川村渇真の「知性の泉」

浮遊思考記録−2000年03月


●2000年3月17日

より美味しくの改善努力が感じられない料理

 先日、とある洋食レストランへ知人と一緒に入った。メニューを見たら、お店のお勧めメニューの先頭にオムレツライス。価格が1400円と少し高かったが、オムレツは大好きなので迷わず注文することにした。
 出された料理は、ライスの量が少なくて卵の部分が多かった。オムレツが好きなので、見た瞬間に当たりだなと思った。卵は半熟度合いがちょうど良く、卵の美味しさを楽しめると期待した。この時点で気分はワクワクだ。
 まず最初に、卵の部分だけを少しだけ食べてみた。味があまり付いていない。そこで今度は、オムレツの上にかかっているソースを付けて食べた。ここでガックリきた。ソースの味が強すぎて、卵の味がまったく消えてしまうのだ。仕方なく、ソースを少しだけ付けながら食べたが、適した量がなかなか見付からない。悪いことにソースは量が多く、すでにオムレツの半分にかかっている。そもそも、卵自体の味を引き出すようなソースではない。結果として、卵の美味しさをまったく味わえないまま食べ終わってしまった。
 この料理を食べてみて、大きな疑問が浮かんだ。卵の部分が多いオムレツなら、卵の美味しさを強調するように料理すべきではないか。ところがかかっているソースは、卵本来の美味しさを消すような種類の味付けになっている。何を考えて、このソースを選んだのだろうかと。おそらく、深く考えずに選んだのだろう。
 実際、ソースでも素材でも、深く考えずに選んでいる料理は多い。師匠に教えてもらったとか、一般的な組み合わせだという理由で、昔と同じまま作っている。卵の半熟度合いといった加工の仕方なら工夫する料理人はまだいるが、素材の美味しさを損なわない組み合わせとなると、工夫する人はかなり少ないようだ。
 卵の場合は、味の強さが弱いほうなので、あまり考えずにソースを選ぶと、卵自体の味を消してしまう。今回のケースがまさにそうだ。卵の量が多いオムレツなら、主役の素材は卵だろう。その美味しさを強調するように料理の内容を考えるのが、当然の考え方だと思うのだが。そういう客は少ないのだろうか。
 料理に限らず、何事も改良する余地は多い。そう思って努力している人と、そうでない人との差は、成果として明確に現れる。料理人の場合は、料理という形でだ。今回のオムレツライスは、残念ながら“より美味しくするという改善の努力”が感じられなかった。次回から絶対に食べないし、そのレストランにも行かないだろう。
 ちなみに、自宅の近くに安い台湾料理店がある。そこのエビ入り卵炒め定食は、たった580円なのに、上記のオムレツライスよりも卵が美味しく感じる。卵自体の加工がレストランより下手にも関わらずだ。多くの人が言うことだが、店舗の綺麗さとか価格の高さで店を選んでも、美味しい料理を食べられない。それを実感した食事であった。

●2000年3月31日

工夫を生み出すための意識

 どんな分野でも、いろいろと工夫して良い成果を出す人がいる。たとえば料理の世界なら、新しい素材の採用、素材の組み合わせ、加工方法、味付け、食器など、工夫する要素が数多くある。他の分野でも、質の高い結果を出すためには、様々な工夫が欠かせない。また、どんな分野のどんな作業でも、工夫する余地は相当に残っている。もし何かが満たされると、さらに上のレベルを求めるので、工夫の余地は永遠になくならないからだ。
 では、工夫する人としない人の違いは何だろうか。真っ先に挙げられるのは、現状を少しでも改善しようとする意識である。そんな意識を持たないことには、工夫など生まれない。実際、改善の意識を持っていない人のほうが圧倒的に多く、深く考えずに行動している。改善の意識を持つ人が少ないから、工夫する人が少ないという面が強い。また、好きなことをやっているからと言って、改善の意識があるとは限らないのも面白い点だ。
 どんな分野でも、現状よりも良くしようと考えたとき、いろいろな方向で工夫ができる。対象となるモノを直接改善する部分に限っても、基本的な性能や機能を向上させるだけでなく、デザインを改良して持つ喜びを感じさせたり、使っていて楽しく思わせたりする方法がある。それ以外では、改善しやすい環境を整えるような管理術、相手に良さを理解してもらう伝達手段などが考えられる。もっと幅広く見れば、いろいろなアプローチがあるだろう。
 人が持っている才能は、それぞれ異なる。持っている才能の種類によって、工夫を導き出せる箇所が違う。自分の好きな分野が見付かったら、どういった部分で工夫を作れるのか、きちんと調べたほうがよい。具体的には、いくつかの箇所で工夫を試み、どれが一番良い結果を出せたのか判定する。できるだけ幅広く試すと、1つぐらいは良い結果を出せる部分が見付かるだろう。
 どんな部分を工夫するにしても、大切なのは“最終的な結果を良くする”点だ。料理の工夫であれば、食べた人が美味しく感じることが該当する。レストランならもう少し広がり、食べに来て良かったと感じる点を重要視する。それを達成するためには、店の雰囲気や接客態度など、料理や価格以外の部分も関係してくる。その分だけ、工夫する余地が広がるわけだ。
 工夫を導き出すためには、普段から意識が欠かせない。「もっと良い別な方法があるだろう」とか「もっと良くする点があるだろう」とか、常に強く思い続けながら作業する。すると、ある瞬間に工夫のネタが見付かる。それを何度も改良し続けると、そこそこの工夫に仕上がる。具体的には、「どこをどういう風に変えたらよくなるだろうか」とか、「どんな機能を加えたり、どの機能を削ったりしたら、どんな結果になるのか」というように、試行錯誤を繰り返す。こういった地道な活動が大切なのだ。
 他人が作った工夫は、簡単にできたと見られやすい。しかし実際には、日頃から意識を高めてネタを探し、見付かった後でも相当に苦労して磨き上げている。簡単に導き出した工夫というのは、めったにない。その点を理解すれば、簡単にあきらめないで続けられるし、工夫を仕上げるまでの苦労も少しは軽減できるだろう。
 以上のように、良い工夫を求めるためには、意識の改革が不可欠だ。どんな分野にでも工夫の余地は相当にあるのだから、改良しようとさえすればネタは必ず見付かる。強く意識しながら常に考え続けるのが(生半可な意識ではなく、これを真剣に続けるのが)、成功のポイントだと思う。


下の飾り