潤いの消えた平泉



柳の御所で掘り起こされたしだれ桜の木の根
(鈴木紀子さん08年10月12日撮影)
 


潤いという言葉がある。湿り気といってもいい。潤いは、朝露に濡れた蓮の葉の中心に真珠の玉のように集まる水が変容したものだ。芭蕉が夏草やと詠んだ柳の 御所には、強烈な潤いがあった。ところが、もう二十年近く、この地には、潤いと湿り気がない。そのために、毎年美しく咲いていた樹齢百年のしだれ桜は枯れ てしまった。潤いや適度な湿り気がない土地では生命を育むことができない。潤いとは、文化そのものだ。

この地を、バイパスを通したいというので、掘ってみたら、平泉の政庁跡と思われる遺跡が出てきた。そのために、バイパス計画は、再検討されて、確かにコー スはズラされた。北上川は東に移され、バイパスはかつての河道の上に完成した。しかし発掘という潤いを奪う別の自然破壊が二十年続いて、この地の自然環境 は最悪となった。

その間、平泉は世界遺産候補となったが、おそらくこの潤いを奪う工事も悪役を果たして、平泉は2008年の今年、世界遺産に登録されることはなかった。も しも今のしだれ桜近辺の環境悪化の現状を承知の上で、イコモスが平泉を世界遺産としてユネスコ委員会に推薦したならば、イコモスそのものの見識が問われた はずだ。

平泉が世界遺産にならなくて良かったというのは言い過ぎだが、今の現状に対する正しい認識なしに、潤いの消えた平泉が世界遺産になることは、あり得ない。いやあってはならない恥ずかしいことだ。今のままでは、三年後の世界遺産再挑戦も難しのではないかと思う。

 
伐れゐて愛のカケラもなきままにうち捨てられし桜愛ほし ひろや

2008.10.15 佐藤弘弥

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