川村渇真の「知性の泉」

浮遊思考記録−2004年06月


●2004年06月30日

教育者らしからぬ教師の行為

 先日、仲の良い友人と久しぶりに会い、教師の行為で話が盛り上がった。2人とも以前から思っていたこととして「教師の行為の中には、教育者らしからぬことが多すぎるのではないだろうか」という疑問があったからだ。それに関係する話がいろいろと出たので、少しまとめてみた。

 この話題が出たきっかけは、次のような話だった。1年ほど前、友人は知り合いの女性から、中学校の制服についてイヤな話を聞いた。その女性によると、きっかけは家族の引っ越しだった。息子が別な中学校へ転校することになって、新しい学校に入ったら、学生服を新調しなければならなくなった。新しい学校の学生服は、普通の男子用学生服に、学校のマークか何かが刺繍してあるものだそうだ。その刺繍のために、新しい学生服を買わなければならなかった。
 そもそも、そんな刺繍を付けるように決めたら、学生服のコストが上昇してしまう。裕福でない家庭の生徒もいることを考慮するなら、学生服のコストが上昇するような決定は、できる限り避けるべきであろう。そんな配慮もできないようで、教育者といえるだろうか。
 似たような話は、以前から数多くある。鞄を専用品にする、学校のマークの入った運動着、修学旅行の費用、いろいろなイベントでのアルバム代や写真代などだ。学校に関わる出費では、世間の相場より高いものや、高くなるように特殊化してあるものが、意外に多い。運動着などの一部の特殊化は何とか許せるとしても、少しでも安くなるように、どうして工夫しないのだろうか。
 修学旅行の費用が高い件に関しては、友人がある裏事情を教えてくれた。教師の分をタダにする見返りを与えて、高い旅行料で採用してもらう旅行業者もいるのだと。旅行業者も悪いが、その話に乗ってしまう教師はさらに悪い。教育者らしからぬ行為である。

 最近になって話題に登っている、大学などの入学金のタダ取りも同様だ。ただし、こちらの場合は、よりタチが悪い。支払った金額に対する成果を何も与えてなのに加え、払う側の“弱みにつけ込んで”いるからだ。
 子供のことを心配する親は、どこへも入学できないで浪人することだけは避けようと、理不尽な入学金であっても、しぶしぶ払ってしまう。それが永久に返ってこないお金で、ドブに捨てるのと同じかも知れないと分かっていながら。
 こうしたタチの悪い行為を続けてきた人々は、どう思っているのだろうか。本当の教育者であるなら、こうしたタダ取りなんてできないと思うのだが。

 お金に関わらない面でも、教師らしからぬ行為を目にすることがある。その多くは、何か大きな問題が起こったときだ。たとえば、単純なミスで生徒を死なせてしまったとか。
 そんな状況になると、学校中の教師達が、教育者らしからぬ行為を見せる。自分たちの身内を守るために、大事なことを何も言わない。または、白々しい嘘でも平気で言う。そして、騒ぎが小さくなるまで、じっと待っている。その後は、何事もなかったように、昔と同じように行動する。
 こんな光景がテレビに映し出されたとき、友人は「お前ら、教育者だろうが。もっと人間としてマシな態度を見せろよ」とテレビに向かって文句を言うそうだ。それを聞いて「その気持ちはよく分かる」と友人に言った。

 2人ともが一番気になったのは、良い教師の存在だ。教育者らしからぬ行為を良く思わない、良い教師もいるだろう。教育者になろうとして教師になっているのだから、少ないはずはない。だとしたら、その教師達はどう考えているのだろうか。
 まさか、日本的な和を大事にすることが優先され、教育者らしからぬ行為を黙認しているのだろうか。そうだとすれば、良い教師とはとても呼べない。実際のところは、どうなんだろうか。
 もしかしたら、学校の中というのは、かなり古い体質を持っていて、改善するような提案をほとんど言えない世界なのかも知れない。これが、かなり当たってそうだと、2人とも思ってしまった。本当かどうかは別にして。
 良い教師の皆さんは、どう思っているのだろうか。そして、何とかならないのだろうか。インターネットが簡単に使える時代、やれることは多いと思うのだが。それとも、この種の改善型の行為をすれば、教師としての出世に響くとか、良い教師にとって何か困った状況があるのだろうか。まさか、良い教師はかなりの少数派なのだろうか。とにかく不思議だ。

 以上のような教育者らしからぬ行為は、本当に防げないのだろうか。本気で直そうと思えば、いろいろな方法が考えられる。
 まず考慮しなければならないのは、生徒と親は、文句を言いにくい状況にある点だ。内申書という首根っこを押さえられているため、かなり我慢している生徒や親は多いであろう。文句を言ったら嫌われて、子供の内申書が悪く書かれ、結局は自分たちが損をするからだ。3年間だけだから我慢しようと思う方が、現実的な選択となる。
 こんな状況があるため、上から指導するのが一番だろう。たとえば、文部科学省が全学校に対して、次のような方法で注意を促してはどうか。まず、教育者らしからぬ行為として、上記の行為を列挙して知らせる。また、守ってない学校が見付かったとき、生徒や親から指摘してもらう窓口(電話やメールも可能に)も設け、指摘した人が特定されないように配慮する。さらに、守らなかった学校の校長や担当者には、ある程度の処罰があることも事前に表明しておく。これだけやったら、短期間のうちに激減するであろう。
 実際、本気で直そうと思えば解消させられるはずだし、実際に効果のある方法を選べるはずだ。誰も直そうとしないところが、根本原因なのだろうか。

 以上のような話で盛り上がったが、残ったのは現状の悪い印象ばかりだった。友人が最後に言った「今の時代、教師を教育者と思ってはいけないのだろうな」との言葉が、頭の中に強く残っている。さらに友人は付け加えた。「単に知識を教えるだけの人、あえて言うなら『会話できる参考書』と思わないといけないのだろう」と。


下の飾り