川村渇真の「知性の泉」

論理的に思考できる参加者でのみ議論は成立する


議論とは、論理的な対話によって結論を導くもの

 マトモな議論を実現するためには、いくつかの条件を満たさなければならない。その1つに、参加者の“論理的に考える能力”がある。非常に重要な条件なのだが、意外なことに気付いている人は少ないようだ。それを説明する前に、議論について少し検討してみよう。
 まず最初に考えなければならないのは、何のために議論するかである。たいていの場合、何かの問題を抱えていて、その解決方法を導くために集まって検討する。その対象は幅広く、技術的なこと、組織の運営方法、販売の戦略など多岐にわたる。異なる意見が出て、どちらが適切かどうかを評価し、最終的な結論を求める課程が議論なのだ。もし結論を決めなくてよいのなら、議論する意味はあまりない。お互いに勝手なことを言うだけなので、話がかみ合わなくても構わないし、当然のことだが議論とは呼べない。
 異なる意見から出発して1つの結論を求めるので、善し悪しを判定するための評価基準が必要となる。評価の基準が何もなければ、どちらが良いのか決められない。どんな問題にも共通する基準として“論理的な思考による評価”がある。物事を論理的に考えることで、適切な答えを選べるからだ。論理的な評価の中には、当然、科学的な評価も含まれる。
 論理的な対話を議論と規定したとき、そうでない対話は何と呼べばよいだろうか。そうでない対話とは、論理的な評価で結論を求めるのではなく、好き嫌いや姑息なトリック話術で結論を決める話し合いのことだ。きちんとした評価をしないので、“単なる言い合い”といった表現が似合っている。世の中では議論という言葉をよく使うが、本当に議論と呼べる内容はどれだけあるのだろうか。残念ながら、かなり少ないと思う。

論理的に話し合わなければ最適な結論が得られない

 議論における“論理的な評価”の重要性は、論理的でない“単なる言い合い”を見ればよく分かる。残念なことに、そのような話し合いは意外に多い。いくつが挙げてみよう。
 最初の例は、評価方法が悪い場合だ。「〜かもしれない」といった表現で、いくつもの条件を洗い出す。その中には、発生の可能性が極端に低く、影響の度合いも小さいものも含まれる。論理的に考える人なら、すべてを同等に扱うのではなく、発生確率と影響度によって優劣を付ける。その結果、重要でない条件は無視し、重要な条件を中心に置いて判断する。ところが、発生確率が極端に低い条件を、自分に都合の良いなどの理由で重要視する人もいる。このような評価方法を採用すれば、最適な結論など得られるはずがない。
 もう1つの例は、発言した内容ではなく、発言者が誰かによって評価する場合だ。その中でもっとも多いのは、発言者が若いという理由だけで、意見をマトモに扱わないケース。「年長者の意見を尊重しよう」とか「もっと経験を積んでから意見を述べなさい」と言って、門前払いの扱いを受ける。論理的な評価をするなら、発言内容をきちんと評価するのが当たり前だ。その結果が悪いなら、発言者も納得するだろう。しかし、意見を検討さえしないならマトモではない。このように行動するのは、きちんと反論できないことを理解していて、相手の意見を封じ込めたい場合がほとんどだ。マトモに議論したら負けるのが分かっているから、そうなっては困るので門前払いをする。まさに、自分が希望する結論を通すために、議論をさせないのが目的なのだ。こんなやり方では、最適な結論を得らるはずがない。
 最悪な例は、科学的なデータで証拠を示しても、信じられないと無視する場合だ。マトモな思考能力を持ってのかと疑いたくなるが、実際にそんな人がいるのである。これら以外にも、“論理的な評価”を無視した話し合いの例はいくつもある。どの場合でも、きちんとした議論ではなく、別の変な基準で結論を決める。“論理的な評価”での結論とは異なるものの、誰かにとっては都合の良い結論を得るためにだ。もちろん表向きは、議論して得られた結論という体裁を取る。

論理的に対話できない人に議論は無理

 議論でも話し合いでも、人が集まって成立するものだ。話す内容の質がどうなるか、つまり“議論”になるか“単なる言い合い”になるかは、参加者の行動によって決まる。議論を成立させるのは、参加者自身なのだ。
 対話が“論理的な思考による評価”となるためには、参加者の発言が論理的でなければならない。また、論理的な発言は、物事を論理的に考えることと、考えた内容を論理的に説明することの両方を満たす必要がある。これこそ、論理的な対話を実現するための基本条件である。
 条件を満たせない人が一人でもいると、論理的な思考を邪魔することになり、マトモな議論は難しい。議論のメンバーから外れて、条件を満たせるように努力してもらうしかない。オープンな議論においては、誰もが参加できることは重要である。しかし、論理的に対話できない限り、邪魔する可能性が非常に高い。そのため、建設的な結論を得たいなら入れないほうが無難だ。単に外すだけだと問題なので、論理的に発言する方法を教えることが大切である。
 論理的な発言を全員が身に付ければ、論理的な評価で結論を導く下地が整う。これは、最高の結果を得るための条件ではなく、マトモな議論のための最低条件でしかない。その次の段階では、参加者各人の問題解決能力や創造力などが求められる。
 マトモな議論の条件として、参加者の論理的な対話を挙げることは少ない。しかし実際には、議論を邪魔する人の排除に役立つ基本的な条件だ。論理的に対話できない人にはマトモな議論が無理なことを、そろそろ気付いてもよいだろう。

(1997年11月30日)


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