第二十九話

栗駒のキツネ(狐)とムジナ(狸)の話





1.根洗場の万仁右門狐

浦田の根洗場の堤のイリに万仁右門屋敷という一軒家がありました。爺と婆と二人暮しでありました。

万仁右門は山へ行って薪を伐って町へ売っては米や魚を求めて来ました。オカタ(妻)は畑を耕して豆、小豆や粟、稗を作って暮していました。

万仁右門はヤキモチヤキでネジケモノ(心の素直でないもの)で、右てば左、エグナ(行くな)てばエグ(行く)コー(来い)てばコネイ(来ない)ネロ(寝ろ)てばネナイ(寝ない)有様でした。

万仁右門が町へ出たとき魚コ買って来ました。オカタはそれを煮て出したれば「焼けばえかった」て語りました。その次に焼いて出したれば「煮ればよかった」て語ってネジケました。

あるとき万仁右門が町さ行って戻り道、一人言ブツブツ言って歩いていました。魚の包みをさげていながらでした。「今夜のオカズにこの魚焼いて出したら、煮て食う、って言うし、煮て出したら焼いて食うて語るべー、ウフフ・・・・・」

そのことをオカタは畑で聞いていましたから夜になったとき「爺んつぁまじんつぁま、この魚こ焼いたり煮たりして食いますべーす」て語ったれば、爺は「ウンナジョデモエエ」てなんにも語りませんでした。

さてこの爺と婆は二人きりでしたからやっさら(度々)狐にだまされました。爺に化けて、又婆に化けてはだまされていました。

万仁右門が町へ出て行ったときのある夜でした。

「ババーあゝ今帰ったぞ」って爺は魚だの豆腐だの、沢山買って帰りました。婆はよろこんで「お早がした、今日は寒くてヒデがしたべーさあさあお湯コもさかしてからヘイて(入って)ござい」て語って、藁靴を解いてけて風呂に入れました。いつも長湯する爺様ぁちょっとへってすぐ上って来ました。

トンナこともあるもんだと思って狐こでねいかと思いました。しかし本当に爺様です。狐なら火に弱いし熱に弱いと考えました。婆はためして見るつもりで囲炉裏のオキ(炭火)をかきあげて「爺んつぁまー寒かったベーウント(たくさん)あたらえ」と語りました。爺は「あゝ熱っあつ」と言うて這い上がりました。婆んつぁまウント熱いの好きだっけなむし」と言うて熱い濁酒煮立てゝ飲ませました。

爺は「あゝ熱い熱い」と言うてフーフー吹いてばかりいました。婆んつぁまはこのとき一大発見しました。爺んつぁまは若いとき片方の目がつぶれて左目っこでした。ところがこの爺んつぁまは右目っこでありました。さては狐だなと婆さまー考えました。

「ヨウしこの狐生けどりにしてけんべー」と考えたので気付かないふりしていました。夕飯がすんだので婆さまが、「さあさあ爺様ねますべーす、爺様酒こ飲むっと唐戸(長物)さ入ってねるのが好きでしたなむし」と言いました。化けた爺様は「やんだ」とも言われず唐戸(長物)に入って寝ました。

このとき早速婆様は錠をかけてしまいました。爺様は静かにねてしまった様子でした。婆は半信半疑で気の毒になって来ましたが、そうしているうちに本当の爺様がブツブツ小言言いながら戻って来ました。

翌朝になって長物を開けてみたら一匹の古狐が入っていましたので、今後は悪さをしないことを約束して放してやりました。

それからは根洗場の万仁右門狐と呼ばれ人間には害をしませんでした。
 
 
 
2.貴船の花子

栗駒郵便局の附近はむかしは家もなく河原の淋しい所でした。

この辺にも花子というキツネがいると言われていました。

おかしな女の子供に会ったら気をつけろよと年寄り達に言われていました。

花子はザァクザァクザァクと小豆をザルに入れてトグ(洗う)音を出すのが得意でしたから「貴船の小豆洗い」とも言われました。
 
 

3.馬橋坂の万寿郎

三丁から山田に越えるところに馬橋坂と言う坂がある。ここには万寿郎と言うキツネが住んでいました。

花館山のお花とは夫婦キツネと言われています。ですから馬橋坂と花館山の通路では度々だまされた話を聞きました。

八幡の宗作爺んつぁまもよくだまされる人でした。あるとき新里の又五郎親類へ母屋の屋根替えの手伝いに行きました。
大きな家なので三日間もかかったが落成には盛大に酒もりして皆んなに振舞いました。
宗作爺んつぁまも大そう御馳走になって又屋根葺きの頭領様から月形餅をわけてもらって、親類からは子供達へのお土産にと撒餅をもらって帰りました。

途中元学校の前まで来たとき子供等が大勢遊んで居たが、宗作爺んつぁまを見付けると皆んなで「じんつぁーどこさえってきたのじんつぁーじんつぁーお土産けらえー」ととりまいてふらさがったり、手をとったり首にしがみ付いたりしました。
爺んつぁまはすっかり嬉しくなって、「にしら(おまえたち)めんこいわらしだな、それそれ餅こけっからな」腹巻のどんぶりにあるのも背負ってた風呂敷包みもほどいて餅こみんなけて(呉れて)しまいました。

子供達はよろこんで「ワアー」と逃げて散りました。爺んつぁまーはふと気がついて見ると、子供達の姿はなく寒めばり(寒いばかり)さめくオケャツの魚の包みも無くなってしまっていました。

サテは万寿郎ギツネにだまされたと思うと口惜しくてくやしくてたまりませんでした。
 
 

4.立沢太郎

留岡から岩の目坂を上りきると立沢の上流に出ます。むかしここに一匹のムジナ(狸)が住んでいました。このムジナは人間を化かすことが上手でした。けれども人間に害を与えなかったので立沢太郎、立沢太郎とみんなに可愛がられました。

このムジナは年寄りでもあり、エモノあさりも余りしないカバネ病み(なまけもの)でした。
いつもは白い光る珠を持っていると言われていました。そして尻尾のサキ(尖端)は一部分白毛であったとも言われます。

夏の夜に白珠を地上に置いてだまってじっとして居ました。すると無数の虫が集まって来るのでした。
太郎はその虫を喰って生きていました。

永洞部落の人達が町へ出て帰りに「太郎サーお土産けっからな、人ばだますなよ。」と言って、油揚一枚も置いて行くと決して淋しいことや怖ろしいことがなく、山路を安心してたのしく帰ってゆくことが出来ました

あるとき永洞の中川の永七だんなが村会が落成(無事終了のお祝い)で幾分お酒をいただいて帰りました。
岩の目坂にさしかかった頃はあたりがうす暗くなって来ました。
立沢に来たころはすっかり暗くなりましたが、だんなは酒もまわっているし楽しく歩いていました。

「太郎やナンでもええから化けて見せろ」と言いました。そうすると浪の音が聞えてきました。浪の音がだんだん高くなって来ました。
そして一面パッと明るくなって来ました。そのうちにはるか沖合に船がこぎ出され官女が船べりに立っており、一端に扇の的が建てられました。

するとこちらから馬にまたがった武士がナギサに泳ぎ出ました。しばらくメイ目してから弓に矢をつがえて引き放しますと、船の扇に命中して空中高く舞上りました。静かさをやぶって拍手、太鼓、鐘、シャミ線の鳴物がいっせいに鳴り渡りました。

やがて鳴物が止むと今までの明りがパッとなくなり元の暗さに帰りました。永七だんなは大変おもしろく上気嫌に帰宅しました。

それからは立沢を通るときは誰れでもお土産を置く様になりました。
 

 


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2000.09.04 Hsato