川村渇真の「知性の泉」

真の教養を習得する機会も提供する


既存の一般教養は教育内容が時代遅れになった

 良識ある社会人(または市民)になるための1つの要素として、一般教養(リベラル・アーツ)がある。それを満たすために、大学などの高等教育では、一般教養に含まれる教科をいくつも用意している。
 一般教養の必要性に異論はない。世の中のいろいろなことを知らなければ、適切な判断は難しいからだ。社会の仕組み、様々な文化、過去の歴史など、知っておきべき内容はいろいろある。それらを教える場所として、高等教育機関は最適だろう。
 では、現在の一般教養の内容は適切だろうか。その問いに答えるためには、教養とは何かを求めなければならない。教育する内容を単純に分ける方法の1つとして、「知識」と「思考術」という分類がある。知識とは、いろいろな分野の具体的な知識を指す。分野ごとに分かれていて、教えやすい特徴を持つ。もう1つの思考術とは、物事の見方(=視点)や、様々な種類の考え方などが該当する。知識と同じような分野には分かれず、それぞれの方法が複数の分野に適用できる。また、知識と違って、教えるのが難しい特徴を持つ。
 社会人として適切な判断を下すためには、知識と思考術の両方が必要となる。ところが現在の高等教育では、知識だけしか教えていない。数多くの知識を教えれば、結果として思考術が身に付くと考えているのかも知れない。しかし、このような間接的な方法では、あまり成果を上げられない。たいていの人は知識だけを頭に入れ、思考術を習得できずに終わる。残念ながら、かなりの時間を費やしているにも関わらず、本来の目的を達成できていない。
 こんな状態になったのには、世の中の変化が大きな関わっている。かなり昔は、いろいろな知識を知っていることが、高い教養と思われていた。だから、一般教養は幅広い知識を教えていた。ところが、情報技術が進歩して状況が変わった。知識が簡単に入手でき、それをどのように活用するかが重要になっている。そして教養の中身も、どれだけ知識を知っているかではなく、時代に合った的確な判断ができるかに変わった。そのためには思考術が不可欠である。このような状況の変化にも関わらず、以前と同じ教育内容を惰性で続けているのだ。

考える機会と材料を提供する

 思考術と知識には、利用と被利用という関係がある。思考術のほうは、いろいろな知識を利用して、解決方法や新機能を導き出す。知識が入手しやすい状況だと、たいていの問題では、必要になったときに知識を得ればよい。思考術をきちんと習得していれば、様々な問題に対処できる。
 もう1つ、知識の全体量が増えている状況も考慮しなければならない。たった1つの分野でさえ、一人で理解するのが難しくなった。そのため、事前に知識を習得したとしても、実際の問題に利用できる確率は低下する。知識の全体量は永遠に増え続けるので、確率の低下も連動して続く。結果として、問題が発生してから知識を得るのが得策となる。専門家を捜して教えてもらうとか、専門家を協力してもらって問題の解決に当たる。
 ここまでの話から分かるように、現代の一般教養では、思考術のほうを重点的に身に付けなければならない。では、どのような形で教えるのだろうか。この点が非常に重要である。物事の見方や考え方は、具体的なテーマを用意したほうが教えやすい。過去の歴史、社会の仕組みなど、現実の代表的な例を取り上げながら、思考術を勉強する。それにより、最低限必要となる代表的な知識も一緒に習得できる。
 もう少し具体的に説明しよう。一般教養の中でも、過去の歴史は重要なものの1つである。ただし、どんな場所で何が起こったのか知るだけでは意味がない。歴史を勉強するのは、過去の失敗を知って、自分たちが同じような失敗をしなくて済むように対処するためだ。たとえば戦争なら、戦争へ突入した状況や理由が重要である。双方の当事者が何を考えていたのか明らかにして、防ぐ方法がなかったのかを考えてもらう。他の事件でも同様に、今後に生かす教訓を見いだすように検討させる。
 このような検討をする際には、いろいろな思考方法が役立つ。意思決定を誤った場合には、何が悪かったのかを考える。情報が不足していたのか、冷静に判断できなかったのか、何種類かの視点で考察してもらう。それができるように、分析する方法、調べる方法、評価する方法などを先に教える。これらこそ、思考術の教育内容だ。他にも、書類としてまとめる方法とか、他人に説明する方法も含まれる。

様々な視点をデータベースで提供する

 一般教養としての思考術を身に付ける場合、幅広い視点を提供することも重要である。1つの現象を複数の視点で捉え、いろいろな考え方があることを知ってもらう。
 具体的には、次のようにして教材を作る。これまでに世界で起こった事件や事故の中から、重要と思われるものを数百ぐらい選ぶ。それぞれの題材ごとに、数十人かが異なる分析結果を用意する。これをデータベースに入れて提供すれば、勉強の貴重な材料に仕上がる。
 このような教材にアクセスして、いろいろな考え方を知ってもらう。選りすぐりの材料を入れてあれば、ただ読むだけでも勉強になるはずだ。加えて、教材を使った勉強も用意する。たとえば、架空の事件を用意して、データベースの分析を参考にしながら、自分なりに意見をまとめる方法も良い。分析の結果を何人かでディスカッションすれば、いろいろな意見を聞けて視点が広がる。実際に分析することで、調べたり考えたりする能力が身に付く。もっと突っ込んで、新しい勉強方法の提案コンテストを開くのも良い方法だ。
 数多くの視点を提供する際には、注意しなければならない重要な点が1つある。論理的や科学的な面でレベルの低い視点を含めないことだ。世の中には様々な意見があるが、その中には非論理的な意見も出回っている。ほとんどは、非論理的をモットーとする人の意見で、教える内容としてふさわしくない。それどころか、そんな内容を含めると頭が悪くなってしまう。害のほうが大きいのだ。もし取り上げるとすれば、悪い例として紹介するしかない。
 思考術の中では、非論理的な意見に惑わされないように、論理的に考える方法を必ず含める。これも訓練できる形にして、出来るだけ多くの人に身に付けてもらう。

多くの視点を効率的に知って真の教養を習得する

 題材データベースは、最初の段階だと件数は少ない。しかし、実社会で起こっている問題を中心に、精力的に題材を増やしていけば、非常に充実した内容になる。セクシャルハラスメント、報道による人権侵害、財政赤字、悪徳商法、外国人労働者、麻薬、環境破壊と経済発展、人種差別や女性差別、プライバシー保護などなど、取り上げるべき話題は山ほどある。既存の題材に関しても、新しい分析を追加し、どんどんと充実させる。
 実社会で生活していても、これらの題材について様々な意見を知れる機会は少ない。もし題材データベースにアクセスできるだけでも、役立つ視点を効率的に知れて、非常に魅力的だ。ただ読むだけでも、いろいろと考えさせられるだろう。さらには、それを題材にして、何種類もの課題をこなしたり、ディスカッションするので、もっと多くの視点や考え方が身に付く。これらは的確な判断を手助けする。このような内容こそ、現代の教養にふさわしいし、教える価値も高い。
 この種の教育で重要なのは、まず様々な視点を知ることである。それによって、世の中のいろいろな部分に気づき、自分で考える際にも幅が広がる。加えて、題材を使って考えたり話したりする訓練を通じ、考える行為に慣れてくる。問題に突き当たったとき、押しつぶされたり逃げたりせずに、自分で何とか出来るようになるだろう。
 残念なことに、既存の一般教養の内容は、いくら時間をかけて勉強しても本来の目的を達成できない。価値のある教育を目指すなら、知識を重要なものに厳選するとともに、思考術を中心に据えて教える必要がある。そうしなければ、真の教養は習得できない。

(1999年1月5日)


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