川村渇真の「知性の泉」

学習成果が確認できる仕組みを整える


悪いテスト方法が学習に無駄を生じさせる

 現在の教育では、学校でも塾でも定期的にテストが実施される。テストによって学習成果を確かめるとともに、勉強させるためのプレッシャーとして使われている。もしテストをやらなければ、勉強しない生徒が数多く出るからだ。
 では、テストの内容は適切なのだろうか。多く用いられるのは、知識を知っているか調べる問題である。それも、テスト中には資料を見てはいけないため、生徒は必然的に知識の暗記が求められる。
 せっかく暗記した内容は、使わなければ忘れるという人間にとって困った特性がある。多くの教科は学校でしか使わないため、社会に出た後で、多くの学習内容を忘れてしまう。結果として、無駄な暗記に終わるわけだ。暗記にかかる時間は短くないだけに、相当な時間を無駄にしているといえる。
 逆に実社会では、無駄な暗記をしない。資料を見ながら済ませられるものは暗記せず、暗記が本当に必要な内容だけ暗記する。実際には、何度も繰り返し使う内容とか、非常に基礎的な内容が暗記の対象となる。それ以外の内容は、概要だけ理解しておき、必要なときに資料を参照すればよい。
 こうして比べてみると、テストのための暗記していることが分かってくる。テストの必要性は理解できるが、そのために無駄な時間が多く生じるのであれば、けっして良い方法とはいえない。真っ先に改善すべき点である。

問題の形式ごとに何が調べられるのか理解する

 では、どのようなテスト方法なら良いのだろうか。それを求めるには、テストの実施目的から考え直すことが大切だ。前述のように、学習成果を確かめることと、それによって勉強への意欲またはプレッシャーを与えることの2点が主な目的である。これを満たすように、テスト内容を設計しなければならない。
 その前に、テスト内容をもう少し分析してみよう。テストを実施している側はあまり気にしてないようだが、問題の形式によって調べられる内容が違う。知識以外の問題も含めると、大きく分けて以下のように分類できる。

調べられる内容で分けたテスト問題の形式
・知識を調べるためのテスト問題
  ・知識を知っているか調べる
  ・知識を理解しているか調べる
・能力を調べるためのテスト問題
  ・基本的な能力が身に付いているか調べる
  ・一般的な課題をこなせるか調べる
  ・難しい課題をこなせるか調べる
  ・未知の課題に対処できるか調べる

 知識に関するテスト問題では、知っているかどうかと理解しているかどうかの2種類の形式がある。前者は、言葉、数値、定理や公式、実例などを知っているか調べるテスト問題だ。数値や言葉を尋ねるとか、計算をさせるとか、世の中に多くある問題の形式で構わない。問題の作成もそれほど難しくはない。
 後者は、学習内容を本当に理解しているのかを調べるテスト問題である。たとえば微分なら、微分の意味や役割を説明できなければならない。その解答としては、ある式を微分したら、式が表す値の変化を示す式に変わるなどと説明し、実際の例を挙げることになる。また、微分の簡単な式を与えて、その式が表す意味を説明させる問題でもよい。当然、文章で答える形式であり、問題の出し方にも注意が必要だ。解答が文章なので、きちんと評価できるように、教師側もそれなりの能力が求められる。慣れるまでは教師側も練習するしかない。
 数学や物理などの理系の教科では、計算問題に正解できると、対象知識を理解していると思われがちだ。しかし、これは解答方法を知っているのであって、理解しているのとは異なる。理解してるというのは、計算が示す意味を分かっていることで、自分の言葉で説明できなければならない。この違いを理解していない人が多いようだ。
 能力に関するテスト問題では、考え方により何段階にでも分けられる。ここでは4段階に分けてみた。最初のレベルは、対象となる能力の基礎を調べる問題だ。作業手順や実施方法などを理解し、具体的にやれるかどうかを確かめる。次のレベルとして、一般的な課題をこなせるかと、難しい課題をこなせるかを知らべる問題が続く。これらは、実際にやってみるとともに、やった内容を説明する形式となる。最後のレベルだけは特殊で、誰にも解決されてない課題を与え、どこまでできるのか調べる。ほとんどが完成できないので、こなせた度合いで能力を評価するしかない。
 以上の説明で分かるように、何を調べたいかでテスト問題の形式が異なる。調べたい内容に合った問題形式を選び、それに従って問題を作らなければならない。
 学校のテストで使われているのは、知識を知っているか調べるテスト問題がほとんどだ。あまり考えずに作ると、この種の問題になってしまう。また、この種の問題を、理解しているか調べる問題だと思っている教師もいるようだが、そうではない。理解しているか調べるためには、それに適した問題の形式が必要となる。そうなってない以上、理解しているかは調べてられていない。知ってれば良い点が取れるテストばかりの現状では、理解していなくても済む勉強方法を選ぶ。結果として、理解している生徒は増えにくい。加えて、理解せずに知っているだけの内容は、理解した内容より忘れやすい特徴もある。どんどんと忘れるのも当然といえる。
 余談だが、知識を知っているか調べる問題ばかり続けると、考える能力が伸びない。さらに何年も続けると、柔軟な思考能力を低下させてしまう。この点も大きな問題である。

目的に適した問題を設計すべき

 テスト問題の作成に関しては、大切な視点がもう1つある。その問題を解くのに必要な前提条件を、きちんと理解する点だ。特殊な要素が前提条件として必要な問題なら、それを持ってない生徒は解けない。該当する要素としては、各分野の知識、理数系の定理や公式、いろいろな技術などがある。
 もう少し具体的に説明したほうがよいだろう。思考の柔軟性を調べようと、数学の問題を出したとする。それを解くのに特殊な定理が必要なら、その定理を知らない人は解けない。こういった問題では、定理を覚えているかを調べていることになり、思考の柔軟性とは関係なくなりがちだ。該当するのは、一般的な思考能力を調べる問題に多く、社会人に対して出される。学生時代に習ったかも知れないが、社会に出て忘れているのが一般的で、資料なしに思い出すはずがない。ダメな問題の典型例で、本来の目的から完全に外れている。
 一般的な問題でなくても、解くための前提条件を調べて、特殊な要素が必要でないことを確認しなければならない。ただし、例外もある。ある物理の課題を解くのに微積分が絶対必要なら、前提条件として含まれていても構わない。それを行う際に通常必要かどうかが、判断の基準である。こういった点も含め、テスト問題の設計で考慮すべき点をまとめると、以下のようになる。

問題を設計する際に考慮すべき点
・何を調べたいのか明らかにする
・調べたい内容に適した問題形式を選ぶ
・特定の前提条件が含まれない題材を選ぶ
・解くための前提条件を調べて、不適切な箇所は修正する

 このような点を注意して作れば、不適切なテスト問題にはならないはずだ。ところが、現在のほとんどテストは、何を調べたいのかすら考えていない。その結果、知識を知っているか調べる問題がほとんどになっている。
 知識を調べるテスト問題だと、真面目に暗記すれば多くの人ができるため、点数に差が付きにくい。本来なら次の段階として、知識の理解を調べる問題を採用すべきだが、それが作れないためか、別な方向に進んでしまった。点数に差を付けるために、わざと落とし穴を設けるといった、姑息にひねった問題を作っている。この種のテスト問題は、実社会の課題とは大きく異なるため、解くための知恵は学校のテストでしか役立たない。その意味で、こんな問題を解く技術の習得も無駄な時間となる。まともな方向から遠ざかる点でも悪いテスト問題だし、社会に出て有効な能力は身に付かない。ダメな方向に進んでいる典型的な例だ。
 現状を改善して適切なテスト問題を作るためには、具体的な作り方を体系的に整理してまとめ、教師に教育する必要がある。また、目的と関連付けた数多くの作成例を用意して、参考にしてもらう方法が有効だ。

教育方法や学習環境も含めて総合的に改善する

 話がテスト問題の作り方になってしまったが、本題に戻ろう。どのようなテスト方法であれば、学習方法に悪い影響を与えず、学習効果を確認できるのだろうか。
 もっとも注意すべきなのは、無駄な暗記をさせない点だ。逆に、本当に理解するとか、実社会で役立つ能力を身に付けさせる点を重視する。さらに大切なことは、生徒本人が習得したことを実感できることだ。社会に出て役立つ能力を習得できたと分かれば、生徒のヤル気が高まり、自発的に勉強するようになる。非常に重要なことである。
 こういった条件を満たすには、筆記試験だけでは難しい。課題を与えて何かを作らせ、その出来を評価する方法が中心となる。たとえば、評価方法の習得なら、評価対象となるテーマを与えて、その評価を書類にまとめさせる。資料を集める作業から始めて、最終的な評価報告書に仕上げることになる。提出された評価報告書を教師が評価し、改善すべき点を生徒に伝える。同じテーマで再び評価報告書を作り提出させる。ある程度のレベルに達するまで繰り返すことで、評価方法が習得できる。
 このような方法なので、点数を付けることはしない。無理して点数を付けると、テスト内容が悪い方向に進むからだ。そうではなく、教科ごとに達すべきレベルを数段階で規定し、それを満たすまで学習を繰り返しながら、1つずつ段階を登る。1段ごとにテーマを与えて、段階的にレベルが向上するように配慮する。このように、生徒自身が習得できることを重視することが大切だ。
 何かを作る方法だと、1つの部屋に集まってテストできない。そうすると心配なのは、本人の代わりに別な人が行い、本人がやったように提出する場合だ。それを防止する意味で、生徒ごとに別なテーマを与える。また、提出した内容を見ながら、教師が生徒に質問すれば、本人がやったかどうかは見抜ける。これらを徹底すると、他人にやってもらおうと考える生徒は出なくなる。
 何かを作るのが基本だが、必要に応じて筆記試験も実施する。ただし、知識を知っているか調べるとか、知識の暗記を求める方法は用いない。知識に関するテストなら、理解しているか調べるのが中心で、資料を見ながら解答させる。能力に関するテストは初期段階しか行わず、どういった手順で行うのか、作業ごとに何を作るのか、それぞれで考慮すべき点は何かなど、実施する際に必要な内容を答えさせる。後は実際に作りながら習得させるのが基本だ。
 以上の内容は、現在のテストとは大きく異なる。節目でテストを実施するのではなく、普段から課題を与える方法である。また、課題を与える前に、上手に行うためのコツを体系的に教えて、ノウハウが身に付くように考慮する。教育内容自体も、より質の高いものに変えるわけだ。つまり、教育内容まで含めて、総合的に改善しなければならない。

 残念なことに、教育で重要な位置を占めるテスト内容に関しては、適切な分析がされてこなかった。どのような問題なら何を調べられるのかという、基本的な関係すら明らかにされないまま、テスト問題が量産されている。こんな状況を根本的に見直し、本当の理解や習得に主眼を置いた教育方法に変える必要がある。
 悪いテスト内容は、無駄な暗記を強制するなど、学習自体を邪魔する。そうならないためにも、テスト内容を見直すのはもちろん、教育内容や教育方法から構築し直す時期に来ている。現在の教育の根本的な欠陥に、そろそろ気付いても良い頃だ。

(2000年1月25日)


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