想像力を越えた

山高神代桜を見る


早足で駆け抜ける春を追って、甲州の武川という所に山高神代桜なる古木を観に行くことにした。新宿から急ぎ中央線に乗り、甲府で松本行きの各駅停車に乗って25分余り、日野春という駅で降りた。時間はすでに午後4時を過ぎており、陽はかなり傾向きかけていた。

誰もいない駅の改札を抜ければ、西には、八ヶ岳がそびえ、東には、霞にたなびく富士山が見える。それにしても景色はやたらときれいだが、物寂しい所でもあった。

村人に「名物の山高神代桜を見に来たのですが、この道でいいのですか」と、聞けば、

「そうですが、歩きかね、ちょっと遠いよ」

「どのくらいですか?30分位ですか?」

「まあ、そんなもんじゃろ、とにかくこの路をまっすぐ行きなされ、すると橋が見える、橋が見えたら、そこが武川じゃ、そしたらそこでまた人に聞きなされ」

という訳で、背中にフル装備のザックを背負って、テクテクと歩いていった。だらだらと坂道を下っていくと、竜の胴を思わせる川が夕日に輝いて見える。狭い道を砂利トラックにあおられながら、橋を渡る。軽く考えていたが、橋を渡るところで、すでに30分は越えてしまった。

更に狭い道を、急ぎ足で歩く。陽は、すでに、屏風のように聳(そび)える八ヶ岳の向こうに隠れようとしている。なかなかそれらしき立て札が見えない。何度も人に道を尋ねながら、歩くこと1時間15分余り、やっとのことでお目当ての実相寺という寺の前にたどり着いた。

地元の人々が出している店も、そろそろ店じまいを決め込んでいる所へ、汗まみれの佐藤が入っていく。カメラマンジャケットにはソニーのビデオが、首にはミノルタのカメラをかけている。そんな自分を客観的に考えると急に可笑しさがこみ上げてきて、一人で笑った。ただ苦労をして、たどり着いただけに、山高神代桜が、妙に愛しく思える。実相寺の山門に入ると、水仙の黄色い花が、咲き乱れている。

「いったいどこに山高神代桜は、あるのだろう…?」どきどきしながら、歩いていくと、

立て看板に「本堂で参拝してから、桜を観てください」とある。「もっともだ」と思いつつ、お賽銭の百円を賽銭箱に投げ入れて、気持ちを整えた。本堂の東方には、日蓮の銅像が、立っていて、その威光に、思わず頭が下がる。更にその彼方に目をやれば甲斐駒ヶ岳を中核とする南アルプスの山々が、夕日を浴びて、赤く輝いている。不思議な荘厳さに、自分自身が包まれているのを感じながら、釣り鐘の横の小さな石段を抜けて少し行くと、お目当ての古木は、静かにそこに鎮座していた。

言い伝えによれば、この桜は、樹齢千七百年、ヤマトタケルのお手植えと言われている。850年ほど前、すでに朽ち果てようとしていたこの桜を観た日蓮聖人が、「この桜を枯らしてはならない」と祈りを捧げてから、不思議な生命力をもって甦ったとも伝えられる。

「これか?これが山高神代桜か…」その瞬間、桜という先入観がすべて、どこかに吹き飛んでしまった。それはまさにご神木。直径3mかそれ以上あると思われるこの桜は、頭上4,5mの所で折れており、ダリの絵のように、無数のつっかえ棒で支えられている。そのてっぺんには、台のようなものが据えてあり、これ以上腐食が進まないような工夫がなされている。左に回って見れば、腕のように横に伸びた枝が、石の台で支えられている。

しかし何よりも驚かされたのは、この古木の肌である。私は無数の人の念が染み込んでいるように感じた。確かに人の顔のようなものが木の肌に浮かんでいるように見える。ピカソの描くような顔、ミロの絵のような顔、怒っている顔、安らいでいる顔、竜の頭のように見える部分もある。この木の肌を見ていると、飽きがこない。何時間でも見ていられるような気がするから不思議だ。

中でも一番感動したのは左方に回って見たときに、小さな子供をいたわる母親が、浮き出て見えた時だ。どのように見ても泣いている子供の額に、母親が頬を寄せているようにしか見えない。慈愛に満ちたこの自然の作り出したイメージの中に、私は圧倒された。

神仏は遍在(広くあちこちに行き渡ってあること)なり、そこかしこに、神仏は存在するのだもはやここまでくると、この木は、木であって木ではない。すでに桜とか、花とか言うものを、完全に越えてしまった存在のように思える。私はこの古木の中に、桜の魂や桜の本質のようなものを感じていた。まさにこれこそご神木。

花をつけた桜だけが桜なのではない。この世の中には、自分の想像力を遙かに越えた存在があることを、改めて思い知らされた一日であった。佐藤

 


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1998.4.6