鶴見和子氏
夕張の歌を読む

ー 地底の神の怒りー


国際的 な社会学者で歌人でもあった故鶴見和子氏(1918-2006)の歌(歌集「回生」所収)にこのようなものがある。

 夕張の地底の怒り新たにす 豊浜トンネル 生き埋めの事故
              一九九六年二月一九日

何故か、この歌を読んだ時、その箇所に目が吸い寄せられるような思いがした。夕張と豊浜トンネルのある場所はかな り離れている。それでも歌人は、このふたつを結びつけて、この突拍子もない災害が、実は地底の神様が、人間に下した罰ではないかと、問いかけているのであ る。

あの時のトンネル崩落事故の映像が、頭の隅にこびり付いて離れない。あの時の事故は、確か、1996 年2月10日午前8時10分頃に起こった。トンネルが崩落し、たまたま下を走っていたバスを呑み込み、バスの乗客十九名と乗用車に乗っていた一人が遺体と なって発見されたのであった。救助活動は、崩落した大量の土砂により予想以上に難航し、全員の遺体が収容されたのは確か一週間後のことであった。幾度もダ イナマイトが仕掛けられ、その岩と土砂が一体となって崩れ去る様が幾度もテレビに映された。その崩落の土砂の中に、怒りに狂った大魔神が現れるイメージが あり、私は身も凍るような思いがしたことをつい昨日のように思い出す。

夕張という街は、かつては炭坑の街だった。最盛期には十二万人もの人々が住み、活気に溢れかえる街であった。それ が1990年、国策によって、突如として閉山となり、急激に街は過疎化していった。

そこで「炭坑」から「観光の街」へというスローガンが、どこからともなく聞こえてきて、巨大なプロジェクトがス タートした。炭坑資本が離れて行ったと思ったら、今度はゼネコンがやってきて、巨大な観光施設を短時間の間に造り始めた。どこからともなく、数百億円の費 用が捻出され、バラ色の夢が語られ、再び夕張は、活気を取り戻すかに思われた。

しかし過疎化は、その間にも急速に進展した。そしてついに、六百億の負債を負った夕張市は事実上の倒産を意味する 「財政再建団体」に認定されてしまったのである。

鶴見和子氏の歌にあるように、まだ地の神様の怒りは静まっていないのかもしれない。私たちは夕張という街について もっともっと知らなければならないかも知れない・・・。


2007.02.14  佐藤弘弥

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