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レポート8月28日

義経公を偲ぶ夕べ



 8月28日、午後5時、義経堂での法要を終えると、義経公の涙雨か、一段と雨足は早くなった。義経堂の下には、朝早くから平泉の支援者である吉田千秋氏の指示のもと、舞台が設置されていたが、雨天を見越し、ブルーの屋根を付けていて事なきを得た。もし屋根がなかったら、今回の企画は大変な窮地に立たされていたはずだ。これには実は「義経公は、涙脆いお方だから必ず雨になる」という、菅原さんの貴重な一言があった。

当日は、義経公が、810年振りに自宅でくつろいでいただくために義経公に「ひよどり越えの逆落とし」という御神楽と創作舞踏「腰越の舞」を奉納することとした。神楽は、義経公がもっとも颯爽と輝いている時期のものとの発想からこの「ひよどり越え」が選ばれた。これは戦の天才義経公が、その才能を遺憾なく発揮した一ノ谷の合戦の場面を見事に南部神楽として結晶させたすばらしい作品である。演じるのは、山伏神楽の伝統を汲みながら海外公演を行うなど積極的な活動をしている栗原神楽社中(今野代表)面々である。

源義経公

舞台の前は、激しい雨で、どろんこのぬかるみが、そちこちに出現した。それでも地元の人も含めて多くの人々が舞台の前で傘を差しながら、観劇し、熱心に810年振りの義経公の平泉入りを祝った。

始まりは太鼓だった。代表の今野氏が、激しく強烈なリズムを刻み、やがてそれに歌いが続く、そして主役である赤い烏帽子をつけた義経公が登場し、口上を語る。実に美しい清冽な印象の義経公である。やがて舞台では、ひよどり越えでクライマックスを迎え、一気に平家の陣を攻め滅びしてしまう勇猛な合戦シーンで幕となった。

その見事な舞をぬかるみに立ったまま傘を差し熱心に見入っている人物がいた。先ほどまで、義経公の法要を一人で取り仕切っていただいた藤里大僧正その人である。大僧正は八〇歳を越えたお方である。その情熱と熱心さには、ただただ頭が下がる思いがした。

クライマックスの華やかさ

「腰越の舞い」は、有名な腰越状を現代語に直して朗読し、それに合わせて創作の舞踏をつけた作品である。さらに音楽にはジャズのマイルス・デービスの作品から「In a Silent Way」という実験的な楽曲を選んだ。この日のために東京からわざわざ劇団民芸の俳優「岩下浩」氏が友情出演で駆けつけていただいた。氏はこれまで大河ドラマ「弁慶」で日立坊海尊を、舞台では木下順二作「子午線の祭り」で武蔵坊弁慶を演じるなど、義経公に縁のある俳優さんである。今回は、現代語化した朗読台本をご自身で和紙に墨で書いて持参いただくなど、驚くような気迫と情熱を持って、朗読に取り組んでいただいた。踊りは、菅原氏が、白河の関を越える時に、食堂で偶然お会いしてご祝儀をいただいたという不思議な縁で、出演をお願いした創作舞踊芳泉流家元「小松芳泉」女史である。

義経見参!

激しく雨が降る中を、舞台に登場した白装束の菅原さんと高橋さんが、ほら貝を吹く。そしてに退散。音楽が鳴り始め、その跡には、小松女史演じる義経公の霊が居て静に身を起こし舞い始める。気合いの乗った岩下氏の低い声が、地を這うように響いてくる。その朗読とは、逆に抑制された小松女史の舞は、実に幽玄な深みを湛えていて心洗われる心地がした。

最後では、再び舞台の袖で待機していた菅原氏と高橋氏が登場。舞い終えた小松女史の後ろに立って「義経見参・義経見参」という岩下氏の叫声に合わせ、杖を振り上げて、「おー」と叫んで、腰越の舞は、幕となった。この舞は、単なる恨みの舞などではない。復活の舞、蘇生の舞なのである。

不滅の華 源義経

アンコールの声がかかり、岩下氏が、「平泉御巡幸のパンフレット」に掲載している「義経公への献詩 不滅の華」を即興で朗読し、それに合わせて、小松女史もまた即興の舞で応えた。
また詩の中で、 
    「奥州の山河巡りて 雨と降り 
         降りだし始め 又降りて 
         陸奥かしこ そこかしこ 
         降り 降り 降りて 降り濯ぎ」 

という箇所に来た時には、雨が一段と激しくなり、何か不思議なシンクロを感じた。まさに人間と雨(自然)との素晴らしい競演だった。それはステージを降りた、岩下氏に、駆け寄って握手を求めた「ここに来られて、よかった。素敵でした」という女性の一言に集約されていた。

以上、菅原次男ならびに菅原次男を支援する会は、雨にも関わらず御法要に参加された皆様と、短い打ち合わせだけでご協力いただいたスタッフの皆様に、心からの謝辞を述べる次第である。
 

 



 
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