川村渇真の「知性の泉」

浮遊思考記録−2001年12月


●2001年12月13日

日本の大学卒業の実質的な価値

 どの雑誌で読んだか忘れたが(かすかな記憶ではニューズウィーク日本語版だと思う)、日本の教育の一番の問題点は、大学を中心とした高等教育のレベルの低さだという。そうした大学を卒業すると、どのような価値があるのだろうか。その実質的な価値を分析してみた。
 日本の有名な大学では、入学するのは大変だが、いったん入学できてしまうと、卒業するのは難しくない。以前よりの成績が低下しても、多くの人が順調に卒業できるため、平均的な成績さえ確保できれば、問題なく卒業できる。たとえ学生全体が勉強しなくなっても、教官側で成績をシフトしてくれるためだ。
 ただし、明らかに問題があると認識される行動をしたら、退学になってしまう。また、授業へ出席せずにさぼってばかりいるとか、レポートを提出しないなどの不真面目な行為をしては、進級できない。こうした問題外の行為をしないことも、必須の条件となる。
 こうした現状なので、卒業証明書を得るために一番難しいのは、入学することといえる。入学するためには、入学試験の合格が必須なので、卒業するための一番の難関は、入学試験の合格なのだ。
 ここまでの検討内容をまとめれば、大学卒業の実質的な価値が見えてくる。一番の価値とは、「入学試験に合格したこと」である。もう1つ「在学中のヘマをしなかったこと」も含んでいる。こうした点を踏まえて、卒業証明書に適切な呼び名を付けるなら、「入学試験合格証明書&在学中のヘマをしなかった証明書」となる。これだと長すぎるので、一番重要な点だけ示す形の「入学試験合格証明書」の呼び名でも構わない。
 卒業証明書の他に、成績証明書というのもある。こちらも問題が多い。毎年または何年か周期で同じ試験問題を使い回す教官がいたり、全体の学習レベルが下がっても普通に合格点を与えるので、優秀な成績かどうかは読みとれない。その意味で、あまり価値のない証明書といえる。
 では、一番の価値である入学試験合格は、どんな価値があるだろうか。それは試験に用いた問題の質で判断できる。たいていの試験問題は、知識を理解しているかではなく、知っているかを調べるタイプに属する。こんな試験問題の成績が良くても、現実の様々な課題を処理する能力には、あまり関係がない。つまり、入学試験合格も高い価値を持つわけではない。
 以上の内容を理解できたら、日本の大学卒業の価値を、あまり大したことがない捉えられる。今後は、その程度の扱いをして、本当の能力を見極めることに、力を注いだ方がよい。とくに人事担当の人は。

 もう1つの重要な問題は、こうした状態で良いのかどうかだ。実質的に入学試験合格を証明するということは、入学前の勉強の成果で、卒業を与えていることに等しい。在学中に関しては、ヘマをしなかった(大きな問題を起こさなかった)だけしか関係していない。大学の卒業なのに。大学関係者は、こうした分析を知って、何とも感じないのだろうか。私が当事者なら、「相当に情けない状況」と感じ、何らかの対策を検討して、急いで実施するだろう。
 一番の問題は、簡単に卒業できてしまう点にある。そのため、有効な対策は、卒業を難しくすることだ。ただし、卒業できる学生の割合を低くする方法はダメだ。学生の学習レベルが下がったときでも、一定割合の学生が卒業でき、卒業生の質が低下する。そうではなく、一定レベルの成績を取れなければ卒業できなくする形にする。こちらの方法だと、卒業生の質を高く維持しやすい。
 卒業を難しくしたら、入学の段階で絞り込む必要はない。試験を撤廃して、誰にでも門戸を開放する。卒業が大変なので、その点を明確に示せば、明らかに可能性のない人は入学しないだろう。何年も進級できない学生が増えても困るので、何年か続けて落第した場合は去ってもらう形にする。もちろん、休学している学生は除いて。
 門戸を広げると、社会人が多く入学するようになる。そうした学生が増えると、社会経験のない学生にとって、貴重な情報源になる。また、いったん社会で働いた後で、大学で勉強するという流れも容易になる。いろいろな面で良い環境に変わるだろう。
 もっと大事なことがある。以上のような分析を、大学関係者は誰もしなかったのだろうか。とくに卒業の実質的な価値を。こうした分析結果が公表されてなかったり、話題にも上らないとしたら、「大学で教えている側の人材は大したことがない」と評価されても仕方がない。

●2001年12月15日

物事の価値を分析する方法(1)

 大学卒業の実質的な価値に関する分析結果を読んで、どのように思っただろうか。おそらく、自分たちが“何となく思っていたもの”よりも、低い価値しかないなと感じたのではないだろうか。このような結果になる最大の原因は、世間で言われている一般的な内容を、疑わずにそのまま信じるからだ。そうならないためには、物事の価値を分析するための方法を身に付けることと、それを適用しながら自分で分析する癖を付けることの2点が必要となる。
 2つのうち、説明が簡単な方を先に取りあげよう。癖を付けるというのは、何を聞いたときでも「本当だろうか?」と少し考えてみる意識である。こうした癖が付いてないと、分析方法を身に付けたとしても有効に生かせないので、必須の条件となる。この癖は意外に大事で、だまされにくい人間になるメリットも生む。
 2つ目の価値の分析方法は、それほど難しくない。簡単な質問に答える作業の繰り返しにより、価値がだんだんと細かく見えてくるように誘導する。まず最初は、対象となる事柄を実際に得るために、何が大変かを考えてみる。ここでは、「実際に得るため」という部分が非常に重要で、できるだけ具体的な例を調べながら挙げてみる。もし複数挙がったなら、大変な順に並べる。次に、挙げた事柄の実質的な価値を考えてみる。その価値の合計が、対象となる事柄の実質的な価値である。
 分析する対象によっては、挙げた事柄の実質的な価値を、簡単には判断できない場合もあるだろう。そんなときは、この価値分析方法を、挙げた事柄に対しても適用する。その事柄を実際に得るために必要な事柄を挙げ、その事柄の実質的な価値を考えてみる。この手順を、必要な分だけ繰り返すわけだ。
 こうした作業を外から見ると、最初の対象を何段階かに分けて、細かく分解しているのに等しい。順番に分解しながら細かくなっていくので、使うのに特別な能力が求められるわけではない。「分析対象を実際に得るために何が必要か」という質問に答えるだけだ。対象に関して詳しくなければ、詳しい人に尋ねるなどの方法で調べればよい。
 単純な質問に回答しながら得られた結果は、得られた順番に並べるだけで階層的に整理できる。この形だと内容が分かりやすいので、説得力の高い内容になりやすいし、第三者のレビューも容易となる。この点も、見逃せない特徴である。
 以上のような分析は、慣れるまでは書きながら進めた方がよい。目に見える形に書くことで、頭の中が整理できるからだ。また、階層的な整理が分類の効果を持ち、漏れている事柄も見付けやすくなる。試してみると、階層が多いときほど、書いて整理した効果を実感するだろう。書き方だが、挙げた事柄を箇条書きにするだけで十分なので、メモ用紙で構わない。こうして何十回も繰り返し、分析に慣れてきたら、頭の中だけで考えられるようになる。それでも、難しい対象の場合は、書きながら分析した方が、良い結果が得られやすい。
 実際には、何でもかんでも価値を考えると大変なので、重要な事柄に対してだけ適用すればよい。世間で起きた重大事件とか、人生の岐路に関係しそうな事柄などだ。また、普段の生活の中でも、自分が大事だと思っていることに用いると、いろいろな面で役に立つだろう。

 紹介した分析方法を、大学卒業の価値に適用してみよう。大学卒業を得るためには、入学試験に合格することと、途中で退学しないことの2点が、卒業を得るために重要な事柄になる。次は、挙げた2点に関して、その価値を考えてみる。入学試験合格の方は、入学試験で良い成績を残すことなので、試験問題を解ける能力が価値となる。途中で退学しないことの方は、在学中に悪くない成績を残すことと、ダメな行為で退学にならないことが挙げられる。こちらの方はこの辺で理解できるので、入学試験問題が解ける能力の方をもう少し考えよう。この価値は、試験問題の種類によって決まる。試験問題の多くは、知識を理解しているかではなく、知っているかを調べるタイプだ。続けて、知識を調べるタイプの試験問題が、どういう価値を持つのか考えることになる。キリがないので、これ以降は省略しよう。
 実際に適用した例を見て、難しいと感じただろうか。「あれぇ、意外に簡単かも知れない」と思った人が多いのではないだろうか。そのとおりで、基本部分は意外に簡単なのである。作業の中で難しいのは、「実際に得るために何が必要か」を調べる部分のことが多い。こうした特徴を持つので、かなり多くの人が活用できると思う。
 現状で一番ダメなのは、こうした方法が世間に知られてない点だ。大学を含む学校教育でも教えてくれない。そのため、誰かが少し分析すれば判明するようなことも、間違った内容のまま世間に信じられている。そうした内容が、意外に多く存在する。これからは、自分で分析するように癖を付け、間違った内容を修正しよう。そんな人が増えると、より多くの事柄の価値が適切に認識されるはずだ。

 ここまでは価値を分析する方法の話だが、一般的な検討では、ここで終わることはまずない。実質的な価値が明らかになると、それ良いのかという問題が生じるからだ。もし大した問題がないと判断できたなら、その時点で終わって構わない。逆に問題だと判断すれば、必要な対処を検討する作業に移る。こうした点まで考えることも、通常の検討作業に含まれている。

●2001年12月18日

物事の価値を分析する方法(2)

 物事の価値を分析する方法だが、実はもう1つある。前に述べた「得るために必要なもの」を調べるのと、ちょうど逆方向に進みながら分析する方法だ。「得た後で何が変わるか」を調べて、対象物の価値を明らかにしていく。ここでは仮に、前者を「取得課程価値」と、後者を「取得効果価値」と呼ぼう。
 取得効果価値を調べる方法は、商品のように購入したものの価値を分析するのに適している。また、商品以外だと、専門分野の資格などにも適する。たとえば、その資格を持っていなければ、関係する仕事に就くことができないなら、かなり重要な価値といえる。
 取得効果価値の分析方法では、「対象物を得ると何が変わるか」の質問を用いる。主な変化を何個か挙げて、重要な順に並べる。対象が商品なら、それを使って新たにできることだけでなく、所有することによって得られる満足感なども変化に含まれる。満足感の中には、他人に自慢できるといった事柄もある。できるだけ具体的に挙げると、価値を正確に把握しやすい。
 取得効果価値の分析で重要なのは、挙げた後の作業。主な変化の中身を掘り下げながら、実質的な価値を明らかにする。挙げた変化の中には、実際には大した価値がないのに、価値があると人々が信じているために、生じるような変化もあるからだ。
 たとえば、有名大学の卒業もその1つで、頭の良い人物と思われることが多く、就職時の書類審査にパスしやすいなどのメリットがある。しかし、前回の(1)で述べたように、有名大学卒業の実質的な価値を分析すると、大したことがないと分かる。その意味で、ニセ物の価値といえる。こうした点を理解している企業は、有名大学の卒業だからといって、特別に優遇することはしない。
 ニセ物の価値は、意外に多く存在する。適切な分析を行わずに、世間一般の価値観を有名人の発言を信じるからだ。多くの人が信じているのだから構わないのでは、と考える人もいるだろう。しかし、ニセ物の価値を信じていると、結果的には損してしまう。有名大学卒業が優秀だと勘違いする例なら、それを採用した側では期待した成果が得られないし、卒業者本人も適切な努力を怠って実力が高まらなかったり、間違った方向へ進んで失敗したりする。逆に勘違いしてないと、適切な試験方法を用意して採用を決定できる。世の中の流れとして、少しずつだが、ニセ物の価値がバレる方向に向かっていて、価値がだんだん小さくなりつつある。
 仕事をするのに必須の資格なら、どうだろうか。必須という状況が変わる可能性は少ないため、仕事をするだけなら、不動に近い価値がある。ただし、同業者間の競争があり、優劣によって得られる利益が大きく違うほど、仕事をするだけの価値が低くなる。業界に健全な競争があるかどうかで、必須資格の価値が決まる。
 取得効果価値の中で特徴的なのが人間の満足感で、より大きく感じるほど価値が高い。こうした感覚の大きさは、かなりの個人差があるので、同じ対象物でも個人によって価値が異なる。また、感覚という意味では、ニセ物の価値でも構わない人もいるため、この点でも価値の個人差が大きい。取得効果価値全体の大きさで考えると、満足感の占める割合が高いほど、個人差による影響が強くでる。どの体の度割合になるかは、調べる対象物で異なる。このように個人差の大きいのが、取得効果価値の特徴である。
 人間の満足感は、ニセ物の価値に影響されやすい。最初は非常に満足していたのに、ニセ物だと分かった時点で、満足感が突然と消えることもあり得る。人によっては、ニセ物だといわれたとき、信じたくないという気持ちから、強く反発することもある。しかし、いくら反発しても、ニセ物と言われたことで満足感は低下するので、ニセ物が判明したとき価値が低下する点は同じだ。このように、価値の大きさが急に変化する、つまり不安定なのも取得効果価値の特徴となる。
 取得効果価値を調べる際には、個人差や不安定さの影響をできるだけ受けないようにしなければならない。そのためには、洗い出した個々の価値のニセ物度を、できるだけ正しく調べるしかない。

●2001年12月27日

物事の価値を分析する方法(3)

 この話も少し長くなってきたので、ここらへんで整理してみよう。得るために必要なものを調べる「取得課程価値」と、得た後で何が変わるかを調べる「取得効果価値」の特徴や関係も含めて。

 世間を見渡したとき、価値の解釈で意見が異なりやすいものの代表例に、資格がある。「実務で役に立つのか」や「取得に意味があるか」が問題となる。マトモに考えると、どんな資格試験でも本来なら、対象となる作業の実力で合格が決まるべきである。しかし、こうした点を調べる試験問題は、作成できる人が少ないだけでなく、試験の実施や採点にも手間がかかる。当然、試験の質を高めるほど、一人あたりの試験費用も高額になり、受験できる人が極端に減る。仕方がないので、対象分野の専門知識を知っているか調べる試験問題が中心になり、実際の実力とはかけ離れた基準で合格が決まることが多い。
 資格の価値を見極めるときは、こうした点を理解しなければならない。まず最初に、取得するのに何が必要なのか、つまり取得課程価値を調べる。それと、実務で必要な能力も調べる。この差が大きいほど、資格の実質的な価値は小さいし、試験内容が悪いといえる。実務能力を基準にしながら、取得課程価値によって資格の良し悪しを判断する方法だ。
 次に、取得効果価値を調べる。こちらはニセ物の価値も含まれるため、ニセ物の度合いを明らかにしなければならない。その判定に役立つのが、取得課程価値である。取得するのに必要な点が分かると、取得効果価値として挙げた各事柄と比べ、それぞれがニセ物かどうか判断できる。
 資格のように、取得課程価値が明らかにできる対象については、取得課程価値を基準とすることで、取得効果価値のニセ物を調べられる。つまり、取得効果価値よりも取得課程価値を信用するというわけだ。

 しかし、取得課程価値を明らかにするのが難しい対象もある。代表例は、金銭で購入する商品。販売する側が提示した金額のお金を支払うだけで入手できるため、取得課程価値は金額と等しい。ただし、同じ商品なのに、販売業者によって金額に差があったり、時期によって値段が変わったりするので、価値の安定度が低い。
 購入する際に考えるのは、自分にとっての取得効果価値と比べて、購入金額が小さいかどうかだ。もし取得効果価値よりも金額が低ければ、安いと感じて買うことになる。一般的には、同じ目的の商品が複数あるので、それぞれの取得効果価値と価格を比べながら選ぶ。また、時間の経過とともに金額が変化するので、買う時期も考慮の対象となる。
 商品のように取得課程価値が明らかにできない場合、取得効果価値のニセ物をどうやって調べるのだろうか。残念ながら、資格の場合と同じレベルの良い方法はない。普段の社会生活で得た価値観が、調べるための基準になる。一般的な傾向として、知的な思考能力が高いほど、ニセ物を見極める能力が高い。
 商品における取得効果価値のニセ物の代表例として、ダイヤモンドが挙げられる。ダイヤモンドを模倣できるガラス材料を使うと、素人が区別できないほど精巧に似た輝きの商品が作れてしまう。宝石のプロでさえ、ルーペで見ないと判断できないほどだ。それなのに、輝きが素晴らしいとダイヤモンドを購入している。当然、それを見せた相手にも価値が見分けられないので、「〜万円のダイヤモンドなのよ」と口で説明するしかない。なお、ダイヤモンドだけは宝石の中でも特殊で、ある組織が世界中の価格決定権を握っているため、価格が高く維持されている。一部の人間によって高く維持された金額で、多くの人が買っている状況である。その意味でも、本物の価値とは言い難い。
 こうしたニセ物の取得効果価値は、物事を冷静に評価できる人ほど信用しない。いくら高価なダイヤモンドを身につけたとしても、その人の人格が良くなるわけではないとか、自分自身がガラスを見分けが付かないのに多額のお金を払うなんて変だなどと、冷静に考えてしまうからだ。
 商品の取得課程価値は価格だが、それ以外の取得課程価値も、かなり突っ込んで調べれば、明らかにできることがある。製造した商品であれば、製造、流通、宣伝、管理、サポートなどのコストを計算して合計すればい。サービスが中心の商品でも、人件費などを計算することで求められる。こうして得た金額を基準にして比較すれば、販売側から提示された価格が妥当なのか判断できる。ただし、普通の人がコストを調べるのは非常に大変で、多くの人にとっては難しい作業だ。
 コストを求める方法にも、不確実な面がある。競争が厳しい商品なら、コストを限界まで低くする努力が働いているため、信用できる金額が得られる。しかし、競争が少ない商品の場合は、コストを低減する余地が多く残っていて、得られた金額の信頼度は低い。コスト計算の結果を利用する際には、こういった点も考慮して、価格の妥当性を判断しなければならない。

 ここまでの話で、取得課程価値と取得効果価値の違いや使い方が見えてきたと思う。どんな対象を調べる場合でも、基本的に両方の価値を見た方がよい。もし取得課程価値が明確に分かれば、それ基準として取得効果価値のニセ物を見極める。それにより、実質的な価値に加えて、世間の判断状況まで見えてくる。取得課程価値が明らかになったときは、これが実質的な価値となる。
 取得課程価値が明らかにならない場合、価値の判定は難しい。取得効果価値を1つずつ検討して、ニセ物を見付けるしかなさそうだ。ニセ物を除いて残った取得効果価値の合計が、実質的な価値となる。また、提示された金額が妥当かどうかは、簡単なコスト計算で取得課程価値を推測し、それと比べて判断する。
 物事の価値を分析する方法について、3回に渡って述べてきた。考えながら書き進んだが、当初に期待したレベルの説明には達しなかったようだ。イマイチの検討結果だったので、頭の回転が良いときに再び考えてみよう。


下の飾り