「間」の達人  役者「森繁久彌」大往生

日本文化そのものを体現するような役者「森繁久彌(1913-2009)」さんが亡くなった。享年96歳。老衰だという。天寿を全うした森繁さんは、09年11月10日朝、紋付袴に袖を通した粋な格好で最愛の家族に看取られながら眠るように逝ったという。

少しばかり、森繁久彌さんの芸と日本文化について考察してみる。日本文化の本質は「間」にある。「間」とは、文字通り、空間における「間」のことである。 それは、千利休の茶道でも、芭蕉の俳諧でも、夢窓疎石の作庭法でも通底する一種の日本文化の中で生成した哲学のようなものだ。芸術における表現対象物から 余分を取り去って、その「間」に、美を観じることである。

森繁さんの演技や話術には、「森繁節」と言われるような彼独特の「間」があった。その中で、私は早世した「向田邦子」の脚本による「だいこんの花 (1970-1977)」の演技が特に印象的に残っている。その演技は、まるで幼い頃、故郷で経験した団らんのようにじんわりと思い出される。

どこにでもいるような爺さん役を演じながら、あの森繁さんの演技には、大戦が終わり、さまざまな苦労へて、やっと辿り着いた日本人の心の平静を、高らかに謳うようなところがあった。

森繁さんを取り巻く役者陣もよかった。大阪志郎、牟田悌三氏、ミヤコ蝶々(以上故人)、加藤治子さんなど、息のあった競演者との「間」も絶妙だった。明ら かに、この辺りは「アドリブ」だなと思えるようなシーンがあった。そんな時は、思わずクスッと笑った。森繁さんをはじめとする名優たちは、向田邦子さんの 脚本「大根の花」を飄々と演じ、同作は、小津映画同様、日本文化に通じる「間」を表現するホームドラマの傑作となった。

世の中に、落語や講談などさまざまな話芸があるが、森繁さんの話芸は、どこにも属さない独特の味わいがあった。

99年に森繁さんが朗読したCD「葉っぱのフレディ(いのちの旅)」がある。これはアメリカの哲学者レオ・バスカーリアの原作の絵本を、森繁さんが朗読し たものだ。淡々とした森繁さんの朗読は、命のなんたるかを朗読で伝える円熟した作品だった。森繁さんの長い芸歴の中でも、特筆されるべき話芸というべきだ ろう。

森繁久彌さんの96年の人生は、青春時代に日本という国家そのものが崩壊しかねない第二次大戦という歴史的大事件に遭遇しながら、日本社会のどん底と復興 と凋落の荒波に揉まれる民衆の心を自らの演芸によって励まし続けた小粋な人生だった。「間」の達人、森繁久彌氏の御霊に合掌。

2009.11.12 佐藤弘弥

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