川村渇真の「知性の泉」

浮遊思考記録−2003年2月


●2003年2月28日

1つの結論表現にこだわる愚行

 何かの特徴や様子を1つの言葉で表現する行為は、物事の正確な把握を邪魔してしまう。また、間違った認識を広めることにもつながる。面白い例として、ある電子会議室へ参加していたときの様子を紹介しよう。

 その際の話題は、20人学級を実施したときの効果だった。私は、効果の大きさを明らかにする目的で、20人学級の実施効果を整理して示した。比較対象として40人学級を挙げ、それを20人学級に切り替えることで、どれだけの効果が期待できるのかを明らかにする形で。
 この場合の効果は、教育における問題点の解消である。そのため、既存の主な問題点を列挙した。挙げた問題点ごとに、20人学級の実施効果を考えていけばよいからだ。その問題点は、以下のとおり。時間がなかったので、整理せずに列挙しただけになっている。

・社会に出たとき、本人が明らかに使わないものまで学習させられる
  ・当たり前だが、どの教科を使わないかは人によって異なる
  ・多くの人が、学習内容の一部しか社会に出て役立たなかったと感じる
・学習する教科や範囲を自由に選べない
  ・優先して先に進みたい教科を選べない
  ・たとえば、数学が大好きでも、自由に先に進めない
・得意な教科の時間を減らし、苦手な教科に回すことができない
・習得度に関係なく進級するので、苦手教科は基本的な内容を理解できないまま
  ・習得できなかった教科の場合、上位の内容を続けられても分からない
  ・結果として、最初に理解できなかった時点で、理解が止まってしまう
  ・本来なら、理解できなかった箇所から学習し直すべきでは
・授業では優秀な生徒が中心になり、理解できな生徒が置いてきぼりになりがち
  ・教師の労力は、理解できない生徒に多く振り向けるべきでは
  ・とことん丁寧な説明の教科書を作り、読むだけで理解できる生徒を増やして
・教科書を読むだけで理解できる教科でも、授業に出なければならない
・暗記することが前提のテストを実施している
  ・実社会では、特殊な場合を除くと暗記が求められない
    ・必要な資料を見ながら、作業したり書類を作ったりする
    ・本当に必要なら、たいていは自然に暗記してしまう
  ・学校で暗記しても使わないと忘れてしまう(暗記に使った時間が無駄になる)
    ・多くの人にとって、学生時代の膨大な時間が無駄になっているのでは
・理解しているかではなく、覚えているかを調べる試験問題が多い
  ・よく考えずに試験問題を作ると、覚えているかを調べる問題になる
・教師を選べない(教師の評価も公表されない)
・作文技術などの重要な内容を、教育対象から外している
・自由に考えさせる機会をあまり提供していない
・学習によって得られるメリットを明確に提示できていない
・生徒による生徒へのイジメが多発し、しかも受けている生徒が逃げられない
  ・逃げる方法としては、不登校か自殺ぐらいしかない
・学級崩壊により、授業が成り立たない
・教育委員会などが、生徒の自由な活動を力で抑制している
・大学を卒業しても、物事を検討する基礎すら身に付いていない

 ざっと見て分かるように、20人学級の実施で効果があるのは、ごく一部の問題点に限られている。全体として捉え、「ほとんどの項目に対して、目立った効果はない」と結論付けた。20人学級を否定していると思われると困るので、40人学級で構わないと主張しているのではないことも付け加えた。また、もっと大事な点も合わせて強調した。20人学級に大きな期待を(つまり間違った期待を)抱き、それだけ実施し、何年か後で期待外れだったと思うような失敗だけは避けるべきという点を。上記のように問題点を挙げ、それぞれでの効果を調べれば、期待される効果はほぼ適切に予想できるのだから。
 この意見を書き込んだ後、ある人が文句を言ってきた。20人学級にはほとんど効果がないといってるが、そうは思わないと。全体として捉えた結論部分の表現が気に入らなかったようだ。そのため、20人学級の効果を何個か挙げていた。
 しかし、私が挙げた問題点を冷静に分析すると、結論は変わらない。上記のほとんどの問題点に対して、目立った効果はないのだ。しかも、私の挙げた問題点は、どれも重要度の高いものばかりである。それらに対して効果が小さいということは、全体として効果が小さいことを意味する。

 文句を言った本人は、20人学級の効果が小さいと結論付けたことが、気に入らなかったのだろう。この種の人は、結論の表現にこだわりたがり、途中の分析を正しく読み取ろうとしない。実際、文句を言っている内容で、明らかな誤読箇所が何個もあった。また、よく調べず書いている特徴も見付かった。こうした特徴から推測すると、厳密な分析や思考が苦手で、物事を表面的に捉えたがる人のようだ。
 こういう人の最大の問題は、結論の表現に強くこだわる点だ。短い表現だけだと、物事を正しく表現できないし、適切に把握するのも難しい。そうならないように、途中段階での思考内容を整理し、理解しやすいように見せる必要がある。今回の場合、その鍵を握っているのが問題点の一覧だ。これを示すことで、20人学級の効果を正しく把握できる。
 短い表現だと、どうしても情報が少ない。それが結論の表現の場合は、結論の根拠が何も含まれない情報となりやすい。当然、良し悪しを判断する材料に欠け、価値の低い情報になってしまいがちだ。
 結論の表現にこだわる考え方は、価値の低い情報を推奨していることに等しい。また、表現の好き嫌いに話題を集中させ、本題の検討から遠ざける効果もある。どちらにしても愚行である。
 ハッキリ言ってしまうなら、結論の表現にこだわる行為は、単なる“言葉遊び”でしかない。そうならないためには、結論を得るまでの過程を上手に整理し、結論の根拠も含めて提示できるように議論を進めなければならない。

 結論の表現にこだわる背景も、考えてみると面白い。最大の問題は、物事を検討する方法の基礎すら知らない点にある。同様に、物事を適切に評価する方法や、建設的に議論する方法も知らない。さらに悪いのは、自分が知らないことに気付いていない点だ。大学ですら教えてくれないのだから仕方ないが、あまりにも情けない状況といえる。
 こんな現状なので、いろいろな会議室での議論がマトモに進むことは、めったにない。結論の表現にこだわらないようにするためにも、検討方法や評価技術を教育する必要がある。私としては、高校や大学で教えるのがよいと思うのだが、それらの関係者はそう思っていないようだ。
 そして、このような教育内容が欠けている点こそ、最大の教育問題なのである。この点も、多くの教育関係者は理解していないようだ。


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