富士山が世界遺産になる日?


ー 富士山とは何か?ー


昨日(07年 1月23日)、文化庁は、静岡、山梨両県にまたがる「富士山」など4箇所について、世界遺産の暫定リスト入りを発表した。静岡県などは、五年を目途に、登 録を目指すと本気のうおうだ、他には、群馬県の「富岡製糸場と絹産業遺産群」、奈良県明日香村などの「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」。長崎市の「長 崎の教会群とキリスト教関連遺産」などである。富士山については、ゴミ問題が再三再四指摘され、世界遺産登録までの道程は険しいものになることが予想され る。それでも日本一の山富士山が登録に向けて動き出したことは、象徴的な出来事であり意義のあることである。

これを契機として、富士山周辺の文化的景観を一変させるような取組が、国や県単位の利害とか何とかを越えて巻き起 こることを期待したい。広重や北斎が好んで書いた富士山は、まさに日本という国を代表的する風景である。それが見事に崩されたのは、明治維新以降の近代化 を急ぎすぎたツケとして出て来た塵のようなものである。

はっきり言って、今や富士山はどこから見ても、傷だらけの山としか見えない。東京から見る富士は、ビルに片隅から 申し訳なさそうに、ちょこんと顔を出し泣いているように見える。江ノ島から見る富士は、マンションの傍らで申し訳なさそうに下を俯いているように映る。日 本平から見る富士は、製紙工場の煙突に焦げ茶色の煙で真っ黒けだ。いったい私たちは富士山に何をしてきたのか。

私たちは、今回の富士山をユネスコ世界遺産登録に向けて運動するに当たっては、自然というもの。、景色というも の、日本人が創ってきた文化景観というものが、いったい何であるのか、考え直すことから始める必要がある。だから、単に富士山のゴミを取り払ったからと いって、富士山が美しさを取り戻すことはないし、世界遺産に登録されることもない、と思った方がよい。まず私たちの心が富士山の持つ美というものの価値を 深く思うことから、本当の意味において今回の富士山の世界遺産登録運動は始まるのである。
佐 藤弘弥

 関連エッセイ
富士山を展望する権利

2007.01.25  佐藤弘弥

義経伝説
思いつきエッセイ