川村渇真の「知性の泉」

浮遊思考記録−2002年01月


●2002年1月25日

失敗例を数多く知っても、良い方法は身に付かない

 何日か前に友人から、雑誌「日経コンピュータ」(情報システムの構築や運用に関わる総合誌)の連載「動かないコンピュータ」が再開したと聞いた。この雑誌は、かなり前に何年も購読して、その頃から人気の連載だった。ここ何年も読んでないので、途中で中止になったことすら知らなかったが。
 連載の内容だが、システム開発の失敗事例を紹介しながら、失敗の理由を読者に伝える形式を採用していた(再開後の形式は知らない)。現状のシステム開発は、途中で中止したり、かなり遅れて立ち上がったりと、予定通り完了することが少ない。それだけに、失敗の事例を参考にし、多くの開発者に役立ててもらうことは、それなりに意味があるだろう。
 しかし、私の場合は、1年ぐらい(約25回分ほど?)は毎号読んだものの、それ以降は読まなくなった。1年も読むと、過去に読んだものと似た事例ばかりに思えたからだ。似た内容をいくつ読んでも時間の無駄であり、読みたい本は他に数多く残っていたし。
 そもそも、良い方法を身に付けるためには、失敗例を数多く知ってもダメだ。失敗例から学べるのは、失敗しないための注意点であって、上手に行うための方法ではない。また、知る失敗数が増えるほど、内容の重複部分も増してくので、ある程度の数だけ知れば十分となる。
 良い方法の修得には、まず良い方法を知り、実際に使ってみる必要がある。たいていの方法は、自分で試してみないと、なかなか身に付かないからだ。また、試すことによって長所と短所が分かり、適用すべき範囲や条件が知れるし、自分に合う形への改良もできる。さらに、複数の方法を試し、良い点を合わせた方法に仕上げたりもできる。

 実は、転職(正しくは転社?)にも同じことが言える。悪い組織を数多く経験しても、能力がなかなか高まらない。効率良く能力を高めるためには、複数の良い組織を渡り歩く方法が効果的だ。組織ごとにやり方が異なるので、複数の良い方法を経験できる。また、良い組織では自分たちで改良するのが普通なので、そうした能力も身に付く。おまけに、能力の高い仲間と数多く知り合いになれる。
 もちろん、悪い組織も一度ぐらいなら経験する価値がある。悪い例を知ることで、良い組織のどんな点がどの程度良いのか、明確に理解できるからだ。ただし、悪い組織に長くいても時間の無駄なのに加え、自分の能力が低下する危険も増すため、状況が理解できる程度の短期間で終えた方がよい。それと、経験する順序だが、良い組織を先に経験してからでないと、悪い組織の悪い点を見つけられないので、経験の価値が下がる。最低でも2社目以降、できれば3社目以降に経験するのが望ましい。

 前述の「動かないコンピュータ」だが、多くの人は勉強のためではなく、読み物として面白いから読んでいるのだろう。自分にも起こり得る、他人事ではない出来事として。だとしても、ここで解説した効果の度合いは正しく理解しておきたい。
 大事なのは、良い方法を知って試すことであるが、何かのきっかけがないとなかなか勉強しないものだ。失敗例の記事を読んだ後は、改善の意識が強まるので、そうした機会として利用すれば、読んだ価値が少しは高まるだろう。

●2002年01月26日

茶番劇の結末は?

 低レベルな争いが、また国会で始まった。もととなったのは、フガニスタン復興支援国際会議における、一部NGOへの参加拒否事件だ。鈴木宗男議員が外務省に圧力をかけたのではないかと、田中外相が質問され、事務次官から聞いた話として、肯定する内容を回答した。その後、鈴木議員も事務次官も否定し、「言った」か「言ってない」かでもめている。
 参加を拒否された「ピースウィンズ・ジャパン」の代表が記者会見を開き、外務省幹部から電話がかかってきて、「鈴木議員が怒っているので謝ってほしい」という内容だったことを明らかにした。これで、田中外相の方が正しい可能性は、かなり高まった。おそらく、今回の真実は次のようなことだろう。
 自民党議員と官僚は、持ちつ持たれつの関係で、今でも続いている。そのため、特定の議員が何か文句を言うと、官僚が対応してくれるし、逆の場合も同様だ。また、表向き用として、ウソでもいいから話を合わせておく。両者の暗黙の了解(ルールのようなもの)として、みんなで今まで守っていた。
 しかし、守らない人が現れてしまった。田中外相だ。外務官僚も自民党議員も、さすがに驚いただろう(これまでの田中外相の行動から考え、驚きは小さかったであろうが)。こうしたルールを守らない人には、みんなで制裁を加えるしかない。誰もが「言ってない」側に付いて、田中外相がウソを付いているように見せる。ルールを守らない人が再び出ないようにと、こうなるぞという“見せしめ”の意味もある。
 以上のようなことは、小泉首相を含めた自民党議員も、外務官僚も気付いている。また、外務省以外の官僚も、自民党以外の政治家も気付いている。さらに、取材している記者達も気付いている。もちろん、明確な証拠がないためか、「どちらが本当か不明」などと書いているが。全体的には、関係者の全員が気付いているにも関わらず、誰もが真実を本気で追究していない。結果として、「言ってない」側が優勢のように見えている。これこそまさに、茶番劇だ。そして、劇を見せられている相手は、我々国民である。
 さて、この件の結末は、どうなるのだろうか。こんなときこそ、徹底的な取材によって、言った証拠を手に入れるのが、真のジャーナリストだ。ダメ組織の代表格である外務省にも、マトモな人材が一人ぐらいいるだろうから、何とか証拠を見付けてほしい。しかし、過去の結果から予想すると、「言ってない」側が優勢のまま、あいまいな形で終わる可能性が高い。「言ってない」側も、本気で調べられたら真実がバレる可能性があるため、このまま静かに終わってほしいと思っているだろう。
 この茶番劇は、情けない行為の集大成である。出席させないように圧力をかける議員、それに応じる官僚、そうしたことを集団で隠そうとする政治家と官僚、気付いていても徹底的に取材しない記者など、情けない行為ばかり目に付く。中でも、集団で隠す行為が一番情けない。
 この茶番劇を見せられている国民全員が、馬鹿なわけではない。世の中の実情をよく知っている人ほど、みんなで口裏を合わせているだけだと見抜いている。しかし、茶番劇に参加している人は、そんなこと気にしない。そういう人たちだからこそ、茶番劇が平気でやれるわけだが。
 それから、もう1つ。こうした参加拒否の際に、明確な理由を言わなくて済んでいる状況も、茶番劇を支えている。この点も、今後は直さなければならない。


下の飾り