富士山を展望する権利


−富士山をみる権利条例の可能性について−

世田谷から見る富士の夕暮れ


夕暮れの富士 世田谷
(2006年11月12日 佐藤弘弥撮影)

夕まぐれ富士見 の丘に来てみればビルに挟まれ世田谷の富士

 
富士山を観る権利条例は創れないか


今度(2007年1月23日文化庁)、富士山が世界遺産の暫定リストに入った という報道があった。一瞬、「いいね。素晴らしいことだ。」と思ったが、これから、ユネスコ世界遺産委員会に提出する推薦文をどう書くか、ということを考 えると、途方に暮れてしまった。

いったいどのように書けるか・・・。現在の富士山が、世界人類にとって普遍の価値を持つ遺産であると、その「真正性」を証明することは、宇宙の構造を「ア インシュタインの解」を使って一夜で解き明かせと言われたような難解さがある。

ど うしても富士山を世界遺産にしたという人々の思いは分かる。しかし、自然遺産そのものともいうべき「富士山」が、自然遺産ではなく「文化遺産」としてして リストに入れられたことでも分かるように、本当に難しい問題だ。まず、自然遺産として推薦文が簡単に描けない理由は、明治以降の急速な近代化政策によっ て、富士山周辺が開発の波に洗われ、ゴミの山とも、開発の山とも言われるようになっていることが上げられる。つまり富士周辺に、人口的な構築物が過剰に造 られてしまっているのである。

誰が見ても、世界遺産条約を囓っていれば、現在の富士山を、「自然遺産」として推薦することは、どうしても無理 があるといわざるを得ない。それは日光の世界遺産登録でも起きたことでよく分かる。日光も富士と同じく信仰の山だ。しかしそこでも富士同様、道路などの乱 開発 などによってご神体である男体山周辺が傷ついてしまっている。その結果、結局日光は、「自然遺産」や「自然文化複合遺産」とはどうしてもいかず、山は外さ れ、神 社仏閣だけが、「文化遺産」として登録されることになったものである。

今後、富士山をめぐる世界遺産の活動は、富士がまたがる静岡、山梨両県を越えたコア・ゾーン、バッファ・ゾーンの招致合戦の様相を 帯びてくるこ とが予想される。それほど、富士の裾野は広く、ここぞという地域を特定することは難しいのである。場合によっては冨士山が美しく見える神奈川県の箱根芦ノ 湖から の景色そのものだって、文化遺産のコア・ゾーンであるという立候補がなされる可能性がある。もっと言えば、半分悪い冗談のようではあるが、東京の「お江戸 日本橋」を 甦らせるという構想が持ち上がっていると聞く。もしもかりに安藤広重(1797ー 1858)が、様々な角度から描いた日本橋からの景観を十分に比較研究し、それを現代風に甦らせることができれば、「浮世絵にある江戸日本橋から見る富士 山の 文化景観」としての価値を復活(創造?)できる可能性もある。(ただし、日本橋再開発は、立派な巨額の公共事業である。ここまで来ると、日本中で富士山と は別の世界遺産に 関わる新たな世界遺産に名を借りた価値創造という開発ラッシュが日本中で巻き起こるきっかけとなって収拾がつかなくなってしまうが。)

さて少し視点を変えて、富士の普遍的な美しさというものを考えてみる。「富士は本当に美しいか?」と聞かれれば、日本人のほとんどは、「富士山は美しい日 本一の山である。」と答えるであろう。しかしながら、世界中の人が必ずしも富士山という山を美しいと感じているかどうかという点については、問題がないわ けではない。このことは日本通の外国人に聞いてもしようがない。むしろ余り日本を知らない外国人が、富士を観てどう思うか、客観的な検証が必要になる。
高 さで言えば富士山は日本一であるが、世界では高い山という印象はない。例えば、円錐形の左右対称の山で思いつくのは、アフリカの最 高峰キリマンジェロ(5895m)だ。このキリマンジェロに比べてどうか、と聞かれるといささか自信が揺らがないでもない。

欧米人にとって、山のイメージは、アルプスの最高峰マッターホルン(標高4477m)に代表されるように牛の角を思わせる尖った形という考え方がある。雪 を頂くマッターホルンは、人を寄せ付けないような厳しい男性的な美しさがある。

それに対し、裾野がなだらかな富士山は、昔から日本人がそこに神の存在を見てきた。もっと言えば、富士山は日本人をそのフトコロに優しく受け入れ抱きしめ てきた。富士山の麓の富士宮市には、「コノハナサクヤ姫」
(そこから母なる山というイメージも湧いてくる)を 祀る里宮の浅間神社がある。もちろんご神体は富士山そのものである。日本各地には、浅間神社の富士山を神として崇める浅間信仰というものがあり、江戸時代 には、「冨士講」といって、常々富士を神として遙拝しながら、富士登山をする信仰のグループのようなものが江戸中に拡がって、江戸八百八講と言われるほど に拡がりを見せたという。

そのような江戸庶民の富士山への崇敬の念を背景にして、葛飾北斎(1760-1849)の「富嶽三十六景」や安藤広重(1797ー1858)の「東海道五 十三次」に登場する富士山の四季折々の優美な姿が描かれて行ったのである。これこそが文化としての富士山であり、北斎や広重が描いた富士山は、単なる情景 描写というよりは、日本人の心の中にあるイメージを浮世絵作品として描いたという言い方もできるのである。

今でも、東京だけではなく、関東周辺には、「富士見」を中心に、「富士」と付けられた地名が多くある。しかしながら、その地名は現在明治以降の近代化の急 激な波によって、名ばかりの地域になっている。

冒頭にあげた写真も夕暮れの世田谷のある地点から撮った写真である。一見影絵のように美しく見える。しかしよく見ると、かろうじて富士山は映っているが、 まるで巨人のように見えるいびつなビルに罵倒されてうずくまる少年のようだ。景観というものを度外視して作られてきた法律によってこのような惨めな富士山 しか拝めなくなったものである。色もまちまち高さもまちまち。こうして日本の都市は、地権者が自分の好き勝手に利回りばかりを錦の御旗にして開発してきた 結果、欧米の街とは似ても似つかない、とても美しいとは言えないような惨憺たる景色が現れてきたのである。

欧米には「造形」という考え方がある。これは西洋の風景が出来上がる上では重要な要素を占めていたのではと推測される。例えばイタリアにフィレンツェとい う都市がある。あの大富豪メディチ家の反映によって知られるルネサンスの中心となった都市であるが、メディチ家以前の13世紀頃には、市民による自治都市 が成立し、景観法のような法律によって塔や建物の高さが決められていたということである。今でもその風景は、中世そのままであり、立ち止まって見取れてし まうほどに美しい。これは、頑ななまでに、一度出来上がったものを守りぬく強靱な精神性が、フィレンツェ市民の間で暗黙の了解(伝統)として受け継がれて いるからだろう。この傾向はフィレンツェに限らずヨーロッパ各地の都市に見られることである。

ここで結論を導きたい。もしもこれから、日本人が、富士山という山を世界遺産として、本気で登録しようとするのであれば、まず日本人の信仰の山、日本人の 心にあるイメージとしての富士山が、ランドマークとして、どこからでも美しく遙拝できるような「景観環境」を、富士山を見る権利として法律に盛り込むこと でも真剣に考えてはどうであろう。各地域が、「富士を観る権利条例」でも策定する動きでもあれば、日本人の心の山「富士山」が、世界人類にとっても、ひと つの美の基準というものになることも考えられる。富士山を世界遺産にする運動は、その位のダイナミックな運動にしたい。これは「美しい日本を創る」という ことを公約に掲げる現政権の政策にも合致することである。
佐 藤弘弥

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