エドワード・ケネディの死に思う 
今日のニュースで、一番はっとしたのは、8月25日のエドワード・ケネディ氏の死去のニュースでした。どこの家でも、悲劇的なことは起きます。でも禍福は綾なす縄の如し、と言われるように、悲しいニュースの後には、喜ばしいこともあるものです。

しかしケネディ家のこの半世紀をみていると、悲しい事ばかりがニュースとして起きているように思います。

ケネディ家は、アイルランドからの移民でした。ケネディ家の祖先たちは、豊かな大地を求めて、大西洋を渡り、新大陸アメリカに夢を託しました。苦労の果てに、ビジネスでも成功をおさめ、ケネディ家のジョン、ロバート、エドワードの三兄弟は、エリートとして、最高の教育を受け、政治の道を志しました。(但し、実はケネディ家は4兄弟で、長兄パトリックは第二次大戦中、飛行機事故で亡くなっています。)

戦後兄弟の父ジョセフは、次男ジョンを大統領にするために、本気で奔走したと言われています。お金もだいぶ使ったようです。ケネディ家の富と息子たちの才能と時代が、ケネディ家の三兄弟にスポットライトを浴びせました。

事実ジョンが1962年に、アメリカ大統領になった時には、アメリカ中というよりも、全世界が40代の若い大統領の誕生に熱狂しました。宇宙開発競争も、軍拡競争の流れの中にあったとは言え、全世界を魅了しました。そして予期せぬジョンの暗殺事件が1963年に起き、運命は悲劇に反転し、それが一向に戻らないようになりました。

ジョンの後を継ぎ、大統領を目指していたロバートも暗殺(1968)。そしてエドワードも、自動車事故で、同乗者の女性が水死(1969)し、これでエドワードの大統領出馬への希望は断たれました。

それにしても、これでもか、これでもか、と厳しい運命がケネディ家に襲いかかりました。ジョンの長男ジョン・F・ケネディJrは、アメリカ一でもっともセクシーな男性として、ケネディ家を継ぐ逸材として、将来を嘱望され、アメリカ中の希望となりかけていましたが、飛行機事故で他界(1995)するという辛いニュースもありました。これ以外にも、ケネディ家の子供たちは、偶然では片づけられないほど、事故死が多い。これらすべての事実をエドワードはつぶさに見てきているのです。

いったい、神様は、どれほどの試練を、何のために、ケネディ家に負わせているのでしょう。昨年の大統領選、エドワードは、自らの脳腫瘍という病気をおして、オバマ候補を熱く指示しました。自らの命の終わりを感じながら、それでもアメリカや世界のために、彼は最後の力を振り絞って、オバマ候補を応援したのです。今後、オバマ政権が、どのようになろうとも、エドワード・ケネディ氏の御霊は、政権の行く末を見守っていることでしょう。

悲劇の人、エドワードここに生涯を終える。享年77歳。合掌。

2009.8.28 佐藤弘弥

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