川村渇真の「知性の泉」

既存の学習内容は必要になってから学ぶ


最低限の教育内容だけを必須に

 既存の教育では、国語や数学といった基礎的な学問を幅広く学ぶ。しかし、習った全部の内容をすべて使う人は、この世に存在しない。それどころか、半分すら使う人もいなくて、数分の1しか役立てられないの人がほとんどだ。つまり現状の教育では、無駄な勉強に多くの時間を費やしている。こんな状況は早急に改善すべきである。
 教育の無駄をなくすためには、どの教科も必要になった時点で学習する方法がよい。何が必要になるかは、将来の目標によって決まる。そのため、まず将来の目標を設定し、目標の達成に必要な教科を選んでから、それを集中して勉強する。
 この方法を採用しても、全員が学んだほうがよい教科も存在する。文章を読むこと、簡単な計算など、本当に基礎的な学問だ。また、政治や社会の仕組みなど、社会人として必要な知識も含めなければならない。どんな科目が必要なのか十分に検討し、それらを必須科目として規定する。それらが、学校で学ぶ最初の教科となる。
 必須科目に含まれるのは、現在の学校で教えている内容だけではない。作文技術や意見発表など、世の中で一人前に活動するのに必要な技術を、いくつも含める必要がある。加えて、団体生活に必要となる、議論、ルール作り、役割分担なども入れるべきだ。こちらのほうが、既存の教科よりも重要度は格段に高い。
 必須科目は、生きていくために重要な能力である。だからこそ、マスターするために全力を尽くす。まず、時間をかけても独学できるようにと、徹底的に親切な教材を用意する。また、体験しながら学べるようなカリキュラムを作り、何度でも受けられる環境を整える。さらには、なかなかマスターできない人のために、教師が集中的に手助けする仕組みも提供する。
 必須科目の教育では、知識を暗記するのが目的ではない。本当に使える状態になることが求められる。そのため、一度終了した科目も、後で使う機会を定期的に持たせることも大切である。実際に使うことで、本当に身に付く可能性が高いからだ。

自分の将来像から勉強する科目を求める

 必須科目をひととおりマスターしたら、自分に必要な教科を勉強する段階へと移行する。この段階で大切なのは、各人が自分の目標を設定することだ。何になりたいとか、どの分野の知識を得たいとか、できるだけ明確な目標を持つように努力する。
 自分がなりたい職業などの将来像を描いている人は、具体的な目標を持っている代表例だ。その職業に必要な教科は、その道にプロに教えてもらえば簡単に判明する。いろいろな教科が挙げられるだろう。ある教科を勉強するには、別な教科をマスターしている必要があるといった、学習の前後関係も明らかにできる。もっとも良い学習順序を決め、その人の学習スケジュールとして設定する。毎回調べるのは無駄なので、多くの職業に関しては、必要となる科目を事前に明らかにしておく。
 将来像がすぐに描けない人のために、将来像を探せるようなカリキュラムも用意する。いろいろな職種の人の話を聞くとか、職場を見学するとか、簡単に体験するなどの内容が考えられる。また、絵を描くとか、工作するとか、いろいろなスポーツを試すとか、自分の適正を見付けられるような内容も加える。体験の種類が多いほど、興味のある分野を見付けられる可能性が高い。見付かった時点で必要な科目を選び、本格的な学習を始める。
 世の中にはいろいろな職業があるものの、実際にどんな魅力があるかは、その道のプロでないと分からない。その仕事を面白いと思っている人を見付け、どんな点が魅力なのかをアピールしてもらう。職業ごとに数十人のアピールを集めれば、魅力の多くは語り尽くせるはずだ。そんなビデオをネットワーク経由で見れるようにし、将来の目標を選ぶ際の参考にしてもらう。このような資料をいくつも見続ければ、将来やりたいことが見付かりやすい。
 どうしても見付けられない人もいると思われるので、何種類かの大まかな分野から選ぶ方法も用意する。美術などの芸術系、演劇などの芸術系、スポーツ系、設計などの技術系、機械などのモノ作り系、販売系といった具合にだ。これは1つの分け方でしかなく、もっと別な視点で分けても構わない。勉強する教科を選ぶための手段なので、分け方が何種類あっても問題ない。種類が豊富なほど、多くの人の要望に応えられる。提供された系列から1つを選び、とりあえず勉強を進める。目標が具体化したら、必要な教科に切り替えればよい。
 以上のような仕組みのため、これまでのような教科の分け方は適さない。既存の教科も細かく分けて、本当に必要なものだけを選んで学習できる形にする。たとえば数学なら、微積分だけで1つの教科とする。他の教科も同様だ。必要な教科だけに絞れるので、無駄な勉強を減らせる。

将来像を意識するため勉強の質が上がる

 自分の将来像から学習科目を求める方法は、多くの利点を持つ。まず、将来の目標が明確なので、勉強に対するヤル気が高まりやすい。目標の達成に役立つ教科ばかりなので、真剣に勉強するだろう。
 もう1つの利点は、必要な教科に努力を集中できることだ。関係のない教科を勉強しなくて済ので、その分の時間や労力を必要な教科に割り当てられる。現在の教育では、1つの教科を学年ごとに少しずつ勉強するため、非常に効率が悪い。それとは違い、集中して少ない教科を勉強するので、短時間で深く理解できる。
 以上の2つの利点により、勉強の質はかなり向上する。加えて、教材も徹底的に分かりやすく作る。独学でも勉強できるように工夫し、ネットワーク経由で使えるように提供する。そうすれば、好きなときに勉強できて、学習効率はますます向上する。独学用の教材で分からない人にだけ、教師が教えればよい。
 ただし、意見発表のような体験型の教科では、誰もが教師の世話になる。それでも、意見発表の上手なやり方を知る段階では、独学の教材が役立つ。本当に体験する部分でだけ、教師や生徒仲間が協力する。
 他の教育方法として、ネットワーク経由で質問したり、アドバイスを受けたりできる仕組みも用意する。そこでは、質問を受ける人が何人かいて、生徒が好きな相手を選べる。教える側にも個性や癖があるので、生徒が最適な相手を見付けられるようにしたほうがよい。

好きな教科の自由な追加も可能に

 ここまでの話は、将来の目標を達成するための勉強が中心だ。しかし、趣味の1つとしてとか、好奇心を満たすために勉強したい教科もある。そんな視点で教科を選び、追加するのも可能にする。
 それぞれの教科でどんな点が面白いかは、本当に面白いと感じている人から聞くのが一番だ。これも職業と同じように、その道で楽しんでいる人にアピールしてもらう。古文、漢文、美術、歴史、政治、考古学、心理学、外国語など、あらゆる教科が対象になる。いろいろな教科のアピールを見て、自分が面白いと思った教科を選べばよい。
 アピールする内容では、実際以上に良い話ばかり言って、勉強を始めた人がだまされたと感じないことも大切だ。また、より訴えるアピールに入れ替える必要もある。これらを満たすために、定期的に更新する仕組みも用意する。教科を選ぶ人は、誰のアピールで選択を決定したのかと、誰のアピールにだまされたと感じたかを報告できるようにする。その結果を反映して、下位の何点かを新しいものと入れ替える。こんな仕組みであれば、説得力がありながら正直なアピールに落ち着くはずだ。
 もう1つ、教科ごとに役立つ分野の情報も提供する。それにより、役立つ分野が多い教科と少ない教科が明確に分かる。目標が定まらない人にとっては、役立つ分野の多い教科を選ぶことで、勉強したことが無駄になりにくい。学習の参考となる資料は、いろいろな視点で提供したほうがよいだろう。
 以上のような教育内容は、学校内だけに限定せず、社会人にも広く開放すべきだ。社会人になってから、勉強したい教科が出てくることもある。そんな人が気軽に学習できるのは、良い社会の要素といえる。

 本当に必要な教科だけを勉強するという考え方は、一般の大人なら当たり前である。使いもしない分野を勉強するなんて、相当に暇な人ですらやらない。ところが、現在の学校の教育はまったく逆である。多くの人が使わないと思われる内容まで、全員に勉強させようとする。これでは真剣に勉強するはずがない。よく考えてみれば、おかしな話だ。
 ここで紹介した方法は、教育内容の選び方を、当たり前の形に戻すことに他ならない。必要な教科だけを必要になった時点で勉強するという、ごく自然な姿に。
 学歴社会を形成し、高い学歴を目指すことだけが、勉強の唯一のモチベーションだなんて、あまりにも悲しいし、レベルが低すぎる。加えて、ほとんど意味がない。そんな状況は一刻も早く改善し、もっとマトモな姿に改善すべきである。

(1998年8月17日)


下の飾り