皇居周辺地区で 新美観論争起こる


1 パレスホテル論争
08年11月26日、和田倉噴水公園で、五十嵐敬喜法大教授がコーディネーターとなり、皇居大手門の手前 にあるパレスホテルの高層ビル化する問題について、建築家出江寛氏((社)日本建築家 協会会長)、建築家竹内壽一氏の三氏が現地で議論をした。

三氏は大手御門より、皇 居東御苑に入苑し、皇居側から高層化する丸の内周辺地域を俯瞰しながら、議論を重ねた。

本丸天守 台跡の石垣の上から丸の内方向を見ると、まるで皇居周辺地区全体が高層ビル化し 、聖域としての皇居に津波のように押し寄せている。私には、そのようにしか見えなかった。

建築技術の発達 は、地震多発国日本においても、高層建築を容易にした。その結果、1000mのビルも 可能という話まである。確かに技術の発展や経済合理性から見れば、高層ビルは必然の方 向かもしれない。

しかしそこでひとつ完全に置き忘れられていることがある。それは皇居 周辺の景観というものは、日本の顔としての側面を持つ、文化的景観であるということ。 もっと言えば、聖域(ハレとケのハレの空間)であることだ。

やはり景観の基層にある日 本文化の伝統を損ねるような高層ビルラッシュは再考されるべきではないだろうか。さし たる高層ビル規制の法律もない現在、所有権者の自由に委ねられている現実も含め、公共 性の側面から何らかの規制に向けた合意形成がなされるべき時が来たと強く感じる。(佐藤弘弥記)



2 ハレとケの構造
皇居周辺の景観を探るために、出江、竹内、五十嵐三氏は、本丸の奥に位置する天守台跡に向かった。

三氏は高層ビルが大挙して津波のように皇居に押しよせる あり様を見た。五十嵐氏が高層ビルがすべからく陸屋根(平屋根)であることも指摘した。

出江氏は、和辻哲郎の「風土論」を引用し、高温多湿のモンスーン地 帯の日本が、米国のような乾燥地帯の建築を模倣したような陸屋根の形状はおかしいと語った。

未だに欧化コンプレックスは続いているのか。出江氏は、皇居の 本質が、「ハレとケ」の「ハレの空間」であり、それに対し、周辺地域としての丸の内は、穢(けが)れとしての「ケ」の空間であるを指摘した。

さらに出江氏 は、ハレとは「癒しの場」であり、M・ピカートの言う「沈黙の場」であるとも言った。皇居は「聖域」ということになる。

この皇居という「聖域」に対 し「尊敬がないことが、問題だ」と五十嵐氏は語った。 無原則に進められる高層ビルの開発思想にどうしたら、歯止めが掛けられるのか。今こうしている間にも、皇居に構想ビル化という津波は迫っている・・・。



3 文化的高層ビルは可能か?
五十嵐氏がコーディネーターとなって、新マンハッタン計画とも言える大手町・丸の内・有楽町周辺で起こっている高層ビル化の流れの中にあるパレスホテルの建て替えに問題を絞って白熱の議論を展開した。その中で、東京海上日動の本社ビル(前川圀男氏設計)は、ひとつの基準として考えられる点では一致を見た。出江氏は、経済の流れから高さを今から低くすることは難しいと語り、ルーバーに文化的素材(ステンドガラスや磨りガラス)を使用することで、文化的な香りのする高層ビルは可能ではないか?と主張。それに対し、五十嵐氏は、「文明的な素材は高さと本当に両立できるか?」と反論をした。議論は、続く・・・。



4 ハレとケの間合いをつなぐデザイン
出江寛氏が、ステンドガラスのルーバーを設置す ることを具体的に提案。さらに背後の壁などにも、耐候性鋼板(たいこうせいこうはん) などの素材を使用することにより、二元対比の文化的建築を建てることは可能と語る。そ こで五十嵐氏は、皇居という場所に相応しい建築として、高さはやプロポーションなども 吟味する必要がある。出江氏の案は、言わば苦肉の策。本来あるべきデザインは何か?と 迫る・・・。



5 皇居という場所に相応しい建築物
五十嵐氏は、出江氏の「(ステンドガラスのルーバ ー)や壁の素材を吟味することで、文化的な高層ビルは造れる」とするアイデアに対し、 苦肉の策と本来のあるべきデザインは何かと迫る。そこで竹内氏は、過去からの美観論争 を踏まえて、場所に相応しいという視点が抜けていたのではと主張する。単に高さを問題 にするだけではなく、聖域としての皇居に近いという場所性やお濠の側に立つという水辺 の環境に合ったデザインが必要ではと本質的な問いかけをした。出江氏は、皇居周辺は、 奇跡のようなしてできた「沈黙の場所」(ハレ)であり、沈黙を追い出すような都市計画 はダメと言う。その一方で、経済発展から言えば、高い建築物はある程度仕方ないと一定 の理解を示しつつ、問題は「ハレとケの間を取り持つ」こと、例えば高く育つ樹木(メタ セコイヤなど)を植えることで解決するのでは、と主張。結局、議論は平行線となる。た だし、日本文化の持つ文化を伝える日本の顔として、この皇居周辺地区の景観を考えるこ とは大切であり、今後とも高い見識をもって議論を積み重ねて行く、という方針で三氏は 一致をみた。


2008.12.1 佐藤弘弥

義経伝説
思いつきエッセイ