川村渇真の「知性の泉」

浮遊思考記録−2003年5月


●2003年5月31日

根拠で判断しない人ほど、だまされやすい

 日本人を拉致していたことは、北朝鮮が認める前から、北朝鮮がやったと多くの人が疑っていた。そんな状況なのに、北朝鮮はやっていないと表明している人が、何人もいた。該当する中には、北朝鮮の首脳に会ってきて、信用できると判断した人もいる。
 今では誰もが知っているように、拉致したことを北朝鮮が認めた。そのため、拉致してないと表明した人のメンツは、大きくつぶれてしまった。なぜ、こんな結果になったのだろうか。

 もっとも大きな原因は、適切な判断方法を知らないことにある。何かを判断するときは、その根拠を調べて、納得できたときだけ正しいと判断する。それが、少しでも良い判断をするための方法である。
 ところが、世の中には、根拠など気にしない人もいる。相手の表面的な様子とか、話した印象だけで、信用できる相手かを判断する。こうした判断方法だと、適切な判断など期待できない。にもかかわらず、こんな判断方法を使っている人が多い。
 表明された判断結果を聞く側にも、同じような問題がある。判断結果の根拠を求めないのだ。根拠の代わりに、表明した人の熱心さとか人柄で判断する。人柄といっても、表面的な判断でしかないのだが。
 以上のような状況なので、間違った判断を信じる人が多く出てしまう。間違った判断を最初に表明する人と、それを信じる人、信じたことで別な相手に表明する人という具合に、どんどんと増えながら。

 納得できる根拠を求めないで判断する方法は、だまされやすい大きな原因となる。つまり、根拠で判断しない人は、だますことが容易なカモなのだ。だまされる本人は気付いてないだろうが。
 だまされやすい人が多い社会や組織では、困った状況が発生しやすい。根拠を示さなくても、心地よい意見が通りやすくなる。たとえ多数決で決めていても、だまされやすい人が過半数を超えれば、間違った判断が通ってしまうからだ。
 これからの社会では、だまされやすい人をいかに減らすかが重要となる。その実現にもっとも有効なのは、学校教育である。しかし、教育改革の話題は盛んだが、適切な判断方法や論理的思考方法を教えようと主張する人は少ない。当分の間は、表面的に心地よい意見の通りやすい状況が続くだろう。これこそ、だまそうと思っている人には、好都合な社会だ。


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