川村渇真の「知性の泉」

価値の高い教育を採用した国が先に進歩する


きちんと設計すれば適切な教育内容が求まる

 先進国でも発展途上国でも実施されている現在の教育内容は、過去からの惰性で続いているものである。現在および将来の社会においてどのような教育が必要なのか、一から検討して求めた内容ではない。
 現在の教育が不満足な点は、多くの教育関係者が薄々にだが気付いていると思う。一部の先進国では、既存教育の欠点を補うために、別な教育内容を追加している。企業の経営を擬似的に体験させたり、学校の外に出て様々な活動をしたりだ。しかし、基本的な教育内容を維持したままなので、大きな効果は得られていない。こういった局所的な対処ではダメなのだ。
 それとは逆に、本コーナーでは、教育目的から検討し、これからの社会に必要な教育内容を求めた。何となく決めるのはではなく、システム設計の手法を適用し、教育内容や教育方法を設計した結果である。設計に際しては、試験のために無駄な暗記を要求するといった、既存教育の欠点も考慮してある。また、普及が加速しつつあるネットワークの利用も、積極的に取り入れている。総合的に見て価値が高く、本当に役立つ能力や知識の習得を重視した内容だ。
 驚くべきことだが、こうした分析や設計を今まで誰もやってこなかったようだ。既存の教育内容は正しいと信じ、その他の要素だけを変えて問題に対処している。このような方法だと、問題を根本的な解決できず、いつまで経っても対処に追われる。場当たり的な対処しかできないため、悪い循環がずっと続くわけだ。

社会の変化を見逃してはならない

 教育問題を検討するとき、見逃してならないのは社会の変化である。いろいろな情報が、マスメディアはもちろん、ネットワークを通じて入ってくる。知識を調べるのが簡単になったし、今後はさらに容易になる。知識を暗記する価値は、どんどんと低下し続けている。知識の量も加速度的に増えて、いちいち覚えているのでは間に合わない。知識は大まかに知り、必要なときに詳しく調べるのが現実的と変わった。
 同時に、世の中の問題は複雑になっている。単に知識を得るだけでは、解決できない問題が多い。物事を分析したり評価する能力が必要とされる。日本以外も含めた先進国の状況を見てみると、きちんと議論できなかったり、適切に評価できない状況が増えている。原因は意外に単純で、そうした能力を身に付けていない人がほとんどだからだ。
 社会の多くの問題を適切に解決するためには、議論手法や評価技術を多くの人が身に付けなければならない。こうした人が増えれば、社会の重要な問題を解決しやすくなる。これこそが社会の進歩だ。新しい時代に適した能力の教育は、進歩の原動力となる。
 残念なことに、こうした重要な能力は、既存の教育の対象にまったく含まれていない。つまり、既存の教育内容が、明らかに時代に合わなくなったのだ。今後の教育内容を考えるには、この点も考慮する必要がある。
 本コーナーで紹介している教育内容は、こうした重要な能力の教育を含んでいるし、非常に重視している。知識を覚えるのは最小限にして、分野に関係なく役立つ能力の習得に重点を置いている。これからの時代を見据えた、価値の高い教育内容を目指しているわけだ。

既存教育で誤解されている点も理解すべき

 既存の教育でも、重要な能力の習得を無視してきたわけではない。論理的に考える能力などを身に付けさせようと、小さいながら様々な工夫を試している。しかし、成功したケースは非常に少ない。ほとんどないと言ったほうが正確だろう。
 目立った成果が上げられない背景には、何となく信じられてきた迷信のような事柄がある。たとえば、「数学や物理などの理系教科を学習すれば、論理的に考える能力が高まる」という内容だ。やらないよりはマシで少しは高まるだろうが、大きく高まることはない。また「哲学などのリベラルアーツを十分に学習すれば、良識ある市民としての意識を持たせられる」という内容も、かなり信じられているようだ。しかしこちらも、やらないよりはマシで少しは持たせられるだろうが、意識が大きく高まる見込みは薄い。
 これらの迷信に共通するのは、目的とする能力を直接的には教えてないにも関わらず、大きな効果を期待している点だ。理系教科を学習するときは、内容を論理的に理解しなければならないが、それを繰り返したとしても論理的な思考能力が身に付くわけではない。単に例題を暗記だけしている人もいるだろう。同様に、いくら多くの文章を書かせても、きちんとした書き方を修得できるわけではない。間接的な学習方法の限界である。
 きちんと習得させたければ、直接的な学習方法に切り替えるのが一番だ。作文技術なら、どのように書けば正確に伝わるのか、書く際の手順や注意点を教えなければならない。思考能力だけは特別で、あまりにも抽象的なため、そのままでは教えられない。議論手法、協議方法、評価技術、整理技術、説明技術、質問技術といった具体的な用途に分割し、それぞれで現実に役立つ手順やコツを教える必要がある。また、汎用的な設計術など、幅広く使える形でも教育する。このような教科を用意することによって、直接的な教育が可能になる。
 間接的な学習方法の限界に、なぜ疑問を持たなかったのか、かなり不思議に感じる。気付いてる人はかなり多くいたと思うのだが、そうではないのだろうか。過去はどうであれ、今後は間接的な学習方法の限界を理解して、教育を検討すべきだ。

重要な能力の教育を実現できるかが鍵

 本コーナーで紹介している教育内容は、教育目的から検討し直して導き出した結果だと述べた。だとしたら、別な人が検討しても同じ結果が得られたのだろうか。まったく同じではないにしろ、似たような結果が得られると思う。
 ただし、1つだけ見逃せない点がある。議論手法や評価技術などの重要な能力に関し、本当に教えられるかどうかの確信が持てるかどうかだ。これが持てなければ、同じ手順で検討しても、まったく違った結論になってしまう。まさに、重要な能力を教育できるかどうかが、本コーナーで紹介している教育内容の鍵である。
 こう説明すると、教育可能だと確信を持っている理由が知りたいだろう。答えは非常に簡単で、教育内容を自分が作れるからだ。本サイトの別なコーナーでは、議論手法、評価技術、説明技術、汎用的な設計術、プロジェクト管理、マネジメント手法、運用手法などを解説している。他にも、プレゼンテーション、企画術、質問技術、報告技術など、間接的な形で雑誌に執筆してきた。いろいろなノウハウを自分で持っているため、教育内容が作れるわけだ。
 ノウハウを教育内容に仕上げるためには、中身を体系化するとともに、習得可能な手順として整理しなければならない。この作業手順もシステム設計を適用して求めてある。あとは手順を書類としてまとめ、実際に使い始められるようにするだけだ。

体制を整えれば遅くとも5年で実現可能に

 新しく用意する重要な教育内容は、どの程度の期間があれば作れるだろうか。議論手法や評価技術など20種類以上もあるため、自分一人でやると、たとえ専念したとしても何十年かかかる。しかし、教科ごとに10人ほどの優秀な専任スタッフを用意し、本格的に手伝ってもらえば、うまくいくと3年ほどで終わると予想する。もし予定外のことがいくつか起こったとしても、5年もあれば終わるだろう。
 教科ごとに10人というのは大まかな数字で、最後の1年だけは数倍の人数が必要になるかも知れない。人数が確定しないのは、どれだけ多くの教材を作るかに関係するからだ。多くの教材を作るなら増やさなければならないし、少ない教材しか作らないなら最小限の人数で済む。
 教育内容さえ作ってしまえば、現実に試す準備が整ったに等しい。ただし、既存の学校や教師をどうするかなど、簡単には解決できない問題が残る。しかし、それが理由で価値のある教育を遅らせるのは、賢明な判断とは言えない。教師の再教育なども含めて、できるだけ早目に移行できるように工夫すべきだ。
 移行への問題は、もう1つある。既存の教育内容を学習している生徒の扱いだ。途中から教育内容を変えるのは難しいし、かといって古い教育内容を受けさせ続ければ文句を言うだろう。仕方がないので、能力に関係する教科だけ集中的に学習してもらい、無理矢理に新教育へと移行するしかない。

新しい教育を採用した国が先に進歩する

 本コーナーで紹介している新しい教育を採用したら、社会はどうなるだろうか。これを考えることは非常に重要である。
 まず先に、教育体制を検討しなければならない。学校の義務教育として教えるだけでなく、一般の社会人も学べるようにする。インターネットを利用した学習なら、かなりの低コストで済ませられる。それで習得できない人は、有料の学校に通うこととなるだろう。習得した人がボランティアで学校を開く方法も考えられる。
 こうして多くの人が幅広い能力を身に付けると、世の中が大きく変わる。姑息な議論がやりにくくなるとか、きちんと分析や評価して適切な意思決定ができるとか、現在よりも多くの人が良い仕事をできる状態へと変わる。政府が行う公共事業も、無駄なものを作るとか、非効率的な進め方などが、極端に減るはずだ。
 ビジネスの面でも、他国に比べて優秀な人材を多く抱えられることになる。優秀な人材が多いほど商売が成功しやすいのはもちろん、インターネットの時代は世界を相手に商売ができるため、より大きな成功を得られる。他の国にとっては、驚異となるかもしれない。
 環境保護や人権尊重などの面でも変化が現れる。きちんとして分析や評価により、未来を見据えた適切な意思決定が可能になる。そうした成果を他の国に提供することで、先進的で尊敬できる国家として多くの国から認識される。
 良いことだけでなく、予想外の悪いことも起こるだろう。しかし、問題へ対処する能力が高いため、最終的には適切な解決方法を実施できる。このように、教育の質を充実させることは、長い目で見て、社会の進歩を大きく支援する。新しい革命となるかもしれない。
 社会の多くの人が能力を高めるためには、かなりの時間がかかる。そう簡単には追いつけないので、先に始めた国が非常に有利になる。どこの国が最初に始めるのか、非常に興味深い点だ。

日本が最初に実施してほしいのだが...

 新しい教育内容を実際に設計する準備は、かなり整いつつある。あとは、政府が決断して実行するかどうかにかかっている。日本の場合は、文部省が担当部門だ。
 では、本コーナーで説明しているような教育内容を、本気で採用するだろうか。本音を言ってしまうなら、今の文部省の姿勢を見る限り、採用する可能性はほぼゼロに等しい。また、この教育内容を採用すると、官僚の悪い点がいろいろと明らかになるため、絶対に採用したくないだろう。保身のためにも採用できないわけだ。
 それなら、外国の政府はどうだろうか。まず、外国の教育関連の研究者で、このような提案をしている人がいるかだ。自分が調べた限りでは、見付けられなかった。もしいたとしても、各種能力の教育内容を作れなければ、実現するのは無理である。どうやら、本コーナーの作者に頼るしかなさそうだ。
 本サイトは、日本語だけで書いてある。その意味で、日本の政府に大きなチャンスがある。しかし、もし誰かが各国政府に本サイトの存在を伝えたらどうだろうか。その中には、本気になる責任者がいるかも知れない。また、政府が決断しなくても、自国の教育を充実させたい団体か個人なら、資金を投入して教育内容を作り、完成させて政府に贈呈する方法もある。
 日本であろうが外国であろうが、政府であろうが個人であろうが、本気で実現するつもりなら、協力する意志がこちらにはある。どことであれ、実現することが一番重要だからだ。ただし、女性を差別する宗教が主流の国家と、共産主義を維持し続けている国家にだけは、大嫌いなので協力するつもりはない。また、国家として本格的に教育を実施するには、ある程度の資金が必要となる。本当に実施することが大切なので、資金のない国家も対象外とするしかない。
 以上の条件に該当する国家、組織、個人の皆さん、興味があれば真剣に検討してみてほしい。また、そんな組織や個人を知っている人、該当する関係者とつながりのありそうな人に、このサイトの存在を教えてあげてほしい。もちろん、外国の組織や個人でも構わない。
 日本の文部省は見向きもしない予想するが、声をかけなかったと後で文句を言われないように、そのうち何らかの形で打診してみようと思う。おそらく無視されるだろうが、やらないわけにはいかない。自分の本音としては、日本の文部省がきちんと予算を確保し、実施に向けて本格的に行動してくれれば嬉しいのだが。

(1999年11月24日)


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