川村渇真の「知性の泉」

浮遊思考記録−2004年04月


●2004年04月30日

知的創造性と芸術的創造性の違い

 創造性という言葉が使われる対象として、真っ先に思い浮かぶのは芸術の分野だろう。しかし、科学などの知的な分野でも、創造性という言葉は使われる。では、芸術的創造性と知的創造性は、同じものだろうか。もし異なるとしたら、どのような違いがあるのだろうか。思わず考察してみたくなる、面白いテーマだ。

 まず先に、知的創造性を取り上げよう。創造性が発揮されるのは、今まで不可能または極めて困難だと思われていたことが、あるアイデアのおかげで達成できた場合だ。そんなアイデアを思い浮かんだのは、高い創造性のためであろう。
 では、何かのアイデアを思い付いたとき、そのまま一発で成功に達するのだろうか。実は、そう簡単ではない。科学に属する分野では、最初にひらめいたアイデアが使えるかは、詳しく検討してみなければ分からない。アイデアに欠点はないのか、細かい部分まで含めて論理的に正しいのかなど、科学的な検証を通らなければならない。こうした検証を通ったものだけが、素晴らしい解決方法として脚光を浴びる。
 こうした工程を通るため、思い付いたアイデアのごく一部だけしか、高く評価されない。ほとんどのアイデアは、欠点や問題点が見付かって埋もれていく。ただし、まったく役に立たないわけではない。ボツになったアイデアが、次の別なアイデアのヒントになったり、別なアイデアと組み合わせることで日の目を見たりする。
 ともあれ、知的創造性に関して大事なのは、アイデアを思い付いただけで終わらない点だ。科学的で論理的な検証を通ったものだけが、本当の創造性として評価される。また、分野によって少し変わるが、アイデアを思い付いた時点で、本当に役立つかどうか判断できないことも多い。

 続いて、芸術的創造性を取り上げよう。もっとも一般的なのは絵画なので、絵を描くときを考える。創造性が発揮されるのは、今までにない新しいイメージの絵を描くことではないだろうか。それは、どのようにして生まれてくるのだろうか。おそらく、頭の中にイメージが思い浮かび、それを実際に描いてみる。科学的創造性とは違って、論理的な検証を行う必要はない。
 ただし、新しいイメージが明確に思い浮かばない場合もあるだろう。ハッキリしておらず、もやっとしたイメージが浮かぶようなときだ。その際には、もやっとしたイメージに沿う形で実際に描きながら、イメージを明確化していく。
 とはいうものの、もやっとした形で思い浮かぶのは、芸術分野だけではない。科学分野でのアイデアも、もやっとした形で思い浮かぶことがある。最終的なアイデアの何段階か前の状態という感じで。つまり、もやっとした形で思い浮かぶのは、芸術分野の特徴ではない。
 それでは、芸術分野で思い浮かんだアイデアは、全部が採用されるのだろうか。そうではない。アイデアを用いて芸術作品を作った後、仕上がった作品が魅力的でなければ、良いアイデアでなかったと判断する。この部分が、知的創造性における論理的な検証に相当するといえるだろう。ただし、魅力的かどうかと言う基準は、科学ほど明確ではないため、評価する時代や人によって大きく変わったりしがちだ。

 以上を踏まえた上で、知的創造性と芸術的創造性は、どちらが大変なのだろうか。それは、行う人によって異なる。知的創造性の方が得意な人も、芸術的創造性の方が得意な人もいる。さらに、両方とも得意な人だけでなく、両方とも不得意な人もいる。
 同じ創造性という表現を用いているが、思い浮かぶアイデアの特徴は正反対である。知的創造性で生まれるアイデアは、細かな部分まで論理的でなければならない。芸術的想像で生まれるアイデアは、魅力的なイメージでなければならない。こうした異なる特徴のアイデアを生むための能力は、異なる部分がかなりあるのではないだろうか。
 良いアイデアが生まれる前には、小さなアイデアを数多く思い浮かぶ。そうしたアイデアの中から、使えそうなものを拾い上げて発展させていく。使えそうなアイデアかを判断する時点で、知的創造性と芸術的創造性に違いが生じる。判断に必要な能力が異なるのだ。知的創造性の方は論理的思考能力が、芸術的創造性の方は作品として魅力的かどうかの判断能力が求められる。このように、実際の創造的な作業では、単にアイデアが出てくるかどうかでは終わらない。細かなアイデアの思い付く作業は、その良し悪しを判断する作業と、密接に関係している。こう考えると、それぞれの創造性には、異なる部分がかなりありそうだ。
 そうだとすれば、知的創造性と芸術的創造性は、分けて考えた方がよい。創造性を高めるのには何をすればよいか考えるとき、分けて別々に検討するというように。


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