2010年・政権交代の動向を 腹を据えて見守ろう!!

2010年が慌しく明けた。昨年は9月に政権交代が起こった。このことは、歴史的に見れ ば、鎖国政策という愚かな孤立外交を選択した徳川政権を、薩長を中心とした地方の藩とそこに所属した下級武士たちが中心となって明治維新というある種の革命政権を起こして以来の政治的変化と言えるものかもしれない。

しかし明治維新も江戸城の無血開城などはあったものの、至るところで血生臭い軍事的衝突が起こり、京都や新潟、福島などでは多くの国民が尊い命を失った。 最後には、明治維新の第一の功労者の一人であった西郷さんが、不満分子の不満を全身に背負う形で戦死を遂げた。世に言う西南戦争である。

また仲の悪い薩長を結びつけ、無血革命としての明治維新政府のコンセプトとも言える船中八策を構想した土佐の天才坂本竜馬は、京都で暗殺されるという悲劇に遭った。

昨年の政権交代が、明治維新と決定的に違う点は、戦は戦でも、選挙戦という戦によって、成し遂げられたことだ。戦後延々と続けられてきた自民党政権は、言 わば官僚主導の政治であり、そこに国民の意思が介在する隙間は見当たらなかった。あったのは、自民党を支える圧力団体や利権集団の意向に適う政策の継続であった。

高度成長期まで、この仕組みは、一定の成果を生み、日本の政治を見かけ上民主主義国家の体裁を保った。しかしその政治の中身を見れば、利権構造で成り立っ たピラミッド型の社会でしかなかった。問題だったのは、全国画一的な文化の押し付けによって、地方固有の文化(これは方言をも含む)が、年々廃れてしまっ たことだ。そして、今、地方に行ってみれば、同じような形状の建物や橋や道路がばかりであふれ返っている。

今回の政権交代は、歴史的な必然として起こった。その必然とは、このまま行けば、日本社会は、ダメになってしまうという、国民の危機意識そのものだったように思う。ところが、どうだ。ほとんどのマスコミは、重箱の隅を突くやり方で、この政権交代を、ヤイノヤイノと難癖をつけているに過ぎない。しかしまだ、政権交代は4ヶ 月目に入ったばかりだ。腰を据えて、この政権が、何を行うか、目を凝らしてみるべきだ。ひとつの政権公約(マニフェスト)が果たされないからと言って、鬼 の首でも取ったように、騒ぐマスコミには、事の成り行きの本質を探れ、と言いたい。

この一年、新政権が、どのように推移するかを、じっと見守る姿勢を、一国民として堅持したい。その上で、批判すべき点があれば、堂々と政治家に進言することだ。そして選挙で一票を投じることだ。

2010.01.7 佐藤弘弥

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