流行り言葉で読む日本の世相(10)

原爆投下「しょうがない」発言を読む




佐藤弘弥


1 久間防衛大臣「原爆投下・しょうがない発言」の衝撃

 久間章生防衛大臣が、2007年6月30日、千葉県内で行われた講演で、原爆投下について、「あれで戦争が終わるんだなとの頭の整理で……しょうがない と思っている」と事実上アメリカの原爆投下を容認する発言をしたことで、日本中が驚き、「“しょうがない”とはいったい何事か!?」と怒りの声が巻き起 こった。

 久間氏は正確に言えば、次のような発言をした。

 「日本が戦後、ドイツのように東西で仕切られなくて済んだのはソ連が(日本に)侵略しなかった点がある。

 当時、ソ連は参戦の準備をしていた。米国はソ連に参戦してほしくなかった。日本との戦争に勝つのは分かっているのに日本はしぶとい。しぶといとソ連が出 てくる可能性がある。日本が負けると分かっているのにあえて原爆を広島と長崎に落とし、終戦になった。長崎に落とすことによって、ここまでやったら日本も 降参するだろうと。そうすればソ連の参戦を止めることができると(原爆投下を)やった。

 幸いに北海道が占領されずに済んだが、間違うと北海道がソ連に取られてしまった。その当時の日本なら取られて何もする方法がない。長崎に落とされ悲惨な 目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で、しょうがないなと思っている。

 それに対して米国を恨むつもりはない。勝ち戦と分かっている時に原爆まで使う必要があったのかどうかという思いは今でもしているが、国際情勢、戦後の占 領状態などからすると、そういうことも選択としてはあり得るのかなということも頭に入れながら考えなければいけない」(徳島新聞WEBより引用)

 この久間氏の言葉を読み解けば、「原爆投下により、アメリカはソ連の参戦を防ぐために、原爆急いで投下することが必要だった。結果として日本はドイツの ように西と東に分断されずに済んだ。国際情勢を考えれば(原爆投下は対極に立ったやむない判断だった。したがって個人的に何故?という思いはあるが、アメ リカを恨む気持はないし、しょうがないと思っている」との認識になる。

 それを聞いた安倍首相も即座に反応した。だが、またまた厚労大臣、農水大臣と舌禍を庇う身内かわいさのクセが出たのか、「アメリカの立場を説明したも の」とおよそ、終戦直後のアメリカの占領下に置かれたリーダーというよりは、アメリカのどこかの州知事のごとき発言をして、一国の独立国のリーダーの資質 を疑わせるような発言をした。


2 久間氏原爆容認発言までの道筋

 そもそも、防衛省の初代防衛大臣となった久間氏だが、長官から大臣の任に就くなり、本年1月25日、日本記者クラブの会見で、いきなり「イラクに大量破 壊兵器があると決め付けて戦争に踏み切ったブッシュ大統領の判断は間違いだった」と語りブッシュ批判を展開するなど支離滅裂な印象があった。一政治家個人 の認識としては分かるが、防衛大臣の要職にある者の発言とも思われない。即座に、閣内不一致ではないかとの声があがり、何よりもアメリカの外交筋が不快感 を顕わにした。、

 この会見では、沖縄基地移転問題に関連しても、「アメリカは沖縄の人々の気持ちを理解してくれていない」との発言もあり、来日していたチェイニー副大統 領は、久間氏との会談を拒否し、防衛庁制服組のリーダーとの会談を行った経緯がある。

 しかしその後も久間氏の発言はエスカレートする。

 07年1月27日には、『普天間飛行場移設問題に触れ、「私は米国に『あんまり偉そうにいってくれるな。日本のことは日本に任せてくれ』といっている」 と発言した』(ウィキペディア)のである。

 07年4月30日には、アメリカに飛んで防総省内でロバート・ゲーツ米国防長官と会談しているが、アメリカの久間氏対する態度は冷淡だったようで、これ によって、政治家である久間氏が、今回のような事実上の「原爆投下容認発言」とも受け取れる発言をすることになった可能性もなきにしもあらずだ。


3 「しょうがない」は九州弁ではない

 ともかく、「しょうがない発言」後、本人は「しょうがない」というのは、九州弁で、口癖がつい口を出て、誤解を生んでしまって申し訳ない、というような 弁解がましい態度に終始しているのである。「しょうがない」という言葉は、ご本人は九州特有の言葉という認識をしているようだが、必ずしも九州の言葉とは 言えない。

 広辞苑によれば、「しょうがない」は「仕様がない」の転化したものであるという。「仕様」は「仕方」、「やり方」、「方法」のことである。つまり本来で あれば、「しょうがない」とは、万策尽きてこれ以上やりようがない時に使う言葉である。ただし、三省堂の新明解「国語辞典」では、「うれしくて、うれしく て」どうしようもないような時にも「うれしくてしょうがない」と使う用法がある。

 「しょうがない」という同じような意味の言葉で、「是非もない」あるいは「是非に及ばず」という少々古い言葉がある。「是非」はモノの「道理」やよしあ し「判断」のことであるが、これはあの織田信長が京都本能寺で明智光秀の一軍に包囲され、「光秀ならば是非もない」と発言したことで知られる言葉である。 信長は、「是非もない」と言った後、猛火の中に消え、その後、首はおろか、骨の一本も見つかっていないのは周知の事実である。

 おおむねこの時の「是非もない」は、「光秀が計画したのならば、逃れようがない」との解釈が一般的なようだ。つまりこの時、信長は、この窮地から逃れる 術はないとの判断を下したことになる。

 またこれは信長の死生観とも絡み合って、「是非もないから、この場で潔く死んで見せてやるぞ」という意味にも取れる。一方、信長の心には、「光秀よ、何 故お前を中国にやって、秀吉と競わせようとしているワシの本意が分からないのか」という光秀批判とも受け取れる側面がある。


4 「原爆投下容認論」と日本人

 さて久間発言における「しょうがない」は、「原爆投下で戦争が終わるという考えれば仕方がないか」という原爆投下の肯定論の立場立つ考えだ。

 しかしあの終戦間近の時、アメリカ側から見て、日本から見れば、確かに万策が尽きた状況ではあったが、アメリカは、軍事力だけではなく、外交カードも含 めて、さまざまなやり方があったはずだと思う。

 例えば、本当に原爆の威力を示したいのであれば、広島でも長崎でも東京でも、人家や市民のいない沖合にこれを投下して、その威力を示すこともだって出来 たはずだ。

 しかしアメリカはそのようにしなかった。アメリカはむしろ冷徹な科学者の目をもって、原爆という未知なる兵器の威力がどの程度のものか知りたかったこと も事実だ。もっと言えば広島と長崎は、ネバダの実験場ではどうしても得られないデータを欲しかったのである。その後、アメリカは、広島、長崎の被害や惨状 を克明に記録に残したデータを本国に持ち帰っていることが、そのことの何よりの証拠である。

 しかも、広島、長崎への原爆投下は、軍事基地や軍事工場への爆撃ではなく、国際法が明確にこれを禁じている市民が生活をしている中心街に投下したもの だ。これは市民への無差別大量殺戮行為であり、これを仮に国際刑事裁判所(通称ICC)で公平な裁判がなされたとしたら、アメリカは有罪から免れないであ ろう。

 黒澤明の晩年の映画に「八月のラプソディ(狂詩曲)」(1991)がある。長崎への怖ろしい原爆投下を1人のおばあさんを通じて扱った怖い作品ながら、 心に残る美しい作品に仕上がっていた。その中で、おばあちゃんの孫たちが、長崎の爆心地や浦上天主堂、平和公園に行くシーンがあった。

 各国から送られた慰霊碑を見ながら、弟が言う「チェコスロバキア、イアリア、ポーランド、ブルガリア、ソ連、中国、ブラジル、キューバ、オランダ、…… アメリカのないね」それに姉が答える「当たり前じゃない、原爆を落としたのはアメリカよ」

 黒澤の心がにじみ出ているセリフだと思って、今も耳に残っている。その通り、原爆を落としたアメリカ政府は、今も公式には、「原爆投下によって、戦争を 早く終結させ、アメリカの軍人の死傷者を最小限に食い止めることができた」と原爆投下を正当化し続ける姿勢を崩していない。

 1995年にワシントンのスミソニアン博物館での広島原爆展の企画は、原爆投下肯定論に冷水を浴びせられるとの政治的な圧力があったのか、突如として中 止になったこともある。もちろん民主主義の国アメリカであるから、原爆はどのような状況でも使用すべきではなかったとの意見もあることは確かだ。


5 結論 原爆許すまじ

 でも公式のアメリカの態度は、戦後70年経った今でも何一つ変わってはいない。

 まさに語法から言えば、「しょうがない」とは、久間氏のような人を称して、「長崎の人でありながら広島・長崎の心を知らぬ”しょうがない人”」という風 に使うべき言葉である。

 その意味で、今回被爆地長崎市出身の久間章生前防衛大臣が「原爆投下・しょうがない発言」が、日本社会に投げかけているのは、日本人が「核廃絶」と「核 拡散防止」のためにもっと積極的な役割を果たさなければいけないということではないだろうか。

 わが国は、世界最初の被爆国である。広島の長崎の惨劇を伝えることは、わが国にとって世界史的使命を持つものだ。だからどんなことがあっても、人命と人 権を根こそぎ否定するに等しい核兵器の使用を肯定してはならないのである。

関連リンク:原爆投下の記憶



2007.7.10 佐藤弘弥

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