川村渇真の「知性の泉」

浮遊思考記録−2000年05月


●2000年5月25日

反対目的だけの意見を見極めて取り除く

 以前に厚生省が、父親も子育てに参加してもらおうというキャンペーンを実施した。有名ダンサーを起用したテレビCMまで作り、かなりの話題になった。CMの中で「育児をしない男を、父とは呼ばない」というセリフを言わせたのを、覚えている人もいるだろう。
 このキャンペーンの反響を、(具体的な名前は忘れたが)ある雑誌が取り上げていた。その記事によると、厚生省にかなり多くの意見が届いたそうだ。キャンペーンの主旨に賛成したは、育児で苦労している女性が多かったそうだ。当然の結果だろう。反対意見も紹介されていて、誰もが予想するとおり男性が多かった。
 記事で紹介された反対意見の中に、面白い内容を見付けた。ある男性からの意見で、要約すると「育児を誰が担当するかは、家族で話し合って決めればよいこと。厚生省が特定の考えを押し付けるのは良くない」という内容だ。確かに、家族の問題である。厚生省が口出しすべきことではないかも知れない。
 注目したのは、意見の内容ではない。意見を述べた人の行動というか、生活の態度にある。「家族で話し合って決めればよいこと」と言うからには、述べた本人がそのように行動していなければ、説得力は弱い。また、もし意見どおりに自分が行動していなければ、言う権利があるのだろうか。権利というのは少し大げさすぎるので、言える立場だろうかと表現したほうが適切かも知れない。
 ここで少し、この種の意見をわざわざ言う人の行動を分析してみよう。もし、妻と真剣に話し合って、育児の担当を決めていたとする。話し合って決めるというのは、相手の意見をただ聞いて無視するのではなく、意見を尊重して決定することだ。大変な作業である育児を、全部担当すると女性が言うことなど、ごく一部の例外を除くと考えられない。意見を聞いたなら、父親も育児を担当することに決まるのが普通だ。
 そんな父親なら、今回のキャンペーンを知ったとき、文句を付けるような意見を言うだろうか。おそらく、キャンペーンの内容に納得し、現状を考えてもっと広まってほしいと思うだろう。妻の意見も知っているし、それを尊重して行動しているからだ。絶対とまでは言い切れないが、このような可能性が非常に高い。
 では、キャンペーンの内容に文句を言う人なら、どんな風に考えるだろうか。内容が気に入らないから文句を言うわけで、基本的に賛成していないわけである。だとしたら、その男性は育児を手伝おうとは思わないはずだ。
 では、なぜこうした意見を述べるのだろうか。もっとも考えられるのは、反対するだけのために見付けてきたという理由だ。まず最初に反対したい意志があり、その理由をいろいろと考えてみる。「育児はもともと女性の仕事」といった他の意見は、男女平等の観点から反対されると説得力が弱い。しかし、この意見ならば、一見すると正論なので、突っ込まれにくい。このような思考の過程を経て選ばれたのだろう。こう考えると、こうした意見が反対する立場から出された理由を理解できる。
 意見自体に関しても、もう少し考察してみよう。「一緒に話し合った決めるべきこと」というのは、話し合って決めることが大前提にある。それを実行しなければ、この意見の価値はない。また、もし話し合う状況を作れなことが多いなら、その状況を解決するまで意味のない意見となる。こうして意見の中身を検討すると、現実を無視した意見という評価に落ち着く。
 以上のように、反対するのが目的の意見というのは、世の中にかなり多い。その意見だけを見るともっとものように思えるが、実際の状況まで含めて考えると、納得できない意見という評価になりやすい。
 この種の意見で一番困るのは、きちんとした議論を邪魔する点にある。まともな議論を維持したいなら、「あれ?」と感じるような意見に出会ったとき、実際の状況も含めて検討してみよう。また、出した本人の行動を調べ、意見どおりにやっているか評価するのも有効だ。こうして反対目的だけのダメ意見を排除できれば、議論や活動がスムーズに進められる。けっこう大切な視点なので、該当するような意見を一度評価してみたらどうだろうか。


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