川村渇真の「知性の泉」

教育に関わる質問への回答


大学まで含めた現在の学校教育は、教育内容、方法、組織などすべての面で、あまり良い内容ではない。そのため、いろいろな疑問が生じてくるし、そうなって当然の状況にあるといえる。しかし、大学教授も含めた教育者のほとんどは、こうした疑問に対して、納得できるレベルの回答をしてくれない。そればかりか、疑問を無理矢理につぶすような内容で回答する人までいる。こうしたダメな回答内容は、よく考えると大事な点が欠けていることが多い。それはどんな点なのか、代表的な例を取り上げながら、明らかにしていこう。


大学の教育内容に不満があって……

【質問】大学の教育内容に不満があるので、そのことを教官に訴えてみました。そしたら、ある教官から「現在の教育内容は、多くの教官が一緒になって深く検討し、最良と思われるものに決めた結果。かなり良い内容だと思う」という回答をもらいました。これを聞いても、何か上手にごまかされた感じがして納得できません。この回答を、どのように受け取ったらよいのでしょうか?


【回答】「何か上手にごかまされた」と感じたのですね。当然の感覚だと思います。それがなぜなのかも含めて、簡単に解説しましょう。

 教官からの回答内容を評価するために、もっと良い回答を考えてみます。対象は教育内容であり、それに不満があるという訴えなので、現在の教育内容の決定根拠を示す必要があります。まず教育目的を明らかにし、それから目指す教育結果を導き出します。教育結果とは、教育を受けることで得られる知識、経験、能力などです。次に、その結果を達成するために必要な、教育内容や教育方法を求めます。教育方法を含めるのは、経験や能力の習得に、教育方法が大きく関わるからです。大まかな決定過程はこんな感じになります。また、大学教育に限らず、どんな教育にも共通する設計方法です。
 訴えへの良い回答は、この内容を明らかにすればよいだけです。当然、教育目的、目指す教育結果、教育内容、教育方法の全部が含まれ、かなりの説明量になるはずです。これがあれば、決定の経緯が分かります。読んで納得するかも知れませんし、逆に不満な点が残ったときでも、それが何なのかより詳しく明らかになります。
 では、こうした回答内容を大学側は出せるでしょうか。決定の当事者に尋ねないと分かりませんが、おそらく出せないでしょう。多くの教育内容を見たり、大学教官の様々な発言を聞く限り、上記の形で設計された決定結果ではないと推測しています。実際には、過去から惰性で続いている教育内容を、深く考えずに決めた結果でしょう。

 以上の内容が理解できたところで、教官の回答を評価してみましょう。回答の中心部分は「多くの教官が一緒になって深く検討し」で、決定の体制だけは説明していますが、決定した中身に関しては何も触れていません。大事な点にまったく触れていない回答なので、回答としてのレベルは非常に低いわけです。
 このように回答した理由は、もう分かるでしょう。根拠を示せるほど検討して決めた結果ではないため、良い形での回答ができないのです。仕方がないので、決定の体制だけを説明しているのでしょう。高等教育機関の教官の回答としては、本当に情けない内容ですね。
 こうした回答内容をもらったら、「何か上手にごかまされた」と感じて当然です。訴えた内容の中心部分に関しては触れず、中心から外れた一部の内容だけ説明し、お茶を濁しているわけですから。
 今回のように「深く検討して最良のものに決めた」と言いながら、その根拠をまったく示さない方法は、政治家や官僚の得意技でもあります。言い方は自信たっぷりなのですが、納得できるほどの根拠は持っていません。とにかく、自分にとって都合の良い解釈だけで言っている内容なのです。もし根拠を強く求めたりすると、最初は無視していますが、最後には怒り出すので注意してください。

 今回の質問には直接関係ありませんが、卒業できる条件に関しても少し触れておきましょう。卒業の“適切な判定方法”では、各学生が実際に習得できた内容(つまり教育結果)が、あらかじめ設定した条件を満たしたときだけ、卒業を許可するのです。もちろん、その条件を最初に提示して、学生の努力を促します。条件の中身ですが、教育結果と比べるわけですから、知識、経験、能力などの判定が含まれます。卒業の条件も、このように設計すべきなのです。
 大事な点を、もう1つだけ。高等教育機関である大学は、教育目的、目指す教育結果、教育内容、教育方法、卒業条件を公表すべきです。その大きな理由は、こうした内容こそ大学選びの判断材料として重要なので、入学する前に知る必要があるからです。

(2002年9月6日)


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