異なる。そのため、前に出て書く人は、何度も入れ替わる。入れ替わりの回数があまり多いと大変なので、普段は議長役の人が自分で書くべきだ。そして、発言量が多かったり、長い説明が必要なときだけ、発言者に前に出て書いてもらう。この方式ならば、入れ替え回数もあまり増えずに、効率的な議論が可能となる。
 以上のように、説明する本人が書く方法は、新人が書く方法と比べて、良いことばかり目に付く。実際に試すと、会議がスムーズに進んで、非常に効率的だ。無駄な話題に移行しないため、本来の議題に集中できて、議論の質が向上する利点もある。

新人教育の一環として、一度ぐらいは経験させてみる

 新人に書記をやらせるのは、本人の勉強のためだと言う人がいるだろう。確かに、書記を経験させることは、会議だけでなく様々な能力を高めるために役立つ可能性がある。しかし、どうやれば上手にできるのかすら教えもせずに、何度も繰り返して経験させるだけだと、きちんとした能力は身に付かない。
 そもそも、議論の効率や質を低下させてまで、新人を教育する意味があるのだろうか。これこそ、本質的な疑問である。ハッキリ言って、それほどの価値はない。議論の効率や質を優先するのが、賢い選択だ。
 ただし、新人教育の目的で、一度ぐらいは経験させてもよい。配属されて少し経過した時期に、会議の席で書記をやらせてみる。会議が始まってすぐが最適である。任された新人は、話している内容も分からないし、きちんとした日本語も使えないので、ほとんど書けずに固まる人が多いだろう。
 何もできないで困っている場面では、書記を務めるのに必要な条件が何かを説明する。話題として取り上げている分野の知識、適切な言葉に要約する表現力、会議で書き残すべき項目の3つだ。自分の力のなさにガッカリするだろうが、それが当たり前であることや、大切なのは努力してできるように成長することも、一緒に教える。みんなの前で恥をかいた分だけショックが大きく、真剣に努力するきっかけになりやすい。
 こうした光景は、1年前や2年前に入った人にも、思い起こす機会を与える。自分の現在の姿と比べ、この1年で自分はどの程度成長したのだろうか、と考えるだろう。もし不足していると感じれば、それに応じた努力をするはずだ。
 この方法の良い点は、会議の最初の短い時間しか使わず、無駄な時間が最小限で済むこと。その割には、新人に大きなショックを与えられ、今後の向上が見込める。なお、本人が本当に努力するように、ショックを与えた後のフォローもある程度はしなければならない。

最適な担当者や方法を、常に考える意識が重要

 会議の書記という役割を取り上げて、新人に任せるのが適当でないことと、誰がやったら最適なのかを説明した。同じようなことは、どの役割や仕事にも言える。
 多くの組織を見て感じるのだが、新人の勉強のためだと言いながら、自分が面倒なのでやらせているケースが意外に多い。会議の書記はその典型的な例なので、取り上げてみた。それに会議というのは、何人もの人が参加するので、効率が悪いと損失が大きい。もし16人が参会する会議で2時間を無駄にしたら、合計で32人時(=4人日)の損となる。
 また、会議は解決案などを決める目的が多く、実際の仕事は会議以外の作業で行う。だからこそ、会議は必要最小限で切り上げるべきなのである。いつも会議ばかりしていながら、きちんと仕事をしていると思っている人は、今すぐ考え直したほうがよい。
 会議も含めたたいていの仕事は、あまり考えずに行動しているだろう。しかし、よく観察すると、効率的でない方法が意外に多く見付かる。誰が担当すれば最適か、どの方法が最良なのか、何に対しても検討する意識を持つべきだ。
 会議のように、参加者全員が集まって同じことをする作業だと、誰が書記を担当しても、その人がやるべきだった作業を邪魔するわけではない。その意味で、担当を切り替えやすい作業といえる。これとは異なるタイプの作業では、構成員と担当の組み合わせを検討して、最適な担当を選ばなければならない。
 新人の教育に関しても、自分がラクする方法を選ぶのではなく、最小限の無駄で済ませながら、もっとも効果の大きな方法を考えて実施すべきだ。そんな考え方は、新人を含めた部下にも広がり、部下の意識改革や成長を間接的に手助けする。
 誰もが当たり前にやっていることこそ、実は無駄が潜んでいるし、特に意識しなければ気付きにくい。何気ない作業でも検討し直すことは、自分の意識を変える第一歩である。それが癖になるレベルで身に付けば、いろいろな仕事で改良すべき箇所を見付けられ、改善のアイデアに結びつきやすい。

(2000年7月4日)


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