イチロー9年連続200本安打と千日回峰行

09年9月13日(日本時間14日午前)、イチローが難産の末、ともかく9年連続200本安打の偉業を達成した。このところ、流石のイチローも、今年最大の目標と自ら公言してきた200本安打を前に、珍しく打ち損じなどで、200本の達成は、遅れていた。この二週間で、三割六分台だった打率も三割五分台まで急落していた。

これはやはり、目標を目前にした重圧のためと考えるのが自然かもしれない。これまでも、03年などには、後半息切れ寸前となり、吐き気を催すなどの状況になったと語ったことがある。

産みの苦しみは、イチローにもあるということだ。イチローは、達成後のインタビューで開口一番「解放されました」と語ったという。実感だろう。

今日のイチローの表情を見ながら、なぜか、「千日回峰行」を二度達成した超人酒井雄哉(さかいゆうさい)師のことを思った。

千日回峰行は、七年をかけた恐るべき難行だ。

最初の三年間は、比叡山の山中を夜未明に出発して約40キロを年間百日間巡礼する。四年目、五年目には、二百日間巡礼。これで合計七百日間の回峰行を行う。

ここからが大変になる。七百日間の回峰行の後には、「堂入り」という修行が待ち受けている。これは御堂に籠もって、九日間、眠りもせず、横にならず、食と水を断って、不動明王と一体になる荒行である。まさに命がけの修行だが、これを終わって、お水取りという儀式になるのを、堂の回りにいる信徒たちが、合掌をしながら、生き仏となった修行者を拝むのである。これは無事に、修行を満行した修行者が、天秤棒を担いで水を汲みに御堂を出てくる儀式である。しかもこの堂入り以前は、自分のための修行であるが、これ以降は、世の中の衆生(しゅじょう)を救うという他者のための修行(利他行)ということになる。

私はどこか、イチローの最近の姿が、不動明王という訳ではないが、千日回峰業のお水取りの儀式の修行者の表情に見えてしまった。酒井師の修行の模様が、 NHKのドキュメンタリーにあったが、頬はこけ、足もとはふらふらではあるが、目の奥だけが爛々と光っているのであった。考えてみれば、イチローは自らの体力と才知のすべてを、この200本安打達成の一点に集中してきた。

千日回峰行は、六年目になると、さらに厳しくなる。回峰行の行程が、比叡山から京都市内にまで伸びるので、距離が四十キロから六十キロになる。更に七年目では八十キロを有に越える行程に伸びて百日、最後の百日は、比叡山中三十キロの行程となる。これで七年間、合計で千日回峰行が満行となる。

イチローが、行ってきた九年連続二百安打の価値は、確かに千日回峰行に勝るとも劣らないものだ。それは九年という時間を掛けた凄まじい自己研鑽の結果であった。

ただ本日、大リーグでも、百年間破られなかったという八年連続200本の記録を九年に伸ばしたイチローの表情を見ると、感情を押し殺しているように見えた。それは達成した瞬間、自分なりにほっとしたのもつかの間、すぐに次の高い目標が脳裏に浮かべたのではないだろうか・・・。新記録の重圧から解放されたイチローの動向に注目したい。
(09年9月14日 佐藤弘弥記)

2009.9.13 佐藤弘弥

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