川村渇真の「知性の泉」

教育内容が狭い意味の学問に偏っている


世の中の問題は教科に分かれていない

 学校と実社会の共通点の1つに、問題を解くという行為がある。学校では、試験という形で問題を解く。実社会では、仕事や生活のいたるところに問題があり、生きていくためにそれらを解決しなければならない。言葉で表すと「問題を解く」で同じだが、学校と実社会とでの内容は正反対といえるほど異なる。
 学校で出される問題の特徴の1つは、誰かから問題を明示的に与えられる点だ。試験問題であったり、使っている参考書に出ていたりする。ところが現実の社会では、問題を明示的に与えられることは少ない。職場や家庭の中で、突然と自分に降りかかることがよくある。もし与えられる場合でも、それが問題の一部しか示しておらず、そこから本当の問題を導き出すことが求められる。また、与えられた問題が間違っていたり、本質を突いていないこともある。さらには、何が問題なのかよく分からないケースもあり、問題自体を自分で見付けなければならない。
 学校側の問題でのもう1つの特徴は、教科ごとに分かれている点だ。問題に含まれる内容は、教科の範囲内に限られる。また、量的に大部分を占める問題は、年度の途中で行われる試験で、教科の一部の範囲を対象としている。範囲が狭く明確なため、そこだけ学習して試験に臨める。ところが実社会の問題は、教科などに分かれていない。また、今まで習っていない内容でも問題に含まれるので、問題が分かってから勉強を始めることもある。問題自体が不明の場合には、問題を明らかにするために勉強をすることも多い。
 学校と実社会での問題解決方法の違いは、他にもいくつかある。学校での試験では資料を見てはいけないが、実社会の問題解決では資料を見るのが当たり前だ。また、誰かに相談しても構わない。以上のように、学校で習う問題の解決方法は、現実の社会とはかけ離れた内容でといえる。

実社会で役立つ問題解決能力のほうが重要

 学校での問題解決方法との違いを明らかにするために、実社会で役立つ問題解決の技術をもう少し詳しく見てみよう。
 どんな問題でも、それを解決するためには幅広い技術が必要となる。たとえば、問題点を明確化する目的で何か調査するとしたら、きちんとした調査方法を知らなければならない。調査結果を誰かに見せたとき、信用してもらえるような方法で調査する必要があるからだ。また、調べた内容を整理してまとめたり、その内容を誰かに説明する技術も必要だ。どのような技術が役立つのか、ざっと洗い出すと以下のようになる。

実社会で役立つ代表的な能力
・考察する、分析する、比較する、評価する
・調べる、確認する、記録する、整理する、検査する
・体系化する、まとめる、提案する
・意見を述べる、説明する、発表する、説得する
・協議する、意見を調整する、教える
・管理する、計画を立てる、実施する
・的確に質問する、回答する、話を聞く
・間違いを認める、訂正する、改善する
・公表する、配布する、連絡する、報告する

 これらの技術に関して、どのように行えばよいのかを習得すれば、問題解決の能力が向上できる。どれも、実社会では非常に重要なものばかりだ。ほとんどの仕事はもちろん、環境問題や市民運動などの活動や、一般の生活にも役立つ。たとえば、きちんと確認することを理解していれば、インチキ販売にだまされる可能性を減らせる。誰と話をするのでも、誤解されにくくなって、余分なトラブルや間違いが減少する。世の中への貢献度は、既存の教科よりも遥かに大きい。

実際の問題解決に役立つ内容はほとんど教えていない

 実社会で重要となる問題解決方法は、一部の大学を除くと、残念ながらほとんどの学校ではほとんど教えていない。教育カリキュラムにすら含まれていないのが現状だ。では、全員がまったく教えていないのだろうか。実は、ごく一部の教師だけは、教科の勉強を補足する形で教えている。たとえば、理科の実験で記録の仕方を教えるとか、何かをまとめるときに調べ方を教えるとか、自分の担当する教科の一部としてだ。ただし、教師が詳しく知っているわけではないので、ごく初歩的なことしか教えられない。また、担当した教師によって教えたり教えなかったりするため、生徒側から見ると不公平だ。
 大学になると、一部の学校では実施しているようだ。しかし、大学から始めるのでは遅すぎる。これだけ多岐に渡る内容なので、より若い時期から教え始め、大学を卒業時点で深く身に付くように実施しなければならない。
 重要な技術なのに教えないのは、教育内容に含まれていないのが最大の原因だ。現在ある教科とは別に、総合教科的な扱いで加える必要がある。暗記することの価値が低くなったので、新しい教科を学習する時間は十分に確保できる。独立した教科にすれば、きちんとしたやり方を教えられる。それも全生徒に対してだ。もちろん、専門的な研究者や現場の教師など、教育環境を整えるための準備も必要となる。
 「学校へ行くと団体生活が身に付く」とよく言われるが、これは本当だろうか。たしかに、数年の団体生活を経験することで、何も経験しないのと比べたら、何かは身に付くだろう。しかし実際には、ほとんど身に付かない。団体で意見を調整するとか、新しい決まりを作成するとか、重要なことは何も教えてもらえない。その原因は、教育内容に含まれていないからだ。独立した教科になれば、団体生活を維持するために必要な技術を、幅広くマスターできる。他の教育内容も同様で、明示的に含まれていない分野は、教えていないに等しい結果となる。だからこそ、教育内容に入れることが重要なのだ。
 問題解決の技術を習得すると、既存の教科の学習も効率的になると予想される。勉強の内容を整理するとか、時間の使い方が上手になるとか、いろいろな面で役立つからだ。若いうちから教えることで、勉強全体の質や効率を向上させられる。もちろん、学校以外の問題解決でも活用できる。
 以上のように、既存の学校で学習する問題解決方法は、実社会と大きく異なる。既存の学校の教科は、狭い意味の学問から選んでいて、比較的重要度の低い教育内容ばかりしかない。にもかかわらず、何年間もかけて懸命に学んでいる。いくらまじめに勉強しても、本当の問題解決方法が身に付かなくて当然である。これからの教育内容には、実社会で役立つ本当の問題解決方法も含めるべきだ。そうしなければ、現在のように無駄な時間をどんどんと消費し続けることになる。「学校は勉強するところだ」というが、いったい何を勉強しているのか大いに疑問である。

(1997年10月19日)


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