
イチローの二千本安打の瞬間を目撃しようと起きたら西の空に月が懸かっていた

空はどんどんと白みはじめ、月は青い空に溶けていった
イチローが日本時間9月7日早朝、あと一本と迫っていた2千本安打を、第一打席二球目で、易々と達成してしまった。
試合後、プレッシャーはなかった。そのような時期は過ぎた。とインタビューに応じたらしい。まさにイチローは、刻一刻と己自身を高みへと運んでいる感がす
る。また一方、天才イチローにも、目に見えない肉体的な老いというものが忍びよっていることを知らされた。それはWBC後の胃潰瘍であり、今回の左足太も
もの違和感(軽い肉離れとの噂される)がそれである。その結果、イチローは胃潰瘍で開幕からの八試合し、終盤に来て、太ももの違和感で八試合欠場を余儀な
くされた。
しかしこのふたつの禍(わざわい)も、イチローの直観力(自己内省力)によって、すんでの所で最悪の事態を免れ、今シーズンの目標であった大リーグ2千本
安打と9年連続200本安打を、ほぼ手中に納めようとしている。高いところに目標を置き、試合会場には、3時間前に来て、体調を整え、バットを振り続け
た。自分の体調に異変があれば、己の体調と対話をしながら、最悪の状況になるのを、防いできた。
このところのイチローのそんな自己と対話をするような体調維持法を見ながら、もしかするとイチローの本質は、自己との対話をする能力に人一倍長けていることかもしれないと思うようになった。
あらゆる分野の飛び抜けた人間をみると、長い間頂点にいる人間というものは、この自己の内部の声に耳を澄ませ、その声が何を云っているのかを判断できる人物ではないだろうか。
考えてみれば、答えはすべて己の内にある。例えば、生物の生成の歴史は、自身のDNAの二重らせんの中に、隠された言語として書かれている。ただ人間は、
その言語を読めないだけなのである。このことはひとつの比喩であり、すべての世の中の真実は、自身の中にあるということになる。
内省という言葉がある。静かに己自身の内に光りを当てて自らを省みることである。イチローにとって、今ある大いなる壁は、わずか四厘差で、大リーグトップ
の打率を誇るマウアー選手(ツインズ:三割六歩四厘)ではない。間違いなくイチローは、自己の中にある不安を見つけて、その内なる敵を打ち破る策を静かに
練っているに違いない。
それはプレイできる体調をいかに維持し、18m先からピッチャーが投げるボールを、自分らしく、いかにヒットゾーンに運んで行くか、ということに尽きるのではないかと思う。
ベースボールの原点は、打って、投げて、走るという三つの要素がある。そのいずれもが、完璧にできる選手は、大リーグ広しと云えども、簡単に見つかるもの
ではない。イチローの美学は、その三つの要素のいずれもが、高いレベルでバランスされている状態を維持することにあることは明白だ。
間もなく、今シーズンのふたつ目の目標であった9年連続200本安打という大リーグ記録が達成されるだろう。また首位打者も射程圏内にある。しかしあくま
でもイチローは、いつものように、柔軟体操を繰り返しながら、これを淡々とこなして行くやり方を続けるはずだ。自己との対話の達人イチローの今シーズン最
後のプレイを楽しみに見守りたいものだ。
(佐藤弘弥09年9月7日記) |
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