くりはら田園鉄道を撮る



くりはら田園鉄 道若柳駅舎探訪
(08年10月5日 佐藤弘弥撮影)



若柳駅は「くりでん電車博物館」そのものだ


昨年3月末まで 走っていた電車



栗原の田園に落ちる夕日を撮っていると
くりでんが汽笛を鳴らしてやってきた
(04年7月25日撮影)

1 くりでんも廃線で寂れるばかりの栗原

昨年春(07年3月)廃線になったくりでん(くりはら田園鉄道)の電車が、まだ若柳駅舎に置かれているという話を聞き、08年10月5日(日)午後現地に 向かった。

くりでんは、大正7年(1918)、栗原軌道鉄道として発足した。当初は石越ー沢辺間8.8キロの運転だった。その後、岩ヶ崎(栗駒)駅まで延長 され、16.6キロに。さらに鉱山のあった細倉まで延長(1940)され、全線26.2キロとなり、地域の旅客と細倉で産出する亜鉛などを運搬する役割を 担ってきた。

しかし自動車が急速に普及し、細倉鉱山の亜鉛に対するニーズが減少してくると、このくりでんは、採算が合わない状況に陥った。

昭和62年(1987)細倉鉱山が閉山になり、いよいよ経営は厳しさを増した。度重なる駅の無人化などの合理化を図ってきたが、大きな時代の流れには抗し がたく、平成16年(2004)、株主総会で廃線が決まったものだ。

地元の人々は、この鉄道について、保存運動を行って来た。確かにこのくりでんは、石越(登米市)から栗原市を西に走る「栗原横断電車」とも言うべ き電車だった。米所栗原の田園地帯をのんびりと走る風情は、実に味わいがあった。また細倉鉱山を含めた近代化遺産としての価値を考えあわせるならば、これ を栗原観光のツールとして使用することも考えられた。

2 くりでんを活用しようとした二人の人物の死

若柳駅舎に行くと、新旧さまざまな電車が並んでいて圧倒された。

そして私の中で、三ヶ月前に起こった岩手・宮城内陸地震のことが思い出された。この大地震では、栗駒山麓にある駒ノ湯温泉が、栗駒山の雪渓を含ん だ大量の土石流の波に呑まれて倒壊し7人の命が一瞬で奪われた。その中にふたりの宿泊客がいた。一人は地域プランナーの麦屋弥生さん(48)、もう一人は 鉄道博物館学芸員の岸由一郎さん(35)だった。ふたりは、廃線になった「くりでん」の資産を保全し、町おこしに活用するための検討委員会(6月13日栗 原市主催で開催)に参加した後、たまたま駒ノ湯温泉に逗留し、被害に遭ったものだ。お二人の志を引き継いで、このくりでんの保存と活用をする運動は、地域 を活性化するための大きなテコになるのではないか、そんな気が強くした。

3 若柳駅舎は生きた鉄道博物館そのもの

確かに、廃線になったとは言え、これだけの貴重な電車が並んでいるのは、全国でも珍しいもので、そのまま「鉄道博物館」の面持ちがした。エコ・ミュージア ムという考え方がある。

エコ・ミュージアムとは、エコロジー(生態学)とミュージアム(博物館)が合体した造語である。これは1960年代にフランス人G.H.リヴィ エールによって提唱された概念で、地域社会に遺っている歴史的遺跡や建物などをそのまま博物館と考えて、持続的な保存活用を図る考え方である。

私はこの駅舎周辺の電車や線路、倉庫などの配置を見ながら、エコ・ミュージアムの発想で保全できると確信を持つに至った。そしてもうひとつ、この 鉄道が、細倉鉱山の歴史と深く結び付いていることから、近代化遺産としての細倉鉱山を総体として見直し、ユネスコ世界遺産の価値があるかどうかの研究を直 ちに開始すべきではないかとも考えた。

くりでんを、細倉鉱山と絡め、近代化遺産として、ユネスコ世界遺産に登録される可能性を探るのである。そもそも細倉鉱山は、この栗駒山周辺でアテ ルイと坂上田村麻呂が雌雄を争った頃、つまり平安遷都をした桓武天皇の時代(806)に開かれたと伝えられる千二百年の歴史を誇る古い亜鉛鉱山である。こ の鉱山の概要と、近代以降の鉱山史を研究することによって、ユネスコ世界遺産に登録される価値の証明ができる可能性がある。

また宮城の米所の「栗原」は、平和の理念で建設された都市平泉の南に拡がる土地である。秀衡が引き継いだ最盛期には、産出する黄金を背景にして、 京都に次ぐ十数万の巨大都市であったと言われる。この地には、平泉を防御するための防御網が築かれていた。3年後に世界遺産の登録が期待される平泉との関 連性を考えても、栗原の地の歴史的再評価が、生まれることも考えられる。

4 くりでんの火を消すな

駅舎の側に、くりでん本社がある。清算法人の事務局長となった鎌田健氏に、今後の清算に向けたお話しを伺った。長い間、くりでんで頑張ってきた人 物だけに、「時代の流れとは言え本当に残念」と語られた。今後は、この電車を活用し、公園のような施設を作り、電車を走らせる計画があるという。

私は「くりでん」を、単に清算してしまうのではなく、もっと別の角度から光を当てることによって、地域を内発的に活性化させられるもっと大きな価値がある ものではないかと思った。


★くりはら田園鉄道スライドショー

2008.10.10 佐藤弘弥

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