川村渇真の「知性の泉」

浮遊思考記録−2000年04月


●2000年4月30日

上手に説明できない内容への反応

 何のテレビ番組なのか忘れたが、宗教や人間などを研究している人の意見が紹介された。人差し指で何かを指し示す行為というのは、人間に最初から埋め込まれた基本的な行動だというのだ。そのため、異なる文化で育った人でも、指差す行為だけは共通しているのだという(実際の表現は少し違ったが、大まかにはこのような意味であった)。
 この話を聞いたとき、大きな違和感を感じてしまった。確かに、どこの国の人でも、人差し指で何かを指し示すことが多い。だからといって、それが人間に埋め込まれた基本的な行動と言えるのだろうか。
 そこで、文化の違いに関係なく同じ行動を取るのか、ちょっと考えてみた。思い浮かんだのは、次のような考え方だ。人間の体の特徴から来ていて、そうするのが一番良いから、異なる文化でも同じ結果になっているのではないか。これで説明できそうな気がしたので、より具体的に考えてみた。
 何かを指し示す場合、対象が存在する方向に体の一部を向けたり近づけると良い。人間の体の中で、もっとも近づけるのは腕であり、それを伸ばしたときに一番強調できる。次に、手の部分の形はどうなるだろうか。指を全部伸ばすより、1本の指だけ伸ばしたほうが、対象への焦点がより定まる。では、どの指を使うのだろうか。まず、もっとも長い指である中指を使う方法が考えられる。しかし、実際に試してみると、問題点がすぐに見付かった。中指だけ伸ばす手の形は、力を結構入れなければならず、やりやすい動作ではない。
 もう1つ、手を素直に伸ばしたときの状態も見逃せない。短い親指を除くと、人差し指が一番上に来る。長さは中指とそれほど違わないので、人差し指だけが見えている状態となる。つまり、手を伸ばした状態で自分の目から見たとき、人差し指が一番目立って見える。また、上に付いている分だけ、中指よりも上側に飛び出て長く見える。
 以上のような分析を加えてみると、人差し指1本で指し示す行為は、人間の体の特徴から来たと推測できる。おそらく最初は、他の指し示し方もいくつか試されたのだろう。その中から人差し指1本の行為が残ったのは、それが一番優れていたからに違いない。人種や性が異なっても人の体は似ているので、同じ結果となるのは当然だろう。
 たいていの人間は、多くの人と暮らして社会を形成する。また、新しく産まれた子供は、親の行為を実際に見て、人差し指1本で指し示す行為を覚える。こうして、この指し示し方が社会に定着する。つまり、それが文化の一部として継承されるわけだ。
 ここで取り上げた意見を、もう少し別な視点で見てみよう。扱っている内容を上手に説明できないとき、「最初から埋め込まれた」とか「持って生まれた」という意見を出しやすい。他に「感性」という言葉もよく使われる。これらは、うまく説明できない場合の常套句であり、たいていは説明したことにはならない。
 実際、世の中には、分からないことがまだまだ多く残っている。適切な説明が得られない場合は、自説を無理して作り出さず、素直に不明だと表現したほうがよいだろう。そうすれば、後で誰かが解明したときに、間違いだと指摘されずに済む。
 また、説明を得るための方法を身に付けることも重要だ。今回の例なら、指し示すのにどんな方法があるのか、自分の体を使って洗い出すことができる。そして、それぞれの良し悪しを比べてみると、適切な説明が得られやすい。こうした分析方法や検討方法を身に付けることこそ、まず最初にすべきである。
 分析などの方法を身に付けたとしても、説明できないことは数多く出てくる。その場合は素直に「不明」や「分からない」と表現し、特別な状況を除いて「最初から埋め込まれている」や「感性」といった言葉を使わないようにしたい。逆に聞く側でも、この種の言葉が使われていたら、言った人にとって説明できていない内容だと判断しよう。


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