川村渇真の「知性の泉」

不正やミスの防止は倫理でなく仕組みで対処


不正の防止には発覚しやすい仕組みが効果的

 いろいろな組織で不正やミスが発覚している。不正では、役人による空出張や食料費の悪用、経営者による粉飾決算などが世間をにぎわした。ミスでは、手術する患者の取り違え、間違った薬の投与など、医療に関するものが多くの人に不安を与えた。社会が進歩するためには、このような不正やミスを防ぐような仕組みが求められる。
 まず不正への対処をみていこう。不正の防止策としてよく出されるものは、倫理教育を実施したり、倫理規定を設けて違反したら処罰する方法だ。しかし、倫理教育をいくら十分に行ったとしても、不正行為をする人は必ず出る。どんなに時間や費用をかけて教育しても、倫理観の低い一部の人にとっては、効果はあまり期待できない。
 倫理規定よりも効果的なのは、不正が発覚しやすい仕組みだ。代表的なものに、役所の情報公開がある。細かな情報が公になることで、外部の人が不正を発見できる。空出張、食料費の無駄遣い、遊びのような旅行への公費利用など、いろいろな不正が見付かる基礎となった。あまりにも効果が大きいので、ヤバイ箇所を黒く塗りつぶすという役人のセコイ反撃が始まったほどだ。
 不正を見付けるための別な方法として、以前からあるのが監査だ。代表的なのが企業の会計で、外部の監査人が関係書類をチェックする。書類の書き方なども含めて法律で規定してあり、それを守らないと罰せられるようになっている。このように、法律で規定すると防止効果が大きい。
 不正が発覚しやすい仕組みは、よほど周到に実施しないと悪いことがバレるので、不正をさせない抑止力としての効果もある。この点は非常に重要だ。

ミスの防止は複数の作業ルールで対処する

 ミスを防止する方法としては、意識を高める教育などを挙げる人がいる。これも不正と同じで、全体としての効果は小さい。また、時間とともに低下するという欠点を持つ。何か事件があった直後は、責任者が注意したり呼びかけるので、より良くやろうと通常よりは意識が高まる。しかし、1ヶ月とか半年とか経過すれば、前の状態に戻ってしまう。加えて、疲れていたり非常に忙しい状況では、どうしても注意が散漫になりやすく、意識が低下しやすい。
 ミスの防止でも、仕組みによる対処のほうが効果は大きい。よく使われるのが、ミスが発生しにくいように作業ルールを規定する方法だ。たとえば、看護婦が患者に注射する作業なら、自分が薬を入れた注射器しか注射しないというルール。違う薬を注射するミスを防ぐ方法として、ベテラン看護婦が話していた。たとえ薬の種類を示すラベルが注射器に貼り付けてあっても、自分が入れたものだけしか使わなければ、ミスする可能性を低められるからだ。この種のルールはたくさんあり、きちんとした病院では実施されているという。
 医療のような人命に関わる仕事では、様々な作業ルールを組み合わせて、ミスによる失敗を防止する。もし間違って1つのルールが守られなかったとしても、別なルールによってミスを発見するように作業ルールを決める。こうして何重にも網を張ることで、大きな失敗には結びつかないようにする。防止の多重度をどれぐらい上げるかは、失敗したときの影響度で決まる。人命を失うような重大な作業ほど、多くの防止ルールを規定して多重度を上げるべきだ。
 もちろん欠点もある。防止ルールの多くは、作業の手間が増えて効率を悪くする。あまり多くのルールを入れると、全体の作業効率を低下させる。ミスによる影響度と一緒に考慮し、ベストな妥協点を見付けなければならない。

仕組みやルールで防止するのが今後の主流に

 実は、システム開発のような設計でも、仕組みでミスを防止している。その主役はレビューだ。重要なタイミングでレビューを実施し、設計内容が適切かどうか、設計者以外の人が評価する。対象となるのは各段階での設計内容なので、概要設計からテスト仕様まで、重要と思わ段階で何回か実施する。
 システム開発は、開発の中でも一番難しい部類に入る。もっとも進んだ開発組織で注目されているのが、CMM(Capability Maturity Model:能力成熟度モデル)だ。開発の各工程で実施する作業(プロセス)に注目し、作業を上手にコントロールすることで開発の質を向上させる。内容は地味だが、複雑なシステム開発を成功させるための、実質的な近道と考えられる。
 ここまで取り上げた、不正やミスの防止、開発の質の向上など、すべてに共通するのがプロセスのコントロールである。つまり、きちんと作業するための仕組みやルールを整えることで、成功の可能性を高めようとしている。この考え方は、ほぼすべての分野に適用できる。おそらくは、今後の主流となるだろう。
 もちろん、倫理や意識を高めるための教育も実施して、仕組みやルールの背景を理解してもらう。しかし、教育はあくまで補助的なもので、仕組みやルールを中心に置かなければならない。仕組みやルールのほうが必須なのだ。
 ミスや不正を防止する仕組みを実施しても、いろいろな不具合が出てくる。たとえば、会計の監査制度では、不正経理を見抜けなかった監査法人が訴えられたりしている。監査担当がどこまで責任を持つか、法律などで明確に規定しなければならない。その範囲は、時代とともに変わるだろう。最近の傾向としては、不正を発見するためのプレッシャーが強くなる方向で、ルールの改定が進んでいる。どんな分野でも実際に試し、新たな不正を発見するたびに改良する必要がある。

単純ミスを責めないといった対処も必要に

 倫理規定を強く推進する人は、仕組みやルールでの対処に反対する人が多い。反対する理由は簡単で、自分たちが都合よく作業できなくなるからだ。具体的には、不正または不正に近いことがやれなくなるとか、ミスしたときに誤魔化せなくなるとか、後ろ向きの考えが中心になっている。残念だが、きちんと仕事することが中心には置かれていない。
 仕組みやルールで対処するのが最良の方法だと多くの人が認知するまでは、それを邪魔する勢力が抵抗し続けるだろう。当分の間は、仕組みやルールで対処する方法のメリットを説明しながら、いろいろな人に訴え続けるしかない。残念なことだが、まだ時間がかかると思われる。
 不正やミスを明らかにする仕組みが嫌がられる要因の中でも、1つだけ同意できるものがある。1回の単純なミスによって、職を失うような状況になるかの心配だ。人間は誰もがミスをするので、普通に仕事をしていても何回かミスするだろう。それが許されないとなったら、安心して仕事ができない。ミスしたことを責めるのではなく、きちんと報告してもらって、新たな防止ルールを作るための資料にしたほうがよい。ミスを繰り返す人には、教育を受けるなどの方法で改善させるようにしたい。
 ミスで例外なのは、納得できないケースだ。何度も注意したのに守らないとか、悪意を持った行動など、許し難いミスだけはきちんと処罰する。後でもめないように、どんなミスが処罰の対象になるのか、事前に規定しなければならない。
 以上のように、何でも細かく縛るのではなく、ミスした人を救うような仕組みも一緒に用意すれば、ルール化に反対する人の数は減る。社会が進歩するためには、不正やミスを防止する仕組みが、今後ますます必要となる。

(1999年4月29日)


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