川村渇真の「知性の泉」

浮遊思考記録−2002年07月


●2002年7月16日

名言や学問に欠けている重大な要素

 世の中には、名言と呼ばれる言葉が数多くある。今でも、雑誌、ウェブページ、電子会議室の発言などで、何か良い内容を説明するときに引用されている。対象となる人物は、孔子や孟子といった儒学者、ソクラテスなどの哲学者、優れた実績を残した研究者や経営者、人道的な素晴らしい行為をした人々、という具合に幅広い。
 このような名言だが、それを聞いた人には、どのような影響を与えるであろうか。「よく分かった。今後は、名言に従って行動し、良い成果を出そう」と思うのだろうか。残念ながら、そうはならない。「なるほど。良い言葉だ」と思うぐらいが関の山で、その人の良い成果にはつながらない。さらに、良い言葉だとすら思わない人も多い。
 おそらく、引用する側も、そんな様子に気付いているのだろう。だからこそ、名言を単に引用するだけでなく、その価値や意味を説明しようとする。なぜ価値があるのかだけでなく、実社会での現象を交えながら。しかし、解説付きで紹介したとしても、「良い言葉だ」と思う程度が限界で、良い成果にはつながらない。
 このような現象だが、よく考えれば当然だ。名言を紹介している本人が、名言を良いと思うまでの過程を調べると、その理由が見えてくる。名言の紹介者も、いろいろな経験や思考を繰り返すうちに、大事なことが分かってきた。その内容が、名言の意味するところと同じだと気付き、名言の価値を知ることになる。つまり、名言によって良い内容を知ったのではなく、それとは別な経験や思考によって知ったわけだ。唯一の例外があるとすれば、完全に気付く直前に名言を知り、最後の段階で名言が役立つ場合だろう。これでさえも、気付くのに役立った大半は、本人の経験や思考である。
 というわけで、名言を解説付きで紹介したとしても読み手の成果につながらない理由が、ぼんやりと見えてきただろう。紹介者が経験や思考から得た部分が、説明の要素として足りないわけだ。多くの人が成果を得られない状況なので、重大な要素が欠けているといえる。

 では、どんな要素が欠けているのだろうか。全部の名言に当てはまるわけではないが、重大な要素として考えられることを何個か挙げてみよう。実際に行うレベルでの具体的な作業内容、本当に効果があるという裏付け、適用できる条件や分野、実行するために必要な能力、成功するための注意点、期待される成果などだ。これらが含まれていれば、試してみようと思うし、自分ができそうかも推測できる。実は、これらこそ、名言を紹介した人が、名言以外の経験や思考から得た内容に他ならない。
 こうして挙げてみると、どの要素も簡単に説明できないことが分かる。短い文章で説明するのが難しいだけでなく、説明内容を作ること自体が相当に難しい。だからこそ、名言を聞いただけでは、名言の内容どおりできるようにならないのだ。
 欠けている要素が分かったため、もう1つの特徴も導き出せる。名言を紹介している人が、名言どおりに行動できるとは限らない点だ。実際、名言を紹介している人のうち、名言の内容を実行できる人の方が少ないだろう。紹介者ができるかどうかは、名言の解説文よりも、他の様々な意見を数多く読むことで判断できる。実際、本当に優秀な人は実在し、数多くの名言を紹介している。名言以外の良い内容と一緒に。ただし、該当する人は非常に少ない。
 名言とその解説だけでは、読んだ人に良い成果を与えられないと理解できたら、紹介する方法を改良すればよい。名言の内容を実現するために必要なことを数多く提供するとか、名言の紹介以外の方法で補うとか。そうすれば、読み手に成果を与えられるし、紹介者自身が「話す内容だけ一人前」でないことも証明できる。
 以上の内容は、名言紹介の読み手にも関係する。単純に「良い言葉だ」と思うのではなく、それに関する実現方法、根拠、適用範囲、期待成果などを考えてみよう。また、それらを紹介者が持っているかどうかも見極めよう。もし持っている人なら、紹介者は貴重な人材なので、その人の意見を数多く読んで、良い内容を幅広く吸収すればよい。

 上記のような名言の特徴は、学問も持っている。我々は、非常に多くの時間を学問に費やす。大学を順調に卒業するとしたら、小学校から始めて16年間という長さだ。これだけの時間を使ったのに、社会に出たとき、基本的なことができないのを思い知る。自分の考えを文章で書けない、論理的に思考できない、適切に評価できない、マトモに議論できない、分かりやすく報告できない、上手に依頼したり引き受けたりできない、的確に質問したり回答したりできないなどだ。できないことだらけなので、マトモな人なら愕然とするだろう。
 このような結果になる理由も簡単。名言と同様に、重大な要素が欠けているからだ。学問の中には、社会で活動するのに必要な要素が、ほとんど含まれていない。どれも社会活動で必要なことなのだが、なぜか含まれていない。学校では、そうした学問しか教えてくれないので、できない状態のまま卒業してしまう。
 その結果、世の中はどうなっているのだろうか。自分の考えを文章で書けない、論理的に思考できない、適切に評価できない人だらけになっている。また、大学の教官でさえ、これらをできない人がほとんどだ。学問を行う場合にも、実は必要な要素なのに。
 数は極めて少ないものの、できる人もいる。では、どうやって身に付けたのだろうか。仕事を中心とした数多くの経験からだ。それも、単に経験するのではなく、質の高い成果を出すにはどうしたらよいのか真剣に考え、いつでも工夫しながら仕事をする意識があって、ようやく身に付けられる。もちろん、短期間にではなく、10年や20年といった長い時間をかけて。

 名言紹介と学問教育に共通する点を、もっと別な角度から見てみよう。その視点とは、得られる効果の評価だ。名言の紹介なら、紹介による効果を適切に評価する。学問の教育なら、教育による効果を適切に評価する。それらが正しく行われていれば、効果の高い方法が選ばれ、どんどんと改良されていく。
 こうした作用が働くと、少しずつ変化するはずだ。名言の紹介では、紹介方法が改良されたり、名言による紹介自体をやめて、別な方法に切り替えたりする。学問の教育では、教育内容を入れ替えたり、教育方法を新しく考案したりする。
 名言紹介は個人的な活動なので、欠点があっても構わないが、学問の教育は違う。多額の税金を使っているだけでなく、多くの国民が膨大な時間を費やしている。質が低くて構わない分野ではない。しかし、現状を見ると、効果を真剣に考えてない人が、教育分野には極めて多い。
 効果を考えないから、効果の低い活動が延々と続く。そんな状態に疑問を持たない人が、「数学を勉強すると、論理的な思考能力が高まる」とか、「人間的な成長には、リベラルアーツ教育が大事」などといった、的外れな内容を主張する。大事なことを分かってない、典型的な発言である。どちらも、効果の大きさを考えてみれば、正しくないと簡単に分かるのに。

 名言紹介や学問教育以外でも、効果を考えることは非常に大切だ。自分が考えている内容を紹介したり提案するとき、どの程度の効果があるのか、冷静になって評価してみよう。評価結果が低いなら、高くなるように改善しなければならない。こうした過程を何度も通ったものなら、読み手にとって役立つ内容になりやすい。逆に、効果を考えない内容だと、書き手の自己満足で終わるだろう。
 ここまで読んで気付いた人もいるだろうが、本サイトで一番力を入れているのが、この「名言や学問に欠けている重大な要素」に該当する内容である。「それを、いかに明確に示すか」を深く考えながら、サイトの中身を作っている。
 もう1つ、「脳ぐちゃ」を除いた本サイトの内容で、名言がほとんど登場しない理由も分かっただろう。効果があまり期待できないから、取り上げないだけなのだ。その代わり、名言に欠けている重大な要素の部分を、できるだけ詳しく説明するように努力している。扱っているテーマ数が多いのに加え、書くのに割り当てる時間が限られているので、限界はあるが。

●2002年7月19日

意見のレベルを向上させる方法

 インターネットの普及により、人々の意見を述べる機会が増えている。実際、世の中へ文句を言ったり、何かを提案している人は、以前よりも目にするようになった。
 では、意見の質はどうだろうか。残念だが、ひどいものが非常に多い。また、良さそうな意見でも、物事を表面的にしか捉えていない内容が多い。根本的な原因は、論理的思考方法を身に付けていないことだが、それ以外にも原因はある。自分の意見の質を冷静に評価できてない点だ。自分の意見がどのようなレベルにあるのか知って、少しでも質を高める意識がないと、同じレベルの内容ばかり言い続けることになる。
 ところで、意見のレベルとは、どのようなものだろうか。簡単に表現するなら「どの程度まで突っ込んで検討しているのか、複数の段階に分けた結果」がレベルである。各レベルの内容は、意見の目的によって異なるため、目的が問題解決の場合のレベル分けを取り上げてみよう。

意見に含まれる内容のレベル分け(問題解決編)
・問題箇所指摘:〜が問題/〜が重要(通常は複数あり)
・原因指摘:〜が起こっているのは〜が原因(通常は複数あり)
・解決方向示唆:〜方面に解決の糸口あり(不確実)
・解決方法提示:〜なら確実に解決できる(1つだけ提示)
・評価方法提示:解決方法の評価は〜で
・最良解提示:〜や〜が考えられ、〜が一番良い(最良解を選択)
・成功条件提示:〜の形で行えば成功する(実施方法や成功条件)
・次段階示唆:さらに先には〜がある(解決後の状況)
(これ以降のレベルは省略)

 見て分かるように、1番目が最も低いレベルで、下に行くほどレベルが高い。レベル分けが理解しやすいようにと、思考する順序に沿って並べたため、1番目が低いレベルとなった。
 最初の「問題箇所指摘」は、どんな点が問題か、どの部分が重要なのかを指摘するだけの意見だ。もう少し良くなると、問題点の原因を指摘する内容を含む。次の段階では、解決に役立ちそうな考え方や方向を示唆するものの、その確実性は低い。さらに進むと、具体的な解決方法や、その評価方法などを提示する。考えられる解決方法を全部挙げ、評価結果を比較して最良解を選ぶと段階まで達すると、かなり良いレベルになる。
 当然ながら、指摘した原因や提案した解決方法の中身が悪ければ、良い意見ではない。原因や解決方法を含んでいることが大事なのではなく、それらの中身まで良いことが、もっとも重要なのだ。
 こうしたレベル分けでは、問題解決後の状況も含められる。新しい問題が発生するとか、それを防ぐために何が必要だとか、思考能力が素晴らしければ、どんどんと先に進められる。ただし、それが当たっている確率は低くなるし、もし当たっていたとしても、聞いて納得する人は非常に少ない。

 実際の意見を見ると、1番目の問題箇所指摘レベルで終わっているものが多い。このレベルの意見の特徴は、読んでも役に立たない点。解決方法に触れていないのに加え、指摘した問題点も、どこかで読んだことがあったり、自分で考えて導き出せる内容が多いからだ。意見から生じる効果が非常に小さため、価値の低い意見となる。
 優秀な人ほど、自分の意見の効果を冷静に考える。その結果、問題点の指摘で終わらず、原因を調べて、解決方法まで導き出す。ここまで達してから意見を述べるので、価値の高い意見になりやすい。その意味で、こうしたレベル分けは、意見の質を高めるためのガイドラインとしても役立つ。
 逆に、数多くの意見を長く言い続けるのに、いつも問題箇所指摘レベルで終わっているなら、まったく進歩がないといえる。もし自分の意見の効果を冷静に評価しているなら、問題箇所指摘レベルを繰り返すはずがない。意見のレベルを上げようとして、次のレベルへ進むはずだ。たとえ自分が考え出せなくても、資料を調べたり誰かに尋ねる方法で何かが得られるので、それを意見に含めれば、次のレベルへと上がれる。問題箇所指摘レベルの意見を繰り返す人は、こうした意識を持っていないのであろう。
 実際、問題箇所指摘レベルの似たような話を、何度も何度も繰り返している人がいる。おそらく、意見を述べたことで自己満足するのが一番の目的なのだろう。

 たいていの意見は、何か問題になっている話題に関係する。その意味で、問題解決のレベル分けは、かなり多くの意見に適用できる。すべての意見に適用すると大変なので、大事な問題に関して何か述べる際には、自分の意見がどのレベルに属するのかや、レベルを1つでも上げるように考えてみるとよいだろう。
 問題解決に該当しない意見でも、次のように評価すると、意見のレベルが大まかに分かる。対象となる意見を読んだ人が、意見の目的に沿って何か行動を起こすとき、役に立つ具体的な内容がどれほど含まれているか、冷静に見極める方法でだ。レベルの低い意見ほど、雰囲気だけで説明していて、実際に行う方法に触れていない。そのため、読んだ後に何もできず、読む前とほとんど変わらない。逆に良い意見ほど、実際に役立つ内容を含み、読んだ後に活用できる。
 こうした視点で自分の意見を評価し、役立つ内容を少しでも増やせば、意見のレベルが高められる。何十年も似たような低レベル内容を言い続け、他人から「進歩してない」などと言われないように、自分の意見を冷静に評価しよう。


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