川村渇真の「知性の泉」

浮遊思考記録−2003年12月


●2003年12月19日

嫌がらせ新聞勧誘員への対処方法

 先日、ひどい新聞勧誘員が我が家へやってきた。なぜか今もなお続いている、新聞の嫌がらせ販売だ。以前は私も、どう対処して良いのか分からなかった。しかし、彼らの行動を分析した結果、上手な対処方法を思い付いた。そのおかげで今は、この対処方法で何とかしのいでいる。今回の状況とともに、対処方法の概要を紹介しよう。

 最近では、勧誘員自身も、売り込みが嫌がられていると知っているようだ。そのため、新聞の勧誘だと明らかにせず、話を持ち出してくる。今回の場合、最初の一言は「お届け物です」だった。我が家では、通信販売や仕事関係の受け取りで宅配便を多用しているので、また何か届いたのかと思い、玄関のドアを開けてしまった。
 目の前にいたのは、遊び人風の男性だった。どう見ても宅配便ではない。その男性は「これ差し上げます」と言って、少し大きめの紙袋を差し出し、私に押し付けてきた。当然「誰からの届け物ですか」と尋ねる。相手は「YCからです」と回答した。すぐ「YCって何ですか」と尋ねると、相手は「読売ですよ」と答えた。
 この時点で、状況が把握できた。相手は読売新聞の勧誘員、目的は新聞の売り込み、押し付けてきた紙袋の中身は購読の景品だと。新聞を購読する気はないので、インターネット上のサイトで読んでいるから、わざわざお金を払って新聞を読む気はないこと、そのため粘っても無駄なことなどを、強調しながら手短に説明した。

 普通の勧誘員であれば、この時点で引き下がる。しかし、今回の勧誘員はそうでなかった。嫌がらせ手法を使う、悪質な勧誘員だからだ。
 この手の勧誘員は、決まったパターンで粘り続ける。契約してくれるまで帰らないぞ、という感じで粘るのだ。だから、こちらがどんな理由を挙げても、気にしないで説得を続ける。また、「迷惑だから帰ってください」と言っても、無視して粘り続ける。玄関に片足か両足を入れ、玄関のドアをしっかりと握ったままなので、力づくで追い出すのも難しい。
 悪質な勧誘員が、このように行動するのには理由がある。ずっと居続けそうだと思わせることで、契約させようと狙っているからだ。勧誘員に帰ってもらうためだけに、仕方なく契約する人がいるからだろう。気の弱い人を狙った、悪質な居座り型の嫌がらせ販売である。

 こうした居座り型の販売方法には、話を途中でやめる方法が有効だ。といっても、相手が玄関から出て行ってくれるわけではない。仕方がないので、こちらが玄関から離れる。もっともらしい理由(大事な仕事中、町内会の張り紙作り、子供のPTAの資料作りなど何でもよい。もちろん嘘でも)を述べて、部屋の中に入っていく。部屋の扉を閉めて、相手から見えない状態になることが大切だ。
 こうすると、勧誘員は困ってしまう。話し続ける相手がいなくなり、居座る手法が使えないからだ。今回の勧誘員も、何回か呼びかけ後で、あっさりと帰ってしまった。もちろん、お届け物の紙袋を持って。私は10分ほど経過してから玄関に行き、鍵を閉めた。
 玄関を離れることで、勧誘員に何か盗まれる心配はある。しかし、本物の勧誘員である限り、盗んでも身元が割れやすい。逆に、最初から盗む目的なら、顔を見られるような方法は絶対に行わない。何か盗まれる心配は、少しはあるにしても、実際には起こりにくいだろう。もし心配なら、金目の物を玄関に置かないけらばよい。もし置いてあっても、それを持ったまま部屋に入ればよい。

 悪質な勧誘員というのは、マスメディアである新聞社に似つかわしくないものの1つだ。いくら日本ではマスメディアが有効に機能してないといっても、こうした勧誘員は撲滅するように努力すべきだろう。なぜなくならないのであろうか。いつも不思議に思う。日本の新聞の恥部だと感じるのだが。
 少し気になったので、読売新聞のウェブサイトを軽く調べてみた。悪質な勧誘員を見付けた場合に連絡する方法どころか、そういった勧誘員に関する記述すら、目立つ場所には見付けられなかった。世の中に実在する以上、悪質な勧誘員を撲滅する方法などを、見付けやすい形で掲載すべきだろう。
 今回の勧誘員は「強化月間の3ヶ月分だけ協力して」と何度も繰り返していた。こうした強化月間をどこが主催しているか知らないが、悪質な勧誘員が来るときは、必ずと言ってよいほど強化月間の話をする。そのため、売り込みの悪質さを強化している月間との印象が、私の中にはある。強化月間なんて、やめてもらいたい。
 悪質な勧誘員が売り込む新聞だが、読売新聞だけではなく、過去に朝日新聞でも経験がある。しかし、私が経験した中では、読売新聞が非常に多い。そのため、今回も「また読売新聞だ」と思ってしまった。

 新聞の購読だが、2001年にやめてしまった。インターネットへの定額アクセスが可能になったことで、月額4000円近く払うのが、バカバカしく思えたからだ。もちろん、マスメディアとして有効に機能していない日本の新聞社に、お金を払いたくないのも大きな理由だ。
 さらに付け加えるなら、新聞に書いてある情報の種類にも関係する。細かな個々の出来事が中心で、その背景にある大きな流れや理由などには、ほとんど触れない。表面的な情報がほとんどなのである。そのため、世間話には役立つかも知れないが、物事を深く見る目的には、ほとんど役立たない。
 実際に購読をやめてみても、まったく困らなかった。重大な出来事に関しては、インターネットで読めるし、テレビのニュースからも得られる。加えて、以前から分かっていたことだが、新聞に書かれている情報量は、インターネットの情報量に比べると、格段に少ない。詳しく知りたいときに役立つのは、新聞でなくインターネットなのだ。
 もちろん、小さな出来事だと、たまに知らないことがある。しかし、知らないことは恥ずかしいことではないと考えているため、素直に教えてもらっている。こちらが何も知らないと分かると、頼まれもしないのに積極的に教えてくれる人が多いようだ。世間話のネタでしかないため、もともと知らなくても困らないのだが。
 以上のように、新聞の購読をやめても、まったく困っていない。それどころか、その費用が別な目的に使えるので、より有効に使っていることになる。もう1つ、いくら新聞が資源ゴミだといっても、ゴミの出ない方が良いに決まってる。どこから見ても、購読中止は非常に良い決断だった。


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