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1 シャイな人

劇評「劇場の神様」(振付 丹下左膳) 上 投稿者:佐藤  投稿日: 1月21日(金)16時43分55秒

劇評「劇場の神様」

「劇場の神様」(振付 丹下左膳)

原作 原田宗典/林 不忘
脚本・演出 大谷亮介
音楽 野田晴彦

於:北千住 シアター1010
2005年1月5〜23日
 

1 芝居全体について
「劇場の神様」(極付丹下左膳)という芝居を観た。理屈なく楽しめる芝居だった。最近の芝居は、理屈っぽい芝居が目立って面白くないと思っていた矢先、この芝居を観て、考えが変わった。劇中劇の丹下左膳を芝居の柱に据えて展開するテンポの良さは秀逸だった。台本のセリフ回しも小気味の良いテンポがあり、時々象徴的な言葉が、耳に残るように鏤められていた。演出も観る者を舞台に引き込む力に満ち、細部に至るまで、考えつくされていて、非の打ち所がない。丹下左膳という痛快な時代劇とペーソスに富む「盗みクセ」の抜けない演劇青年の話が、無理なくひとつになっていて、ほのぼのとした情感を感じさせた。

2 役者について
盗みクセのある演劇青年須賀一郎を岡本健一が好演していた。また座長役の五十嵐幸夫役の近藤正臣の丹下左膳は、文句なしの痛快な演技で、この芝居の華とも云える存在感を示した。演劇青年の先輩役城之内オサムを演じた尾藤イサオの江戸弁のセリフ回しは相変わらず小気味がいい。それからこの左膳芝居の命とも云える殺陣の素晴らしは特筆ものだ。音響とのズレが一度もないというのには驚いた。稽古の賜物であろう。大ベテラン玉川スミの三味線と小唄は、一服の清涼剤かオアシスのように緊張感のある舞台に、一瞬の間を出していた。芸の力と演出の妙を感じた。

最後になったが、野田晴彦の音楽は、芝居と良く絡み好感がもてた。とかく活劇の音楽となれば、大げさになりがちなものであるが、実に抑制が利いていて、それでいてインスピレーションを刺激する演奏であった。特に主題歌の「左膳は誰の味方でもない」は、耳に心地良く残った。

3 丹下左膳について
舞台を楽しんだ後、さて何故、今頃、時ならぬ丹下左膳人気なのかと思った。昨年テレビで、若手の中村獅童主演で丹下左膳が高視聴率を得たとのことである。周知のように、丹下左膳は、林不忘(1900ー1935)という作家が、「新版大岡政談・鈴川源十郎の巻」(1927ー1928)の題で、「毎日新聞」に連載した中に登場した片眼片腕の怪剣士である。

何しろ髑髏(どくろ)の紋を染めた白の衣裳に黒の襟。中には朱色の襦袢(じゅばん)をセクシー着こなし、一人もの、金はなく、金を欲しそうでもない。ボロ長屋に住み、大酒飲み、血を見るのが何よりも好き、右でも左でもないアナーキーな人物。時々、大暴れをして、大声で「ワッハッハッ」と下品に笑い飛ばし、それでいて女や子供にはからきし弱い。こんなおよそありえない型破りなキャラクターの左膳が、何故これほどの人気を得たのか。戦前では名優大河内伝次郎が、戦後では大友柳太朗や萬屋錦之助が、左膳役を演じ大好評を博している。

考えてみれば、左膳というキャラクターを見る時に、妙に気持ちがハイになるのは、息の詰まりそうな社会を一時忘れて、官僚や政治家の悪事のセコさを笑い飛ばし、あるいは悪人どもを左膳と一緒にバッタ、バッタと切り刻んで、ウサ晴らしをしているのかもしれない。

昨夜の観客席、気が付くと、左膳が朱色の襦袢を見せて、刀を振り上げ見栄を切る時、世の中は、これで少しばかり良くなのではないかと、一緒に「ワッハッハッ」と笑って、左膳に共感の拍手を送っている自分がいた。
 
 

2 クマのはなし

4 ストーリーについて
「劇場の神様」の成功は、偏にこの左膳の荒唐無稽な物語を劇中劇に据えて、一人(須賀一郎)の現代青年の弱い内面を浮き立たせたことによるものだ。原作は原田宗典の「劇場の神様」と林不忘の「丹下左膳、こけ猿の巻」。脚本と演出は、大谷亮介。ストーリーは、青年が演劇を通じて自分の弱点である盗みグセを乗り越えるというシンプルなものだ。

幕が開くと、丹下左膳の芝居(劇中劇)が始まる。それがプロローグとなり、一瞬で場面は展開し、青年の子供の頃のエピソードがスピーディーに展開する。父親はなく母子家庭で育った一郎は、盗みクセがあり、何度か補導される。その度に母を泣かすが、そのクセが直らず、高校では、先生の財布を盗んで退学処分となり、役者の道を志すことになった。

当然はじめから良い役などつくわけはない。「どうか悪いクセが出ませんように」と神棚に祈る一郎だが、そんな時、「劇場には神様がいる」という話を聞く。それは良い芝居をした時に現れるという役者仲間の他愛もない言い伝えである。

芝居はどんどんと展開する。幕間に、先輩俳優城之内オサム(尾藤イサオ)の言葉に怒りを覚えた一郎は、その先輩の大事にしていた金のローレックスを盗んで懲らしめようとする。このローレックスは、座長である五十嵐幸夫(近藤正臣)から送られたもので、本人が大切にしているものだ。幸いこの芝居には、その役者がいると物が無くなると悪い噂のある古参役者の角南源八という役者がいる。いざとなったら、この男に罪を被って貰えばよいと一郎は思ってしまう。

ちょっとしたタイミングを狙いバックの中にある時計を奪って、トイレの水槽に隠す一郎。二幕目が終わって、楽屋に帰った先輩役者は、大騒ぎをしている。自分の時計がない、と大騒ぎをしているのだ。そしてついに、古参役者の角南を罵る始末。しかしこの時、角南は、これを今日は大事な芝居、集中しろと一喝する。その気合いに呑まれた城之内も再び開いた舞台に飛び込んでゆく。

さあここからが丹下左膳のクライマックス。こけ猿の壺をめぐって、丹下左膳と柳生一族の丁々発止のチャンバラ劇が始まる。素晴らしい緊張感で芝居は続く。しかし一郎だけは、母を悲しませるかも知れないと思ったのか、動きが遅れ気味だ。そして成功裏に幕は下りる。ところが一郎は、最後の幕が下りた時、真っ暗になった城之内の手をひくことを忘れてしまう。舞台は、大成功で、みんなが「今日は舞台の神様が来ていたよな」と互いの演技をたたえ合っている。

ひとり浮かない顔の一郎。彼は良心の呵責に嘖まれていて、気持ちが潰れそうになっている。側によってくる城之内、てっきり「手を引くのを忘れたな」と怒鳴られるかと思いきや、「いやー良いタイミングだった」と褒められる始末。どうなっているのだと思っているうちに、時計があったと言い出す城之内。本人は、確かにバッグにしまったのに、時計をしたまま舞台に立ったのかと頭を掻く。呆気に取られているが、どうやらこの細工は、盗んだ一郎のことを思った古参の角南が、水槽から時計をすくい上げて、幕が下りた時に城之内の手を引いた時にはめて、くれたもののようだ。「舞台の神は、何度も現れるが、本当の神様は一回しか現れないよ」角南はそんな言葉を残して、楽屋を立ち去っていく。一郎はそんな角南の後姿に本物の神様を見ていたのかもしれない…。

最後にこの舞台の東京公演は、1月23日で千秋楽を迎える。この後は、京都の南座で2月1日から2月6日まで開催する予定とのこと。
 

3 オオカミのはなし

ニコルさんに絶滅したニホンオオカミのことを話をした。
「日本には、わずか百年ほど前まで、オオカミが棲んでいました。里山の近くまで、オオカミが棲んでいたという伝説が各地にあります。」

「何故、日本でオオカミは、絶滅してしまったのですか?」

「明治政府は、どんどん森の木を伐採して、林業を拡げようとしました。当然オオカミは、栖を追われるのですから、各地各地で軋轢が生まれたと思います。人間の住居は、山の奥まで拡がって行きました。『開拓』という言葉は立派ですが、その中身は、原始林を伐採して、木は売り飛ばし、その後には杉のような成長の早い針葉樹を植えるということです。するとオオカミは、自分の領分に入ってきた人間に『害獣』とされました。自分たちの飼っている家畜を襲って食べるというわけです。あべこべですよね。オオカミからすれば、害獣は侵入者である人間のはずです。彼らが『駆除』(オオカミすれば大量虐殺)の対象になった直接的な理由は、オオカミが狂犬病のようなものを媒介するという噂が広まったということですが、どうも根拠が稀薄です。意図的に流されたデマという疑いもあります。ともかくこうして、オオカミは次々に撃ち殺されてしまったようです。そしてついに明治政府は、1905年(明治38年)ですから、今から丁度百年前、『オオカミ絶滅宣言』を出したのです。」

「でも、オオカミは、『大きな神さま』で、山の神さまだったのでしょう?」

「そうです。昔から、オオカミは聖なる動物でした。山ノ神の祀るところには必ずオオカミがいる」とも言い伝えられています。まさにオオカミは『大神』に通じる聖獣だったのです。近代文明の限界でしょうか。今、日本人は、その前の代の人間が行ったツケを払わされているのだと思います。日本の森林は、生態系の頂点に君臨していたオオカミの絶滅によって、大きく変化しました。今日、オオカミが捕食していたニホンカモシカなどが増えすぎて、問題になっていますが、それも元々は生態系を壊した人間のエゴによって生み出されたものです。」

ニコルさんが言った。
「それに、カワウソもありますね。カワウソはかわいい動物ですよ。」

確かにそうだ。ずいぶん前から、日本では、カワウソが消えてしまって、絶滅してしまったと思われている。

「オオカミに続いて、カワウソも消えて、次はクマにもその危機が迫っているということになるのでしょうか。」

「いや。そんなことをさせてはいけません。絶対に!!」

その時、ニコルさんの目がキラリと光った気がした。信念のこもった目だった。そしてニコルさんから聞いたこんな話しを思い出した。

ある時、ニコルさんの故郷のウェールズで、地元のおじいちゃんが、イギリス政府の役人に、叫んだそうだ。「ワシはお前たちには、騙されないぞ。昔のアファンの森は、こうではなかった。もっと緑豊かな土地だった」と。ニコルさんは、おじいちゃんの剣幕を聞き、とてもすっきりした気分になった。そしてウェールズに生まれたことを大変誇りに思ったそうだ。晴れて日本人となった今は、もしも何かあったら、日本でそんな頑固なおじいちゃんになろうと思っていると語った。

そう言えば、日本には、昔いた「頑固オヤジ」も「頑固おじいちゃん」もどこにも居なくなってしまった。日本では、オオカミ、カワウソに次ぎ「ガンコオヤジ」も絶滅してしまったのか。いや、ニコルさんがいる。ニコルさんに続いて、私もまた信念を曲げない頑固オヤジになってやろう。クマもガンコオヤジも簡単に絶滅なんかするもんか・・・。そんなことを思った。
 

4 サクラのはなし

ニコルさんと桜の話をした。平泉のただ一本柳の御所跡に残った桜の話である。何枚かの写真を目の前にすると、「どうして、ここに一本だけ桜が残ったのですか?」とニコルさんが尋ねてこられた。

「ここは、平泉の政庁である柳の御所があったところです。そこは20数年前までは、人家と田畑しかないような場所でした。そこにバイパスが通ることになり、調査のために掘ってみると、続々と遺跡が現れ、またかわらけなどの遺物が出て来ました。そこで、バイパスのルートは変更され、川が200mほど東に川道を移動させられました。そしてこの場所が保存されることになったのです。この辺りには、何本も桜があったのですが、何故かこのしだれ桜だけは伐られずに残って、このいつしか柳の御所のランドマークのような存在になったわけです。それが去年、突然、8月半ばになって、葉が全部落ち、枯れかけたのですが、私が皆さんに呼びかけたところ、大きな騒ぎとなって、この桜を守る人々が集ってくれました。岩手の増田知事にも、陳情書を送付し、EM(有用微生物群)を撒いて、何とか枯死するのを守って来たのです。」

「それはとても良いことですね。私も近くに樹齢500年か600年位の桜があるのですが、役所の対応が遅いので、自費で樹木医さんを頼んで守ったことがあります。まだ十分ではありませんが、周囲にその桜の子供たちを植えて、何とか生かす道ができつつあります。」

「桜と平泉は切っても切れない縁があります。この写真の背景になっている山がありますが、これはあの西行さんが、『聞きもせず束稲山の桜花吉野の他にかかるべしとは』と驚いたような見事な桜の山だったところです。」

「桜という花は、微妙な生態系の中で生きているんですよね。今束稲山に桜はあるのですか?」

「今平泉の束稲山は、残念ながら荒れています。桜という花は、人間との関わり合いの中で美しい花を結ぶようですね。吉野の桜も、あれは役行者が、吉野で修行中に桜の木に神を観たので、その後神木ということで、信仰の対象となってきました。それであれほどの見事な桜の山が生まれたのだと思います。つまり、桜という木は、人間との深い関わりのある木なんだと思います。私の実家にも、樹齢にして、400年の桜がありまして、数年前、枯死の危険があったので、樹木医さんにお願いして、手当していただいて、後400年位は生きるという、お墨付きをいただきました。」

「本当に桜は美しい花だから。それで、この一本残った平泉の桜は咲くのですか?」

「地元の人々が一生懸命に、世話をしています。この前、2月の始めに見てきた時には、良い感じに、枝もしなっていたので、何とか咲くのではないでしょうか。とにかく、地元の人がよく世話をしてくれています。EMを撒き、昨年暮れには、菰(こも)を被せ、雪よけと寒さよけに気を配りました。本当は「菰掛け」というものは、松に行うものなんですが、出来ることは何でもしてあげたいという地元の人々の気持なんですね。みんなで、菰を被せました。ほら、この赤いシャツを着た人物は、今年百才になる柳沢翁という人物です。今年、この人は、栗駒山の最年長登頂記録を百才に伸ばそうとしている長老ですよ」

「ほう。それはすごい。ウェールズの役人に、『俺たちは騙されないぞ』って喰ってかかったおじいちゃんのようだ。春に咲くといいですね」

「そうなったら、ビッグニュースですね。この桜が咲くということには、象徴的な意味があると思っています。枯死しかけた木が、元気を取り戻して咲くのですから。」

「そうですね。この桜には、色んな思いがこもっている。ホントに咲くといいね」

そんなことを言うニコルさんの顔を見ると、酒がまわっているのか、普段でも少し赤い顔が見事な桜色に染まっている。酒の酔いも手伝って、「ニコルさんの顔が花咲爺さんに見えてきました」と言おうと思ったが、初対面で、そこまでは失礼と思い、代わりにおちょこをグイと煽って、「その時は、桜の下で乾杯しましょう」と言った。
 

5 川のはなし

ニコルさんと川の話をした。北上川の写真を見せながら、「北上川には二百数十種の鳥たちが棲んでいるのですよ」と言うと、ニコルさんは、びっくりした顔をして、「それはすごい。ボクが知っている川では、せいぜい百種弱位ではないかな?!その数は、ホントにすごい」と言った。

「北上川の生態系もずいぶん悪化しています。特に都市部では、護岸工事によって、岸辺に巣を造っていた鳥たちの居住地もだいぶ狭まっています。鳥たちの絶対的な生息数も七〇年代と比べるとかなり減っているようです。以前、この辺りの岸辺を舟で巡ったことがありますが、多様な種類の鳥たちが、至るところに巣を作っていたものです。今はカラスが多くなってきています。」

「この写真は?」

「これは、平泉の前を流れる北上川の姿です。さっきの一本残った桜は、この辺にあります。ここが柳の御所で、ここが高館です。ほら、これが堤防を兼ねた平泉バイパスですが、川岸付近を見てください。堤防に積み上げた護岸の土だと思いますが、流出しているのが分かります。そしてその流出した土が砂州を形成しています。砂州はここだけではありません。この写真は、新高館橋の上から撮ったものですが、この高館の真横の辺りからこの橋の500mばかり川下の周辺まで、護岸工事の土が流れ出たと思われる砂州が見られます。」

「目を覆うような光景ですね。こっちは、春の写真ですか。鳥が羽ばたいている。オシドリかな。」
 

「北上川は本当に豊かな川です。落ち鮎なんかも、30cm位はある。大きいですよ。水に栄養分があるのでしょうね。シャケはもちろん遡上し、モクズガニもいました。平泉の辺りまで、スズキが上ってきます。それに北上川には漁業権もないので、誰もが自由にこの川で、釣りを楽しむことが出来るのです。」

「やはり川というものは、山と海を繋ぐもので、岩手の山が豊かなために、北上川も豊かということでしょう。でも、そんな豊かな川を台無しにするようなことをするのかな?」

「平泉バイパスです。この工事はふたつの目的があって計画されたものです。ひとつは国道四号線が慢性的な渋滞なので、これを緩和するというもの。もうひとつは、この一帯が洪水常襲地帯でして、堤防の役割を果たすためということです。」

「ボクの知っているところでは、トンネルを掘るということを選択した地域もありますよ。トンネルではダメなの?」

「平泉という場所は、どこでも掘れば遺跡が出るというような場所ですからね。」

「でも、それはかなりの深度を取れば問題ないでしょう。問題は、堤防ということですか?」

「この周辺では、戦後すぐに相次いで、台風が来て、かなりの死傷者も出ました。その後遺症が強いのです。アウトドアライターの天野礼子さんが指摘しているように、洪水と水害というものを、同一視する考え方を是正して、北上川と住民が共存するかという発想の転換が必要です。」

「それにしても、豊かな川が、台無しになるのは問題ですね。何とかならないのでしょうか。美しい日本の山河が壊れて行くのを目の当たりにするのはたまりません。」

それ以上、ニコルさんと北上川の話をするのはやめた。話せば話すほど、悲しくなる気がしたからだ。北上川の鳥類の私が言った二百数十種という数にニコルさんが、びっくりしていたので、不安になり、北上川の野鳥に詳しい野鳥の会盛岡支部の中村茂さんに話を聞いた。それによると岩手の野鳥の種類は340種前後で、河川敷では百三十種位。範囲をもう少し広げれば、二百種以上はいるかもしれないという話を聞いて、ほっと胸をなで下ろした。

私は平泉が、世界遺産になって欲しいと心から思っている、その理由は、初代清衡公が、この都市を平和の祈りをもって造営したという世界無二の先駆的な中世平和都市だからだ。ところが、今平泉では、「平泉バイパス」という人口の構築物によって、美しい歴史的景観が損なわれつつある。しかもその場所は、世界遺産のコアゾーンと規定されている柳の御所の前である。一方で、早期に世界遺産登録して欲しいという運動を展開しながら、その一方では、世界遺産の精神に明らかに反するような、開発の思想で、バイパスが文化景観を台無しにして北へ伸び、そのために北上川の流れは、150mばかり東に移動させられてしまった。

世界遺産の精神は、人類共通の遺産を、開発の手から守り抜くということではないのか。世界遺産のコアゾーンの上を近代的道路が通るということがどんな意味を持つのか、今こそ真剣に考えなければいけない。本気でやるとすれば、確かにニコルさんが言うように大深度にトンネルを掘る選択肢だってある。もうひとつ国家財政が破綻の危機にあるということを考えれば、この工事自体を放棄する道もある。どうすれば、北上川を守り、平泉の美しさを世界中の人に伝えられるだろう。
 



2005.2.14-2.19 佐藤弘弥

義経思いつきエッセイ

義経伝説