川村渇真の「知性の泉」

論理的でない部分を論理の中に組み込む


論理的な検討が難しい内容も存在する

 質の高い議論を目指したとき必ず問題となるのが、論理的な検討が難しい内容の取り扱い方法だ。これを適切に処理しないと、論理的で科学的な議論は難しくなる。
 まず、論理的な検討が難しい内容の代表例を挙げてみよう。1つ目は、「売れる商品の条件」といった内容で、好みや流行に左右され、明確に確定しない内容だ。仮に、ある商品で成功した条件があるとしよう。しかし、別な地域、別な顧客、別な商品でも成功するとは限らない。同じ商品に対してでも、時期が異なれば成功しなかったか可能性がある。もちろん、「顧客の満足度を増す」といった抽象的な条件なら普遍的に使えるが、それを具体的に示す段階で一気に難しくなる。
 このような内容は、明確に確定できない部分があるので、ここでは「不確定内容」と表現しておこう。前述の例なら、「顧客の満足度を増す」は確定内容で、それを具体的に示したものは不確定内容に該当する。前者は論理的に検討できる内容であり、後者は論理的な検討が難しい内容である。
 次の代表例は、人々の意識や好みに関する部分だ。たとえば、差別を防ぐルールとして、どの程度まで厳しい内容が適切なのかは、簡単は決められない。ルールを甘くすると、防げる度合いが小さくなるし、ルールを厳しくすると、差別でない部分にまで悪影響を及ぼす。この種の問題は、理想的な解決方法が存在しない場合が多い。
 問題を難しくしているのは、人によって意識や好みに差があるからだ。差別をなくしない意識の強い人が多い場合と、その逆の場合では、良いと思われる結論がかなり異なる。どんな意識や好みの人が多くいるかで、適切な妥協点は違ってしまう。
 長い目で見た世の中の変化としては、差別が減る方向で動いている。そのため、差別を防ぐルールなどは、かなり厳しい内容にしたほうがよいと思われる。しかし、その時代の人々にとって厳しすぎると余計な混乱を生む。現実的には、差別が少し減るような落としどころを求めなければならない。
 人々の意識や好みに関する内容は、もっと多くある。地球環境保護を重視するか利便性を重視するかという問題、企業の社会的責任と利益追求など、挙げていけばキリがない。どのテーマでも、関係する人の意識(組織内だけでなく外部の人も含む)によって落としどころを求める。この種の内容を、ここでは「人間意識影響内容」と呼ぼう。
 以上の2つ以外にも、論理的な検討が難しい内容はあるが、説明量の関係で省略する。この2つが特に重要であり、2つだけでも議論での工夫は伝わると考えたからだ。

論理的に検討できない部分以外では論理的を確保する

 論理的に検討できない内容が含まれるテーマであっても、質の高い議論を実現するなら、議論の核となる部分では論理的に進める必要がある。論理的でない部分以外を、すべて論理的に検討するのが必須条件といえる。
 こうするのは、論理的や科学的以外にマトモな検討方法がないからだ。論理的や科学的を排除してしまっては、もはや議論とは呼べない。そうならないように、論理的に検討できない部分を、論理の中に組み込むわけである。
 このような方法を実現するためには、論理的でない部分を明確に示すことから始める。議論対象に不確定内容が含まれるなら、この部分だけは不確定内容だと明示し、それを意識しながら議論を進める。ホワイトボードに書きながら議論を進める場合は、不確定内容を破線で囲み、他の内容を実線で囲むように描いて、参加者が意識するように工夫する。
 議論の中で一番重要なのは、論理的な検討が難しい内容の扱い方だ。それが適切でないと、議論の質を確保できない。どのように扱うかは、内容の種類ごとに異なる。前述の2種類の内容に関し、取り扱い方を簡単に紹介しよう。

不確定内容では、仮説を用いて議論を進める

 議論対象に不確定内容が含まれる場合は、仮説を用いることで論理的な議論を可能にする。不確定な部分に仮説を当てはめ、それが正しいとして議論を進める方法だ。
 このような方法だと、仮説の正しさが議論に大きな影響を及ぼす。仮説以外の部分では論理的に議論できるとしたら、仮説の善し悪しで議論の質が決まるからだ。その意味で、適切な仮説を選ぶことが重要といえる。だからこそ、実験や調査といった方法によって、仮説が正しいかどうか慎重に評価しなければならない。たいていは複数の仮説を候補として挙げ、その中から一番良いものを選ぶ。どの仮説でも、絶対的に当たっているか当たっていないかという明確な評価は得られないのが普通だ。どの程度当たっているかという度合いとして評価になるので、より高い評価を選ぶことになる。
 テーマによっては、複数の仮説を選ぶ場合もある。売れる商品を検討する際には、売れる条件を仮設として複数挙げ、その全部を評価して数値化する。その中で1つだけがダントツで高い評価なら、それを仮説として選ぶ。もし複数が高い評価なら、上位の何個かを仮説として選ぶ。こうして選択した仮説を議論内容の中に組み入れれば、後は論理的に議論が進められる。
 実験や調査が難しい内容では、どの仮説を採用するのか、多数決などで決めるしかない。もちろん採決の前に、個々の仮説が当たっていそうかどうか、深く検討する必要がある。仮説の正しさが後から調べられるなら、各人の賛否を記録しておくとよい。この種の判断に特別な才能を発揮する人がいるので、その発見に役立つ。もし優れた人材が見付かったら、その人の判断を尊重するようにすれば、より適切な仮説を選択できる。
 選択した仮説が不適切だったと、議論の最後のほうで気付くこともある。その場合は、仮説の選択から議論をやり直せばよい。仮説だという点を明確にしながら議論を進めると、不適切な仮説に気付きやすいようだ。

人間意識影響内容では、正確な情報の入手が必須

 不確定内容よりも難しいのは、人間意識影響内容が含まれる議論だ。これも論理的で科学的な考察を議論の中心に置くが、最終的な結論を得る部分で明確な答えが出にくい。最悪の場合には、多数決などで決めることになるだろう。
 人間意識影響内容が影響を及ぼすのは、解決方法の目標を設定する部分や、解決方法の評価基準を決める部分だ。これらを決める段階で、きちんと検討しなければならない。その検討結果が議論の結論に大きく影響するだけに、該当する作業段階を重視して、十分な検討を重ねる必要がある。場合によっては、この部分の検討だけを独立させ、事前に議論したほうがよい。
 どんな方法で検討するとしても、もっとも重要なのは、正確な情報を知っているかどうかだ。差別問題なら、実際に差別されている人がどんな境遇にいるのか、どのように苦しんでいるのかを知れば、判断も大きく変わるだろう。地球環境保護と利便性の対立でも、環境保護が現在および将来に及ぼす様々な影響(とくに人体への影響)と、環境復元の難しさと高コストを知れば、落としどころも違ってくる。どんな問題でも、良くない結論を決めてしまうのは、正しい情報を知らない場合がほとんどだ。つまり、悪い結論の大きな原因は“無知”である。そうならないように、関係する全データを集め、その重要度を正しく認識しなければならない。また、集めた全データを整理して、全体像を把握できる形で見せないと、適切な判断は難しい。
 人間意識影響内容を含む議論でありがちなのは、全体を総合的に検討せず、一部分だけ見て評価したり、自分の感情だけで判断するパターンだ。これを防ぐには、検討手法を正しく用いて総合的な議論をする必要がある。
 もう1つ重要なのは、解決案の設計手法だ。より良い解決案を設計するための手法で、いくつかの方法の中から適したものを選ぶ。単純に決めた解決案よりも、より多くの条件を満たす解決案が求められる設計手法である。
 単純に多数決だけで決めると、多数派の意見だけが尊重され、少数派の人が常に損をする。少数派を尊重した結論を得るためには、少数派の意見をきちんと調べて、検討手法と解決案設計手法の2つを適切に用いるしかない。扱うテーマが複雑なほど2つの手法が役立ち、より良い結論を得られやすい。
 実際の議論では、議論を邪魔する様々な意見が出てくる。論理的で科学的な検討を確保するためにも、検討手法と解決案設計手法をきちんと守り、邪魔する意見を適切に処理する必要がある。

現実の検討では議論の基本条件すら満たしていない

 以上を理解した上で、現実の議論に目を向けてみよう。国会を含む多くの議論では、論理的で科学的な検討という最低限の条件すら満たしていない。ここで紹介した方法を導入する以前に、議論の基本である「論理的で科学的に」を守る必要がある。
 もっと悪いのは、議論を避けるのが横行している点だ。代表的な例は、君が代を国歌と定める法案の国会での審議。“きちんと議論されると困る人たち”が、ほとんど議論しないまま評決に持ち込んでしまった。もし適切に議論するなら、「国歌にふさわしい条件」を最初に求め、それを満たす候補曲を集め、条件への適合度を全曲で評価して、最適な曲を選ぶという手順になる。これからの社会では日本だけの平和ではダメなので、国歌にふさわしい条件には、人類全体の平和や幸福が含まれるだろう。こうした手順で決めた国歌なら、世界に向けて堂々と公表できるし、大いに自慢してよい。もちろん、他の政策や発言も自慢できるレベルでないとダメだが。

 ここで紹介した2つの代表例以外でも、論理的な検討が難しい内容がある。その場合も、論理的検討の中に組み込む方法で対処する。このような考え方で議論を進めれば、全体では論理的に検討が進み、より適切な結論を得られやすい。

(1999年8月22日)


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