平泉の環境悪化の象徴 しだれ桜枯死



しだれ桜最後の雄姿
(08年10月4日 午前9時50分 佐藤弘 弥撮影)



チェーンソーがうなりを上げる



もっと生きたかったろう!!



伐採を見守る桜を守ってきた人々



10月4日午前10時21分伐採完了



人の命同様桜の葬送も呆気ないものだ・・・

荒れ果てし柳の御所の一隅に惜しまれ消ゆる桜木あはれ ひろや

枯死したしだれ桜のスライドショー(08年9月29日)

伐採模様のスライドショー(08年10月4日)

平泉、柳の御所から、一本のしだれ桜が伐採され消えた。

東京駅発6時5分の盛岡行き新幹線に乗り、平泉駅に着いたのが9時過ぎだった。駅前周辺の田んぼを撮影するなどして、時間を潰し、50分頃、しだれ桜のある柳の御所跡に行く。すると、ひとり伐採を委託されたという造園業の若者が桜の前に佇んで居た。傍らには、道具を入れたリックサックとけばけばしい色のチェーンソーが置いてあった。聞けば、岩手県の平泉生まれだそうだ。この木を伐ることに、少なからず、無念の思いがあるような口ぶりだった。

そしてポツリと言った
「本当にもったいないですね。せっかくこれまで、大きくなったのに・・・」

この言葉を聞いて、少しばかり救われた気がした。せめてこの桜がどのような桜で、どれほど地元の人々が大切に思っているかを知っている若者に伐採されることは、それだけでありがたいと思えた。

午前10時近くになると、県の教育委員会、伐採を委託された造園業、地元の有志が、めいめいに、桜の根元に、集まってきた。御神酒を樹木の根元にかけて冥福を祈った後、多くの人間が見守る中で、チェーンソーが、うなりを上げた。

チェーンソーが無造作に桜の根元に刃を振るった。橙色がかった樹木の粉が青空に舞い上がる。それからわずか5分足らずで、100年の老木は、若者の「行きますよ」という合図と共に、ズシンという音を立てて、仰向けに倒れた。実に呆気ないものだった。

倒れると、真っ先にこの桜の保存に励んで来た佐藤文政氏が、根元に駈け寄って、切り倒された切り株に手を添えた。その後を追うように、地元の人々が、切り株の前に集まってきた。

「まだ、生きているようだ。切り株に湿り気があるぞ。」
「ほんとだ。生きていたようだ。」
「もっったいないな。」

おそらく、この樹木は、既に死んでいたと私は思う。誰かが言ったのだが、「樹皮を見ると桜というよりは、柿の木のようだ。乾燥しきっている。水を吸い上げていないのではないか。」

「立ち枯れ」ということがある。この木が、芽を出さなくなって、1年近くになる。亡くなったのは、その頃だろうと、考えられる。最盛期、樹高は15mほどあったが、最後には、縮んでいたように見えた。上部の方は、ほとんど木は枯れてしまっていた。皮を剥いで見ると、ダンゴ虫と呼ばれる黒い虫が無数にいた。またあめ色の何かの虫の幼虫が、うごめいているのが見えた。

根元の切り口には湿り気があったが、これは毛管作用で、吸い上げたものだったのだろう。樹木は上に行くほど、枯れ具合がひどい。

また中には真ん中が、腐って泥のような状態になっている箇所の見られた。でもなんかと、根元から5mばかり中心部を確保し、保存してもらうことになった。樹木から、藤原清衡公の木像や阿弥陀様か観音様を記念に彫り出してもらうためだ。

伐採が終わると、それまで晴れ渡っていた空が、俄にかき曇り、小雨が倒れたしだれ桜に降り注いだ。最後まで命を全うしたしだれ桜の百年の奮闘に天から「よく生きたね」というねぎらいの雨のように思えた。

現場から、離れると、柳の御所の一隅には、もうしだれ桜の姿は、当然なのだが立っていない。一方、今年の平泉の世界遺産入りにとって、大きな障害となったと考えられる「平泉バイパス」を通る自動車のエンジン音がひっきりなしに聞こえてきた。平泉の環境保全のバロメーターで柳の御所のランドマークだったしだれ桜は、こうして消えた。

◇ ◇ ◇

周知のように今年の7月、カナダのケベックで開催された第32回ユネスコ世界委員会において、わが平泉は「登録延期」と決まった。これによって、平泉は、直ちに3年後の再チャレンジを目指すことになった。年々登録条件が厳しく吟味されるようになり、中でも遺跡周辺の持続的な環境保全は、登録への前提条件となる。しかし今、平泉周辺を散策すると、まるで工事現場を歩くような錯覚に囚われるような気がしてくる。いかに国が、主導で平泉を最優先に登録する意思を鮮明にしているが、ユネスコが平泉の現状を受け入れるとは思われない。
(佐藤弘弥08年10月7日 記)
2008.10.7 佐藤弘弥

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