川村渇真の「知性の泉」

浮遊思考記録−2000年02月


●2000年2月18日

知事や市長の行事参加は最小限にすべき

 知事や市長といった自治体の長がいろいろな行事に参加し、中心人物として挨拶をしたり、誰かを表彰する光景を見たことがあるだろう。正式な理由は知らないが、どんな自治体でも行われている。勝手な推測だが、社会的に地位の高い人なので、重要な行事に参加する義務があると思っているのではないだろうか。しかし、そんなことに時間を使っていて、本当に良いのだろうか。
 今の世の中、どんな自治体でも問題が山積みだ。地域の活性化だけでなく、地域環境の保全、老人介護などの福祉といった、簡単には解決できない問題が数多くある。自治体の長としての任期は限られているだけに、関係する部門や担当者と一緒に、より多くの時間をかけて検討しなければならない。問題が山積みなので、いくら検討しても時間が足りないだろう。そんな状況なのに、個々の仕事は役人に任せて、自治体の長は行事に出回っていて良いのだろうか。そんな行為は、大切な仕事へ注力していないことに等しい。
 かなり昔なら、こんなに難しい問題が同時に起こっていなかった。だからこそ、多くの行事に参加しても支障はなかった。しかし、時代は確実に変わり、問題の数が増え続けているとともに、個々の問題の難しさも増している。多くの行事に参加している余裕など、本当はないのだ。
 実際には、どんな行事に参加するかは、ほとんど役人が決めている。以前から参加している行事には、無条件に参加することと決めるだけだろう。自治体の長は、そのスケジュールに従っているだけで、どんどんと時間が過ぎてしまう。役人にとっては、自分たちの敷いたレールに乗り、行事に参加してくれるほうがありがたい。好き勝手に行政を進められるからだ。
 自治体の長としての責任を果たすなら、役人の言いなりにならず、重要な問題解決のほうに時間を割かなければならない。長である本人がノーと主張すれば、参加せずに済ませられる。断られた役人は、「前年までずっと参加しているので、ここで取りやめたら大変なことになる」などと言うだろう。この種の説得は、参加すべき直接的な理由を示してないので、正当な理由にはならない。役人の得意な、取って付けた理由の代表例だ。直接的な理由を役人に出させ、大切な仕事と重要度を比べさせれば、参加しろとは言えなくなる。もっと明確に、納得できる理由がなければ参加しないと言うだけでもよい。
 市民の一部には、行事に参加しないことで文句を言う人もいるだろう。そんな人に真意を伝えることも、長として大切である。検討している問題をすべて挙げ、解決に全力を尽くしている点を公表する。また、移動時間も含めて、何の作業に何時間使ったのか、具体的な時間配分を公表するのも良い方法だ。こうした情報を公開すれば、多くの市民が納得してくれる。
 表彰に関しては、自治体の長から直接表彰されたい人もいるだろう。この種の要望は、多くの行事に参加しなくても可能である。表彰の対象者を一堂に集め、順番に直接表彰する。その後で懇親会を開き、雑談形式で話をすれば、表彰された人もある程度は満足する。まとめての表彰式は、1ヶ月か2ヶ月に1度のペースで開催するとよいだろう。こうした方法なら、多くの時間を割かなくて良いため、より重要な作業に時間を割り当てられる。このように、どんな活動に関しても、既存のやり方を続けるのではなく、効率的な改善方法を検討すべきである。
 以上の話は、より重要な課題から優先的に対処するという、言ってみれば当たり前の行為。しかし、自治体の長の場合は、それが行われていない。部下に付いている役人も悪いが、長である本人の意識が低すぎるのが大きな原因だ。
 自治体の長となった人の意識を変えるためには、以上の内容を本人に知らせる必要がある。まず第1段として、市民の側から、行事への参加を減らすべきだと伝えてはどうだろうか。マトモな人材なら、本人が気付いてくれるはずだ。また、こういった意見が表面化することで、行事への不参加を実施しやすくなる。政治家や役人の意識が低いこの国では、このように市民が導いてやるしか、良い方向へ前進できないと思う。

●2000年2月29日

バブルを感じさせる素人プレゼン

 友人の会計コンサルタントが、クライアント企業でプレゼンを受けたときの話を聞いた。あまりにも情けない内容で、本当にあきれてしまった。こんなことが、未だに行われているとは。
 友人によると、プレゼンしたのは、インターネット広告をプロモートしているベンチャー企業だという。20代前半の二人の若者が来て、友人のクライアント企業にインターネット広告を出してもらおうとしていた。プレゼンの内容は、有名サイトへの広告金額を加算しただけで、数百万円の総額を提示した。しかし、その金額に見合う効果に関しては、まったく触れていなかったという。当然、説得力はゼロに等しい。
 広告のようなプレゼンでは、費用に見合う効果を提示するのが基本中の基本である。そんな当たり前のことも含んでいないとは、素人同然の内容だ。信じられないぐらいレベルが低く、お金をもらう企業がやるべきことではない。
 プレゼンを聞き終わった後、あまりにもひどすぎると感じた友人は、二人の若者に説教したという。こんな低レベルのプレゼンをするとは、世間をなめすぎていると言い、プレゼンの基本を教えたそうだ。
 低レベルのプレゼンを行った大きな原因は、若者が属する企業にある。マトモなプレゼンもできないのに、客先でやらせるべきではない。きちんと教育して、社内で試させた後で外に出す必要がある。そうしないと、その企業の信用を失いかねないからだ。素人同然のプレゼンを続けることは、自社の低レベルさを宣伝していることに等しい。つまり、非常に恐ろしい行為である。
 友人の話によると、若者が属する企業はインターネット業界で有名だという。社長も若く、インターネット関連の雑誌でインタビューを受け、「社員が若いから良い」と答えていたらしい。残念ながら、若いことの悪い面が最大限に出てしまった。どんな仕事でも、若いか年寄りかは関係ない。仕事の質が良いか悪いかが重要なのだ。そんなことも分かってないとは情けない。
 この話を聞いて、もう1つ気になった点がある。その企業が雑誌で取り上げられたということは、ある程度は儲かっているからだろう。だとすると、こんなプレゼンでも受注できる相手企業が存在することになる。それも凄い話で、プレゼンを評価する能力が相当に低いと言わざるを得ない。インターネット時代だから、ウェブで広告を出さなければと思ったのだろうか。おそらく、昨今のインターネット・ブームのおかげで、バブル的な状況も生まれているのだろう。ただし、こんな低レベルのプレゼンを続けていたら、ブームが収まったときには通用しなくなる。できるだけ早急に、仕事の質を上げることが大切だ。
 さて、今回の件で、一番得をしたのは誰だろうか。それはハッキリしている。二人の若者だ。説教されたことにより、プレゼンの基礎を知る重大な機会を得られた。相当なショックを受けたので、一生忘れられないだろう。だからこそ、それが自己改革のエネルギーとなる。そのとき本人たちは面白くないと感じたかも知れないが、絶対に良い経験を得ている。説教してくれる人がいたおかげであり、最終的には感謝しなければならないほどだ。そう思えるようになったとき、本当に成長したといえるだろう。


下の飾り