川村渇真の「知性の泉」

浮遊思考記録−2004年10月


●2004年10月31日

毎朝の挨拶練習に価値はあるか

 当サイトでは、世の中の様々な分野について、悪い点を指摘するとともに、その改善方法を提案している。このような内容ばかり取り上げていると、「世の中のほとんどのことは悪い」と勘違いする人が出るかも知れない。そこで今回は、既存の良いことを取り上げてみよう。
 良いことも、探せば数多く見付かる。明らかに良いことだと、誰もが判断できる内容では面白くないので、良いのか悪いのか判断しにくいことを、あえて選んでみた。その内容とは、顧客と直接対面する職場で行なわれている、全員での毎朝の挨拶練習だ。個人的能力を高めて、バリバリと仕事をしているような人には、時代遅れの行為のように見えるかも知れない。これが良いのか悪いのか、かなり真面目に考えてみた。

 この種の挨拶の練習には、どのような価値(意味)があるのだろうか。それを考えるために、練習に含まれる要素を2つに分けてみた。挨拶の練習を毎朝行なうことと、部署内の全員が一緒になって行なうことの2つに。
 先に、練習を毎朝行なうことの価値を考えてみよう。普通に考えると、挨拶を練習するのは、挨拶が上手にできるようになるためだ。顧客に対する上手な挨拶は大切であり、顧客から見た印象が改善できる。元気に挨拶された顧客は、自分が無視されてないとか、活気のある職場だとも思うだろう。客商売の場合、こうした印象は重要である。
 人間にはいろいろなタイプがいて、挨拶を簡単にできる人もいれば、簡単にはできない人もいる。できない人は、個別に指導を受けるなどによって、努力してもらうしかない。挨拶の上手さの練習自体は、毎朝行なうのではなく、できない人が時間を集中して練習する。こうした練習は、できるようになるまで行なうはずだ。
 毎朝の練習は、挨拶を上手になることとは、別な目的を持っている。職場に出勤したばかりだと、仕事を始めたときに挨拶が出ない人もいる。そうした人のために、モード切り替えを行なう効果を狙っている。顧客が来る前に挨拶の練習をしておけば、顧客を見て挨拶がスムーズに出るだろうから。
 モード切り替えが目的なので、「さあ、これから仕事をするぞ」という効果も狙っている。プライベートの時間と気持ちを切り替えてもらい、仕事に集中させる目的もある。

 続いて、全員で練習する価値を考えてみよう。毎朝の練習を各人が別々に行なったら、大きな声を出して練習できるだろうか。同僚の迷惑にならないようにと考え、小さな声で練習するだろう。そんな練習方法だと、実際に顧客の前に立ったとき、大きな声で挨拶できない可能性がある。全員で揃って練習するからこそ、大きな声での練習が可能となる。
 また、全員で同じことを行なうと、職場に一体感が生まれる。「オレは、今日も頑張るぞ」ではなく、「みんなで、今日も頑張ろう」という気持ちになりやすい。その結果、みんなが協力して目的を達成する雰囲気も生まれやすい。全員揃っての練習では、こうした効果も狙っている。

 以上のような価値を知ったうえで、毎朝練習しない場合と比べてみよう。そうすれば、毎朝練習する価値が、改めて理解できるだろう。
 当然ながら、挨拶の練習だけで仕事が成功するわけではない。各人の能力の向上など、もっと大事なことがいくつもある。それらも平行して実施し、総合的な効果を最大限に高めるのが、上手やなり方だ。やれるものは、何でも組み合わせて行なう。毎朝の挨拶練習も含めて。

 以上が、私の考えた、毎朝の挨拶練習の価値だ。こうした例を挙げると、既存の何でもに価値があると勘違いする人がいるかも知れないので、大事な点を1つだけ明らかにしておきたい。
 既存の方法に価値があるかどうかは、納得できるだけの理由があるかどうかで決まる。取って付けたような理由ではなく、論理的に考察したときに納得できるだけの理由であるかどうかが、評価の分かれ目となる。
 一般的には、世の中で続いている内容には、生き延びてきただけの理由がある。ただし、注意しなければならないのは、状況の変化だ。現代のように変化が大きくて急速な時代になると、いろいろなものの価値が変化しやすい。以前に納得できる理由があったとしても、その理由が納得できるだけの価値を持たなくなる状況も生じる。理由が納得できるかどうかは、今の時代の価値観に照らし合わせて判断しなければならない。それで価値があると判断できれば、続けて行なっても構わないはずだ。
 この点が理解できると、今まで継続してきな様々な活動を、現代の価値観に合わせて評価し直してみたくなる。価値の低い行為は停止できるし、価値のある内容に改善する機会になるからだ。意外な活動の問題点が見付かったり、改善案を思い付くかも知れないので、5年に1度ぐらいの頻度で試してみたらいかがだろうか。


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