川村渇真の「知性の泉」

浮遊思考記録−1999年08月


●1999年8月13日

議論の場でないことを証明し続ける国会

 日の丸君が代実質強制法、盗聴法、国民総背番号管理法など、駆け込むように今国会で成立した。もっとも、意図が露骨に見えないように言葉を選んでいるので、法律の正式な名称は少し異なるようだが。
 今回の法律が対象とする内容は、非常に多くの意見があって、簡単には結論を出せない。だからこそ、十分に議論を尽くさなければならないはずだ。ところが、真剣に議論する様子はほとんど見られず、形式だけの言い合いを少しだけやり、最後は一気に採決してしまう。自自公の側は、議論する気など最初からなく、形式どおりに事を進めて、最後は採決するだけ。今回も、いつもと同じような流れだった。
 国会議員の多くが議論方法を知らない点は理解しているが、議論すらしない現状を見ると、本当に情けなく感じる。重要な問題ほど議論しない点も、変わっていない。また今回も、国会が議論の場ではないことを、世間に証明して見せた。何と素晴らしい議員たちなのだろうか。最適な誉め言葉が、まったく見付からないほどだ。
 学校でも他でも、きちんとした議論方法を教えてほしい。その中で、国会の審議(そう呼べない内容だが)を悪例として紹介し、多くの人に現状を知らせたらどうだろうか。それを続ければ、少しは良い方向に進むと思うのだが。しかし、やるはずがないな。
 今回のような議論なしの進め方に加わった議員へ、選挙で投票した人々はどう思っているのだろうか。そんなことは関係なく、選挙のときには、また同じような人に投票するのだろう。その結果、日本の国会の低レベルは、ずっと続くことになるのだろう。この「だろう」が思い過ごしだったら嬉しいのだが、その可能性はゼロに等しい(ここに「だろう」は付けられなかった)。

●1999年8月24日

本の紹介:三セクター分立の概念

 理論物理学者である井口和基博士の著書「三セクター分立の概念:日本社会の構造的問題とその解決の方向」(近代文芸社、1995年2月)を読んだ。紙の本が絶版となったためウェブページ上で公開したと、著者本人から知らせていただのが、読むきっかけだ(ちなみに、著者の井口さんとは、教育関係の某フォーラムに発言したのがきっかけで、たまにメール交換するようになった)。
 読み始めたら、あまりにも面白くて、一気に読み終えてしまった。本をスキャンした画像のまま掲載しているので、正直言って相当に読みにくい(誰か、テキスト化の手助けしたらいかがだろうか)。それでも途中で休もうとは思わず、最後まで読んでしまった。
 ウェブ上で読めるので詳しい内容は省略するが、要点は次のようになる。欧米と比較して日本では、アカデミズムセクター(科学、芸術、スポーツの分野に関係している、良識ある知的な人々の集まり。科学分野が特に重要)が独立して存在しないため、政治や経済などの様々な面で影響が出ている。この状態を改善するには、アカデミズムセクターの独立が大きく貢献する。地方分権と一緒に実施して、他の先進国から認められる国家になろう。個人的な解釈も少し入っているが、大まかにはこんな内容だ。
 日本のいろいろな組織においては、論理的で科学的な意思決定や活動ができていないと、以前から思っていた。その大きな理由の1つが、アカデミズムセクターの独立していない点にあろう。現在でも、非論理的をモットーとする人の書いた本が売れたり、政治や教育に悪い影響を及ぼしている。また、非論理的をモットーとする人が、有名大学の教授だったりする。知的な社会とは、ほど遠い状況だ。
 もし質の高いアカデミズムセクターがあれば、数々の関門を通過して、良識ある知的な人々が集まる。その人たちが、論理的で科学的な分析を基盤として、政府や民間のダメな行動を指摘することで、世の中を良い方向に導ける。アカデミズムセクターの中心は優秀な人材なので、人選に大きく関係する“数々の関門の質”が重要となる。優秀な人材でなければ、優秀な人材を選べず、アカデミズムセクターを一朝一夕に構築するのは無理だ。それでも、構築する方向に向かうべきである。
 この本は、多くの人に読んでほしい。現在の日本を良くするために何をすべきなのか、少しは見えてくるだろう。そんな人が増えることで、改善への力が増すことを期待したい。


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