#002

ヤマタケルパンの"儚さ"


 『ルパン三世('71)』の音楽の新録盤が出ましたね。しかし、『Lupin The Third - TAKEO YAMASHITA "Rebirth" From'71 Original Score』……ってタイトル長っ! いや、それにしてもすばらしい内容でした。とりあえず私的には、もう文句なし。ちゃんと「ヤマタケの音」になってる。『山下毅雄を斬る』(P-VINE)にも、かなりヤラれましたが、今回のは更にバランスが絶妙でした。

 「"オリジナルアレンジに忠実に新しく"リメイクしたいとのお話」がVAPからあった……と山下透氏のライナーにはありますが、マニア的精度を求めちゃうと、それほど忠実じゃないですね(笑) かなりの部分に新アレンジが入ってます。なので「丸コピ」を期待したルパンファンからは、「う〜ん……ココがイマイチ」的なリアクションが結構あったりして。再現精度を求めるサントラファン的視点と、演奏内容の精度を求めるプレイヤー的視点、私は両方の感覚が分かるので、いったいどっちの味方をしてよいやら……(^-^; 

 ただ、オリジナルのあの音は、あくまでも'71年の音。'71年のあの瞬間にしか生まれ得ない音なんですよね。一期一会。しかもヤマタケサウンドって、一発録りの緊張感やプレイヤーのインプロビゼーション等を信条とするジャズのセッション形式だからこそ、あの醍醐味があるわけで、他の作曲家のスコアと比べても、この「一期一会」性はより強力です。譜面さえあればほとんど同じ演奏が再現できる……というのは、あくまでクラシックをベースとした考え方であって、ジャズにはあんまり通用しません。それから、ジャズプレイヤーにしてみれば、「過去に別の人がアドリブで演奏したものを、わざわざ譜面に起こして、そのメロディをナゾって演奏する」 ……なんてことは、すなわちジャズの演奏としての「死」を意味します。予め用意したものを、あたかもアドリブのように演奏するなんて、身の毛もよだつほどのカッチョワルい行為なんですよ。
 さらに、インタビューなんかを読むと、ヤマタケって、その日の気分とか、プレイヤーの面子とか、演奏の空気感なんかを見計らって、録音内容をその場で調整していくようなことを当たり前のようにやっていたようだし。フツーのセッションの感覚の、さらに何倍もハプニング性を大事にした人なんですよね。ほとんど偶然性の音楽@J.ケージに近いと言っても過言じゃないほど(←そりゃ過言だろ)。全く同じ演奏が2度行われるなんて有り得ない、もう「超一期一会」もいいとこですよ。一瞬のインスピレーションに賭ける点というでは、普通の音楽家の上の、さらにそのまた上のレベル。……スーパーサイヤ人3ですね(笑)

 「ヤマタケの再演」というテーマにおいて、本当に大切なのは、そこなんですよ、そこ。だからスーパーサイヤ人3な部分(←全然わかんねーよ) 要するに、勢い、空気、ノリ、譜面意味ナシ、緊張感、一発勝負、偶然性、プレイヤー次第 ……というような実にジャジーにしてファジー (← ダサ! な、ヤマタケの音楽姿勢のコアの部分を継承しなくちゃイカんのですよ。そうしないと「ヤマタケの再演」にならないし、「ヤマタケの再演」をする意味がない。この大義の前には、細かなディテールの再現なんかは「マニア対策」(笑)的な意味しかありません。そういう意味では、『山下毅雄を斬る』は、まさしく、大友さんを筆頭とした新世代スーパーサイヤ人3軍団が、見事にヤマタケの神髄を現出して見せてくれた結果だったわけです。この盤での演奏の中に、音の出来上がり方は全然違うのに、なんとも不思議なヤマタケオーラを感じるのは、そういうことだと思いますよ。

 ただし、『山下毅雄を斬る』までいくと、サントラファンの耳には、ちょっと針がムコウ側に振れすぎな感じがあったかも(^-^; 特に、ファンの中でイメージが出来上がってる「ルパン'71」を再演するというテーマの中で、『山下毅雄を斬る』のレベルのことまでやっちゃうと、メインターゲットであるルパンファンがさすがにヒいちゃう。で、今回の「Rebirth」がそのヘンの決着をどうつけたかっていうと、スーパーサイヤ人「3」になりきらないで、「2」くらいでウマく止めちゃった…… ここがスゴいのよ。ほら、孫悟空だって、スーパーサイヤ人3は、パワーとスピードのバランスが取れないとかで、ヤメたでしょ。「筋肉がふくれ過ぎで、コレじゃ闘えねぇ……」とか言って(笑) それとおんなじ。あくまでも「ルパン'71 オリジナル」の音の輪郭は護りつつ、ヤマタケサウンドのタマシイである「自由さ」を失わず……というギリギリのバランス。私が「Rebirth」を、文句なしとか激賞してるのは、このバランス感覚が素晴らしく絶妙だと感じるからなんですよ。もう飽きるほど世に出たルパン・トリビュート盤の決定版にして、トドメの一撃にしなくちゃいけない宿命を背負ったこのCDの作られ方としては、見事に賢明な判断。それ以上に、ウゾームゾーのルパン・トリビュート盤の山を積み重ねた果てに行き着いた、ある種の悟りの境地のような感じがします。結局、その境地に行き着いたのが、小西さんでも大友さんでも他の誰でもない、山下透さんだった……というのも、なんかいい感じじゃないですか。

 というわけで、'71年の、ヤマタケの、ルパンの、あの音を「再現」しようというモクロミ… それ自体が、そもそも音楽的にはかなりナンセンスな話なのだ……ということです。更に、マニアの誰もが満足する「完全再現」なんてのは、絶っっ対に不可能……と断言できるでしょう。これは、ヤマタケがジャズの人である以上、乗り越えることのできない宿命です。もし仮に、オリジナルBGMと寸分違わぬベッタリ完コピ演奏が出来たとしても、もうそこにヤマタケのニオイはしないはず。テイクが違えば、「曲」が違ってしまう…… そもそもヤマタケ音楽とは、そういうものです。もう二度と作りなおせない、実に儚い存在。儚いからこそ、記録されたその一瞬の音が、永遠に価値を持つんですよ。私はそう思います。
(2002/02/18) 


#002
top > monologue
musi-caf'e
(c) RYO-3 2002