川村渇真の「知性の泉」

浮遊思考記録−2003年4月


●2003年4月27日

間違った認識から生まれた数学本ブーム

 友人によると、数学に関する本が、ちょっとしたブームだという。簡単に要約すると「数学を勉強することで、考える能力を高めよう」という狙いだとか。それを目的とした本が何冊が発行され、けっこう売れているらしい。
 本サイトの内容を読んでいる人なら、もうだまされないだろうが、世間では「数学を勉強すると、論理的思考能力が高まる」と信じられている。それどころか、論理的思考能力を高めるための勉強として、数学ぐらいしか思い付かない状況のようにも見える。

 今回のブームに関係する数学本を読んだわけではないが、内容は大まかに推測できる。例となる課題を何か挙げ、数学を使って解くことで、考える能力を身に付けさせようというのだろう。以前からある、使い古された方法だ。ゲーム理論を、現実の課題に応用する際にも使われている。
 この方法を、もう少し詳しく見てみよう。課題を数学で解く作業は、次の4つの工程に分解できる(もっと細かい段階にも分解できるが、今回は4つに分けた)。

・課題の内容を整理して、見通しを良くする
・課題の内容を、数学上のモデルに変換する
・モデルの内容を、数学の問題として解く
・解いた結果を、課題側の視点で解釈する

 上記の作業を成功させるためには、どんな能力が必要なのか考えてみよう。工程ごとに異なる能力が必要なので、それぞれで挙げると次のようになる。

・課題内容を上手に整理して、重要点を見極める能力
・数学上のモデルに変換する能力
 (モデルが適切か検査する能力も含む)
・数学の問題を解く能力
・数学での回答を課題の視点で解釈する能力

 では、ブームの数学本は、上記のどの能力を解説しているだろうか。おそらく、3番目の「数学の問題を解く能力」だけだろう。残りの3つは、かなり難しい内容であり、そう簡単には説明できない。本の著者も身に付けていないだろう。実際、この手の内容を取り上げた本を、私はまだ見たことがない。

 残りの3つの能力の中で、(習得の難しさも含めた意味で)もっとも重要なのは、2番目の「数学上のモデルに変換する能力」である。用意したモデルが現実の課題と同等でなければ、数学上で問題が解けたとしても意味がない。たいていのモデルは、数学上の内容が簡単になるように、いろいろな要素を削って単純化する。また、数学上で扱えない要素も、当然ながら削られる。こうして用意したモデルが、課題側の内容として本当に意味があるか、深く検査しなければならない。
 ところが実際には、数学上の問題だけ解いて終わる。モデルが適切かを、検査すらしないのだ。こんな形の思考内容が多いため、質の低い思考結果が数多く出されている。さらに、そんな欠点に気付いている人もほとんどいない。このような状況は、数学だけでなく、ゲーム理論の応用でも同じだ。
 現実の課題では、数学で扱えない要素も含まれている。そんな要素が多い課題の場合、数学だけでは手も足も出ない。そのため、ブームの数学本でも、数学の要素が多い課題しか取り上げていないだろう。

 以上の考察結果から、数学の要素が多い課題であっても、残りの3つの能力を身に付けないと、課題を上手に解けないと分かる。つまり、ブームの数学本の全内容を理解しても、考える能力がそれほど高まらないわけだ。
 この指摘が信じられない人は、ブームの数学本を読んでみるとよい。読んだ後で、難しい課題を思考してみれば、思考能力が高まったかどうか、よく分かるはずだ。以前とほとんど変わらないことが、実感できるだろう。
 友人が教えてくれた本を、アマゾンの読者評価で調べてみた。すると、一部の人は私と同じ認識で、「この本を読んでも、考える力が身に付かなかった」と書いている。この読者は、状況を正しく認識していた。
 では、それ以外の読者はどうなのだろうか。考える力が身に付いたのだろうか。いや、そうではない。身に付いたと勘違いしているに過ぎない。現実の課題を解いてみれば、解けないことが簡単に実感できるはずだ。このように勘違いする人が意外に多い点も、世の中の現実の1つである。

 今回のブームの基礎となっている「数学を勉強すると論理的能力が高まる」という説は、まだ多くの人が信じている。ずっと信じられてきただけに、社会全体として訂正するのは難しい。当分の間は、間違った認識が信じ続けられるだろう。そして、今回のようなブームが何回か発生し、そのたびに、期待した効果が得られない多くの読者を生むだろう。


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