川村渇真の「知性の泉」

本人の適正を見極める機会を提供する


試してみなければ才能を見付けられない

 社会に出て幸福になるには、成功するとか尊敬されるとか、ある程度の満足感を得なければならない。そうなるための重要な要素として、選んだ仕事に対する本人の適性が挙げられる。もし適性の低い分野に進めば、期待したほどの成果を出せずに、途中で挫折する可能性が高い。逆に、適性の高い分野に進むと、良い成果を出しやすいので、不幸になる可能性を減らせる。その意味で、自分の適性を知ることは非常に重要だ。
 各人がどんな才能を持っているかは、そう簡単には調べられない。絶対的な方法は存在しないが、もっとも確実と思われるのは、実際に試して結果を見ることだ。このような考え方を、教育内容にも取り入れる。
 教育する期間は長いので、どんな才能があるのか、いろいろと試す機会を提供する。何でも片っ端から試すのではなく、効率的に適性を見付けられるような、教育内容に仕上げなければならない。試す内容と順番を決めて全員に受けさせる。教育内容として規定すれば、誰もが平等に同じことを試せる。
 適性を見付けるのが目的なので、単に試すだけでなく、試した結果を評価する仕組みも含める。できるだけ客観的な評価が得られるように、測定方法や評価方法を規定する。芸術のような分野では、評価する人によって結果が異なるので、より多くの人が評価するとか、何らかの工夫を加える。ネットワークが発達すれば、1つの作品を多くの人が見るのは簡単になる。テクノロジーをできるだけ活用して、有効な評価方法を用意したい。
 実際に試した本人の気持ちも大切なので、それを調べる方法も定める。結果がばらつかないように、きちんと教育された専門家がアンケートするなど、いろいろと工夫した方法を採用する。
 適性の評価は、対象となる能力や分野によっては非常に難しい。ある程度の試行錯誤を経ながら、時間をかけて求めるしかないだろう。そういうものを作るのが適した人にやってもらえば、意外と簡単に良い方法が得られる。この種の仕事で重要なのは、誰が作るかだ。

既存の学習内容に限定せず広い範囲を試す

 教育として試す内容の選択も、非常に重要だ。既存の学習内容に限定する必要はない。将来に役立つものなら何でも取り入れるように、可能な限り幅広く考えたほうがよい。
 広く考えて選び出すと、試す内容は、大きく2つに分けられる。話すとか体を動かすといった個人的な能力と、スポーツや科学といったジャンルでの分類だ。
 個人的な能力では、ジャンルとは関係ない基本的な適性を調べる。言葉を用いて喋ること、言葉を使わず体で表現すること、文章を書くこと、大勢の前で発表すること、黙って作業すること、人を喜ばせること、イヤな場面で我慢すること、人を手助けすること、争いを仲裁すること、グループをまとめるリーダーなど、考えられる様々な作業を試す。もし喋るのが得意なら、人を相手にする職業を選ぶとい具合に、自分の進路を決める参考になる。
 この種の試し型教育は、単に試すだけで終わらせない。喋るのを試す際には、上手に喋るためのポイントをきちんと教える。何も教えないで試したのでは、本当の能力を引き出せないからだ。このように教えたうえで試させると、喋るなどの基本的な能力を向上させる機会にもなる。全員が試すので、能力を身に付ける機会が全員に与えられる。
 もう1つのジャンルでの分類には、スポーツ、芸術、科学、モノ作り、文系の学問に加え、企画、運営、販売、福祉、医療、教育など多くが含まれる。モノ作りのようなジャンルだと、機械、部品、電子装置、玩具、ゲーム、建物、庭、料理のように、対象によって大きく異なる。同様に芸術も、美術、音楽、演劇、漫才、映像、文学など幅広い。どのジャンルでも、毛色の違いで分けなければならない。ただし、細かく洗い出すと数が非常に多くなるので、最初の段階では大ざっぱな分け方で十数個を用意する。それを試してみて、適性の高いものを数個だけ選び、より細かな分け方のジャンルを試す。つまり、洗い出した全部のジャンルは、最初の十数個から始まる形で、階層的に細かく整理する必要がある。
 ジャンル分けで試す際にも、上手な作り方や進め方をきちんと教える。そのうえで、本当に適性があるかを判断する。こちらも個人的な能力と同じく、試すことが実際の学習と一体化している。
 このような学習で大切なのは、内容を幅広い範囲から選ぶことと、上手なやり方をきちんと教えることの2点だ。それを満たせば、もし適性がなくても、幅広い内容を有意義に経験することができる。もう1つ、そのジャンルの存在意義とか基本的精神を理解させることも、できれば含めたい。これが成功すれば、生き甲斐を見付けるための機会を提供できるからだ。社会が進歩するほど、生き甲斐を持っているかどうかが重要になるだけに、存在意義は力を入れて教えたい。

進む道は本人が決めるもの

 若いうちに幅広い分野を経験して適性を求める方法にも、もちろん限界はある。世の中には、大器晩成型という人材もいるからだ。この種の人材の能力は、実際に試して適性を見付ける方法では発見できない。ただし、大器晩成型で成功する人の割合は、非常に小さい。若いうちに試して適性を見付ける方法で、多くの人の能力は発見できる。その意味から、適性を見付けるために広い分野を試す方法は有効である。
 この方法には、もう1つのメリットがある。多くの分野を経験することで、現実にどんな分野が存在するのか知る機会にもなる。その中から、各人の興味を引く分野が発見できるだろう。まったく知らずに選ぶよりも、より適切な判断ができる。
 どの分野に進むかは、生徒が自分で決めるもので、他人から強制されるべきではない。もちろん、いろいろと経験した結果から導き出された、各分野の適性度は本人に知らせる。それを参考にして、自分の進路を決めることになる。また、幅広く経験した中で、自分の好きな分野も見付かるだろう。それも進路決定の参考にする。
 生徒に助言する人は、適性の高い分野を選ぶように勧める。にもかかわらず、適性の低い分野を選ぶ生徒も出てくる。適性がなくても選ぶのは、本人が本当に好きだからだ。そんなときは、本人の選択を尊重するしかない。好きという気持ちは成功の原動力であり、大器晩成型の可能性もあるので、とにかく本人の好きにさせる。適性が低いと言われても選んだのだから、もし失敗しても他人には文句を言えない。
 こうして生徒が選んだ分野をもとに、本人の教育内容を設計する。その勉強を進める間にも、いくつかの分野を実際に経験してみて、進路を変えるべきか考え直す。このような過程を何回か繰り返すうちに、自分の本当の進路が見付かるはずだ。社会に出るまでには、学習する時間がたっぷりあるので、あせる必要はない。一時期だけ、適性の低い分野を選ぶ余裕は十分にある。幅広く試すうちに、本当にやりたい分野を見付けられるだろう。

(1998年11月10日)


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