川村渇真の「知性の泉」

浮遊思考記録−1999年06月


●1999年6月9日

自分で価値が分からないものに大金を支払う心理や背景

 世の中には理解できないことが多数存在する。その中でも、自分にとって不思議なものの代表格は、宝石の購入だ。
 一般的に、何か商品を購入するとき、提示された価格に見あう価値を持っているのか、自分で判断して決める。アンティークでも高級カメラでも、何か違いがあるから高いお金を払う。デザインがよいとか、レンズの味が最高とか、買った人が見分けられる違いが含まれている。ごくごく当たり前のことだろう。
 しかし、ダイヤモンド(他の宝石でも同様だが)を購入する人の多くは、似せて作ったガラスと区別できない。専門家であっても、ルーペで覗いて見分けるほどで、パッと見ただけでは偽物との違いが分からない。こんな状況なので、購入するのは信用できる店だけに限定する。怪しそうな店だと、本物だといって偽物を売りつけられる心配があるからだ。
 では、自分では本物だと見分けられないダイヤモンドを、わざわざ購入する理由は何だろうか。買ったことがないし、ほしいとも思わないので本当のところは不明だが、あえて考えてみよう。まず思い浮かぶのは、資産としての購入だ。ある程度の市場価格が付いているため、資産として持つ価値はある。しかし、資産として購入するなら、もっと良い商品があるだろう。2番目の理由として、高価なものを所有する喜びが挙げられる。数百万の宝石を所有できたら、普通の人は持っていないだけに、特別な存在になったような気になるかも知れない。もう1つ、他人に見せて自慢するのも理由として考えられる。ただし、見せる相手の多くも、本物かどうかを見分けられない。仕方がないので、「ウン百万円のダイヤモンドなの」などと口で説明して、価値を伝えることになる。この場合、重要なのは金額であって、ダイヤモンドが本来持つ価値(どんなものか知らないが)を説明する訳ではない。こう考えていくと、金銭的な価値が重要なようだ。
 もっと別な理由として、美しい宝石を身に付けたいことも考えられる。しかし、これが本当の理由だとしたら滑稽でしかない。何しろ、ガラスで作った偽ダイヤモンドと見分けられないのだから。「やっぱり高級ダイヤモンドは違うわね」などと言っても、説得力はゼロに等しい。
 どう考えてみても、納得できる理由は見付からなかった。かなり昔から宝石は高値で取り引きされているので、過去からの惰性で続いているのだろう。昔はガラスなんてなかったのだから、途中から厄介なものが登場したといえるのかもしれない。そんなことは無視して、宝石業界の人は商売を続けなければならない。昔と同じように価値の大きさを宣伝し、信じる人がいる限り商売は続けられるからだ。だとしたら、ハッキリ言って、世界中の業者に乗せられていることになる。
 こんな現状なので、高価な(正確には高価だと信じられている)ダイヤモンドを身に付けた人に対して、次のような行為をしてはいけない。たとえば、あたかも宝石を鑑定できるように振る舞い、身に付けたダイヤモンドをルーペで見て、「あれ、これって偽物じゃないの?」と言うとか。はたまた、「ダイヤモンドの本当の価値って何なの?」と真剣に尋ねるとか。所有者自身が価値を理解している訳ではないので、怒り出す可能性が高い。
 本人が満足しているのだから、それでいいのだろう。ただし、「これって、ウン百万円のダイヤモンドなの」という発言を自分が聞いたら、価値が理解できなくても物事を信じる人だと評価し、その相手を信頼しない点だけは、ここで明らかにしておこう。


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