2004年初秋 しだれ桜通信 5

平泉柳の御所跡のしだれ桜を救え

-EM技術によるしだれ桜の治療開始まで-
 

柳の御所跡のしだれ桜近影
(9月1日 午後1時20分 佐藤撮影)

神仏に枯死寸前のこの桜活かし給へとEM灰撒く

 
1 要望書送付まで

しだれ桜よ。何故あなたはこんなに美しい姿で、この場に佇んでおられるのか。

そんな気持ちが自然に湧いてくるほど、この柳の御所跡のしだれ桜は美しい。

でも今、このしだれ桜が枯死しかけている。それが分かったのは、8月13日であった。あれこれ云っている暇(いとま)はない、どうにかしてして 救わねば、救いたい、どうしようと考え、まず現実を伝える写真のレポートを 作成することにした。レポートを見せて、様々な人々に相談をしたところ、「知事に要望書を書こう。私が署名筆頭者になるから」という人がいた。法政大学の 五十嵐敬喜教授だった。

教授はこうも言った。
「あのしだれ桜は、ただの桜ではない。平泉という平和の都市のシンボルだ。桜が生きていける環境を作れなくて、どうして平泉が世界遺産になどなれ るか、たった一本、たった一本遺った桜だよ。あそこから見た景観は、まさに切り取った絵のようだった。工事中ではあったが、すぐ側に北上川が流れていて、 束稲山が雄大にすそ野を広げていた。北側には高館だ。松尾芭蕉が「夏草や」と詠んだ情景のすべてがあの桜が生きている景観の中に凝縮していた。あのような 樹木を守らないで、世界遺産もなにもない。すぐ増田知事に要望書を出そう」

こうして私たちは、五十嵐教授の一言で要望書を書き上げ、8月27日に、地元の住民5名を含む8人の連名で、知事宛に要望書を送った。
 

2 EM技術との出会い

要望書の署名人を募る過程で、思わぬドラマがあった。

あの開高健の弟子でアウトドア・ライターの天野礼子さんに電話をした時のことだ。
「柳の御所のしだれ桜ご存じでしょう。それが枯れかけているのです。写真レポートを作成したからまずはインターネットで見てください。その上で署名人に加 わってくれませんか」

30分後、電話をすると、電話口で天野さんが怒っている。
「どうしたのよ。いったいこれは」

「原因は不明だけど、とにかく、7月4日に行った時は元気だったのに、8月13日に行ったら、葉っぱがすっかり落ちてしまって、写真のように なっていたのです」

「これね。今すぐ、EM技術を実践している盛岡市 議の高橋比奈子さんに電話してみなさいよ。協力してくれるはずだから」

「EM?」

「EMってね。英語で言えば『エフェクティブ・マイクロオーガニズム』って云ってね。日本語に訳すと『有用微生物群』となるんだけど、琉球 大学の比嘉照夫教授が開発した技術なの。そう言えば、佐藤さん、あそこに無量光院跡に大きな松があるでしょう。あそこにマツクイムシが発生して、それを退 治した話聞いているでしょう。あれはEM技術のお陰なのよ。だから、今回のしだれ桜も助かる見込みあるわよ。それにEMの効用については、増田知事もご承 知だから・・・」

理屈など言っている間はない。すぐに盛岡市議でNPO「地球環境・共生ネットワーク」の高橋比奈子さんに電話をして事情を話し、写真レポートを 見ていただくよう頼んだ。すでに知事宛に「要望書」を8月27日付けで送付していることを告げた。

翌朝(8月31日)、携帯に高橋さんから電話があった。
「佐藤さん。これは大変です。正直、助けられるかどうはわかりません。ですけれども、最善の努力をしなけらばと思いました。そこで佐藤さん。明日時間取れ ますか。地元の人にも集まって頂いて、EMの粉末と液を散布しようと思うのですが?!」

「分かりました。30分待ってください。地元の人や、私のスケジュールも含めて調整してみます」

流石は高橋比奈子さんだ。天野礼子さんと同じタイプの行動派の女性だ。明後日は、予定があって、難しいので、明日という時間を躊躇なく設定 されたのだ。方々に連絡して、OKが取れて、9月1日午後2時半に、EM技術による薬剤を散布することになった。県の側については、高橋さんが秘書室に電 話して、緊急の対応をしていただくことになった。

そして9月1日当日がきた。私は東京発10時の新幹線に飛び乗って、1時過ぎに平泉に着いた。柳の御所に直行し、治療前の、しだれ桜の姿を写真 に収めることにした。その時に撮影したのが、冒頭の写真である。
 

3 柳の御所跡の環境の激変としだれ桜

午後1時20分。柳の御所の前に到着。まだ誰も来ていない。ゆっくりと柳の御所の前の道を東に桜を回り込むように歩いた。少し秋めいてきた 奥州平泉にあって、枯れかけているとは云え、その姿は実に美しい。御所跡の発掘調査で至る所に掘った土が小さなピラミッドのように点在している。向こうに は源義経が住んでいたと言われる高館山がでんと構えている。その遙か彼方には、すっかり残雪の消えた焼石連山が屏風のように聳えている。

冒頭の写真を上から下へとよく見て頂きたい。下に視線を降ろしてゆくと、このしだれ桜が枯死しかけている原因の一端が見えてくる気がす る。そこには、平泉バイパス工事によって行き場を失った水たちが、その場に浸透せずに滞留し、水そのものが腐っているような姿があった。滞留した水たまり には、緑のコケのようなものも発生し、しだれ桜の根が、この滞留した水によって、呼吸出来ずに窒息させられているようにも思えた。

このことは、8月2日以降、この桜を何とか救おうと、努力しておられる樹木医(環境再生医)の千葉喜彦さんの説とも付合する。彼は、この 桜の急激に枯れてきた原因を、この桜の周囲の環境が、変わったことに原因がある。樹木というものは、根から水を吸って呼吸するのだが、水が溜まって流れて いかないから、呼吸が出来なくなった。だからこの桜の環境を元に戻すことが一番の治療になると語った。

しかし現実には、平泉バイパスの工事を元に戻すことは難しい。地元では、この滞留した水を排除するために、土管を埋めて、この水を余所に 流すことも考えたようだが、結局、600万という予算に阻まれて、そのままになってしまったようだ。そして7月中旬以降の日照りが続き、桜の根が滞留した 水によって呼吸困難になっていたところに、今度は一気に天日干しになるようなことが日々が続いて、急激に樹勢がなくなったということになる。

ここに来て、台風などもあり、かなり水が滞留していた。何故、水が染みこんで行かないのか。このバイパス工事で、使用した土の成分にも原 因があるかとおもうが、このことは、元々平泉という都市が「遊水都市」とでも言うべき水をふんだんに取り入れ、循環させるような構造で造られていたもの を、堤防によって水を防ぐ形に平泉の都市構造が変化したことが最大の原因であると思われる。もっと言えば、平泉という都市の水の循環が劇的に変わったこと が、今回の柳の御所のしだれ桜の枯れた原因と云っても良いのではないかと思うのである。 
 

4 EM技術による樹木治療例(無量光院のマツクイムシ及び日本最古の山高神代桜の治療例)

2時過ぎ、人が集まり出した。8月2日以降このしだれ桜を見守り続けている樹木医(環境再生医)の千葉喜彦さんや、地元の人々が続々と続 き、今日のEM剤散布のコーディネート一切をお願いした高橋比奈子さんは、黄色のシャツに黒のスラックス姿で颯爽と見えられた。彼女と一緒に「EM研究機 構」(本社沖縄)盛岡事務所の田平早苗さんらが同行した。

高橋さんから、EM技術の事例集など、膨大な資料を提供いただいた。その中に「山高神代桜」(国 指定天然記念物)の治療事例があることを聞いてびっくりした。

この桜は、山梨県北巨摩郡武川村山高の実相寺境内に棲息するエドヒガンの古木である。樹齢は千八百年とも云われ、わが国最古参の桜である。 何しろヤマトタケルがお手植えをし、あの日蓮がこの地を訪れた時には、樹齢が千年近くになっていて枯死寸前だったという。その桜を、日蓮は、法力によって 蘇生させたと伝えられている。

桜が大好きな私は、この有り難い桜がどのような姿なのか、一度実際に拝んでみたいと、1998年4月、リックを背負って観桜に向かったこ とがある。この桜の第一印象は、桜というよりは、生命そのものが、地上に顕れている気がした。美しいというよりは、明らかに枯死し掛けていて悲しかった。 桜の根の部分に瘤のようなものがあり、何度見ても、それが我が子を抱く慈母の姿に見えて背筋がぞくっとした。花の頃であったが、この木の枝からは、花は咲 いているようには見えなかった。周辺に受けた、桜の若木が、この桜の古木を保護するように咲いていた。花を見るというよりは、この桜の肌に刻まれた深い年 月のシワのようなものに強い感動を覚えたのを今更のように思い出す。

この枯死寸前の山高神代桜に、その後、EM技術による治療がなされたということは知らなかった。今では、枝枯れや葉の収縮は続いているが、根元 から細い枝が張りだしてきているとのことである。

このEM治療による山高神代桜の根の活性化は、柳の御所の桜にとって大きな希望の光のように感じた。千八百歳にもなる桜が、蘇生してくるのだか ら、柳の御所の百年の桜が、蘇生しない訳がない。

そこで私は、二時半から始まった冒頭このように挨拶をした。

「皆さま。本日はお忙しいところをご苦労様です。皆さま周知のように、この桜は柳の御所跡にあって、平泉バイパス工事の 折りに、伐られる運命にあったのを、当時の町の建設課長だった石神さんという方が、方々に尽力をして、残った桜です。それ以来地元では、石神桜として顕彰 されてきているものです。その桜が、私が八月十三日に来てみると、葉がすべて抜け落ちて、枯死寸前になっていました。驚きまして、写真のレポートを作成 し、多くの人に相談したところ、五十嵐敬喜法政大学教授の助言によりまして、岩手県知事宛に要望書を出そうということになりまして、八月二十七日、これを 送付いたしました。その署名人を募った折り、天野礼子さんという方から、「EM技術で救えるかもしれない」からと、今日ここにおいで下さった盛岡市議会議 員の高橋比奈子さんをご紹介いただきました。

高橋さんに早速、私が八月十八日に作成した写真レポートを見ていただいたところ、『助けられるかどうか分かりませんけれども、出来るだけの ことを、早急にやらなければならないと思います。明日佐藤さん平泉に来れませんか』というお話をいただいて、今日の運びとなりました。

この高橋さんたちの有用微生物群を使用した通称EM技術というもの使っての治療事例ですが、この平泉でも三年ほど前、無量光院の松がマツク イムシ被害にあって大変だったのを救ったのも、ここにいる高橋さんを中心としたEM研究機構のメンバーの尽力によるものだったと伺っています。更に今日、 高橋さんから、山梨県の国指定天然記念物の山高神代桜を治療しているとの話を伺い、ますます意を強くしたわけです。この山高神代桜は、日本最古の桜で、樹 齢は千八百年を越えていると云われています。日蓮が千年を越えて樹勢が衰えていたのを法力によって、甦られたとの伝説のある桜です。私も6年ほど前に参り ましたが、枯れかけている印象でした。それが新しい根を生やし始めたというのすから、これは柳の御所にとっても大いに期待できると思ったのです。

八月二日以降、この桜を守ろうと努力されている樹木医の千葉喜彦さんも今日ここにお見えいただいております。何かメンツをつぶすような行 為で恐縮なのですが、ここは枯死寸前の大切な桜に対し出来る手だてをすべて打つということで、お許しいただきたいと思います。また今日の治療に関しては、 高橋さんの方から、知事室にもお話を通していただいておりますが、どうぞ行き届かない点はお許しください。私はこの柳の御所跡に最後に残った一本のしだれ 桜の命を守る行為が清衡公の建都の精神にも叶い、ユネスコ世界遺産の精神にも通じる行為だと思っています・・・」

次に高橋さんが、今日に至った経緯とEM技術について説明をした。EM(有用微生物群)は、琉球大学の比嘉照夫教授が開発した環境にやさしい技術で、様々 な分野で応用が進んでいること。EMをしようすることによって、樹木に散布した場合は、樹木自身の生命力を活性化し抵抗力を高める効果があること。事例に ついて、無量光院のアカ松についたマツクイムシの駆除、盛岡城のお堀の浄化、盛岡市の保護庭園の一ノ倉邸での害虫駆除、日本最古の桜「山高神代サクラ」の 治療したことなどがあることを説明。最後に「但し、今回の平泉柳の御所跡の枝垂れ桜については、大変厳しい状況ではあるが皆さんの思いを込めて最善を尽く しましょう」と語った。

作業の手順については、EM研究機構の田平研究員が、EM-Xセラミックパウダーを根の周囲に散布し、その後EM活性液を140リットルほど、 根の周囲の土壌に掛けることを説明し、早速作業に取りかかった。作業は、およそ1時間ばかりで終わった。
 

5 今後の桜蘇生の運動について(総括)

作業の間、高橋比奈子さんは、「どうか、サクラに思いを込めて、撒いてくださいね」と何度か云われた。この作業の中で、サクラを残したいと いう強い連帯感が生まれたような気がする。私の中にも、平泉の人々や高橋さんたちとEMパウダーを樹皮に振りかけ、EM活性液を、根本に注入している間 に、何としても、このサクラを蘇生させたいという気持ちが心の奥から湧き上がってくるのを感じた。これだけの人が、ただ「サクラ・サクラ」と、念じつつ作 業をすれば、奇跡が起こらないわけがない。そんな気がした。住民の人たちからは、「地元でもサクラを植える会のようなものがあるので、今後は、その会の人 たちにも呼びかけて、年内に何度かEMを散布してみたい。ついては高橋さんこのEMの勉強会のようなものをしたいので、お世話いただけませんか」というこ とになった。

この日、この桜の蘇生のために集まったすべての人々に感謝を申し上げたい。思えば、桜というものは、どうしたわけか、日本人の魂の琴線に 触れる樹木らしい。マスコミ陣も含めて、2004年9月1日午後2時半、柳の御所跡に集まった多くの人が、この柳の御所跡のしだれ桜の命を何とか守りたい と気持ちをひとつにした。このことこそが平泉がユネスコ世界遺産選定される重要な精神性であると感じた。もしも平泉が世界遺産となれば、当然地元には、そ の遺産を管理維持してゆく義務が生じる。たった一本残った大切な桜も守れないような地にどうしてユネスコ世界遺産委員会が、「世界遺産」という金メダルを 与えてくれるだろうか。思えば、桜は自身の命を危険に曝しながら、平泉の人々に、世界遺産になる精神というものがどのようなものを教授してくれたのかもし れない・・・。

一本の桜の命を守る精神は、初代清衡公の建都精神に叶い、そしてユネスコ世界遺産条約の精神にも通じると思うのである。了
 

みんなして「サクラ・サクラ」と一心に祈らば奇跡の蘇生ありな む


EM散布の作業経過


EM技術の説明をする高橋比奈子氏(NPO地球環境・共生ネットワーク)と「EM研究機構」メンバー
(見守っているのは地元住民、岩手県教育委員会、平泉町関係者、マスコミ各社)
(2004年9月1日 午後2時半)

樹木の根本に灰のようなEM-Xセラミックパウダー2キロを散布する
(午後2時40分)
 


樹木の根元から周辺にリンゴジュースのようなEM活性液を140リットルほど散布する
(午後2時50分)

EMパウダーと液の散布がすべて終了、後は奇跡の回復を祈るだけだ
(午後3時)



平泉柳の御所跡枝垂れ桜のEMによる樹勢回復処置

日時 平成十六年九月一日 14:30〜

場所 岩手県西磐井郡平泉町 柳の御所跡地

方法 

EM活性液50L樹木の根本に散布。
EM活性液50L枝下に数カ所に散布
EM-Xセラミックパウダー(発酵)2kgを樹木の根元に散布
    *現場の状況により、水たまりにEM活性液を約10L投入予定
目的 
佐藤氏のホームページなどを参考にしたところ、一日でも早くEMを散布することが、樹勢回復の可能性があるのではと 思い、急遽行 うことになった。すでに樹勢はかなり低下しており、EMによっても回復する保証はできないが、少ない可能性に賭ける意味でもEMの散布を行うことになっ た。
連絡先 
○NPO法人 地球環境・共生ネットワーク岩手支部
〒020-0015 岩手県盛岡市本町通2-11-27 東第二ビル2F
Tel 019-604-9555 / Fax 019-604-9550
http:www.unet.or.jp

○桜の樹勢回復処置についての問い合わせ先
NPO法人 全国花のまちつくりネットワーク事務局
〒107-0052 東京都赤坂3-16-11 東海赤坂ビル4F
Tel 03-5570-5262 / Fax 03-5570-7052  担当:瀧島義行

○EM技術指導についての問い合わせ先
株式会社 EM研究機構 盛岡事務所
〒020-0015 岩手県盛岡市本町通2-11-27 東ビル2F
Tel 019-604-9555 / Fax 019-604-9550
http:www.emro.or.jp


今後の取り組み

地元や教育委員会との打ち合わせをおこなって今後の取組を決定したい。



2004.9.2 Hsato

平泉景観問 題HP