「リクガメのヘルペスウイルス感染について」

森リクガメ研究所


口の中に見られる疱疹。舌の上に黄色っぽい塊になりつつあるのが見える

University of Florida, College of Veterinary Medicine:「TORTOISE HERPESVIRUS INFECTION」より

 2003年の4月に当研究所において、突発的に何らかのウイルスが原因と思われる疾病が、飼育下のホルスフィールドリクガメに発生しました。

 突発的な発病で、原因もはっきりしません。しかし、感染力は非常に強く、次々に古くから飼育している個体に感染を広げ、飼育中のホルスフィールドリクガメ8頭のうち5頭が発病してしまいました。5頭は、もう何年も他の個体との接触もなく、非常に安定した健康状態を保っていました。

 感染した5頭のうち4頭は1〜2ヶ月におよぶ病院での入院治療により回復できましたが、1頭は、入院治療にもかかわらず、助けることができませんでした。
 この病気については、国内にまとまった資料がほとんど存在しませんので、今後のリクガメ飼育者の病気への対処の意味などを考え、考察をしてみました。

何らかのヒントになれば幸いです。

 

 


1)ヘルペスウイルス
時々耳にするウイルス名ですが、人間の病気でヘルペスというと皮膚に水疱ができる病気のことで“疱疹”(ほうしん)とよばれています。

単純ヘルペス1型(HSV) 唇ヘルペス、ヘルペス性口内炎、ヘルペス性角膜炎、カポジ水痘様発疹症、ヘルペス性脳炎      など
単純ヘルペスウィルス2型 性器ヘルペスなど
帯状疱疹ウィルス(VZV) 水痘、帯状疱疹
ヒトヘルペスウィルス6型 突発性発疹症

などなど、何種類も特定されています。唇ヘルペスなどは、ちょっと風邪気味などの時に、口の周りなどがむず痒くなり、しだいに赤くなり、小さな水ぶくれがたくさん出てきて、それらがくっついて大きな水疱になり、1〜2週間するとかさぶたになり取れて直るというほとんどだれでも経験しているので、たいして怖い病気といった印象がないでしょう。

また帯状疱疹は、子供の頃に水痘(みずぼうそう)にかかった人は すべてこのウイルスを体内に持っていて、体調のあまりよくない時などに皮膚に水痘ができ、範囲も神経の分布領域と一致し、体の片側だけで帯状の配列をとります。これも2週間程度で治ります。
全身性ヘルペス感染症などの場合は重症ですが、ほとんど怖いという印象がない方が普通でしょう。


ヘルペス発症の仕組み
 ヘルペスは特に体が弱っているときにできやすいといえます。例えば風邪をひいたり、ストレスがたまっていたり、疲れがたまっていたり、胃腸の弱っているときなど、体の免疫力が落ちたときが要注意です。
ヘルペスウィルスは人間の体の神経細胞の中に潜んでしまうことがあります。これがヘルペスウィルスの特徴である《潜伏感染》です。そしていつか体の免疫力が低下したときなどに急に出てきて暴れだすのです。
つまり、人では一般的な病気で20歳代では60〜70%、50歳代以上ではほとんどの人が知らない間に感染しているといわれているそうです。ほとんどの人が、ヘルペスウイルスのキャリアーであるわけです。


2)リクガメのヘルペス
University of Florida, College of Veterinary Medicine:「TORTOISE HERPESVIRUS INFECTION」より

 人の場合と異なり、リクガメの場合には発病すると、放っておけばほとんど数週間で確実に死亡する恐ろしい病気といえます。

 ウイルスの感染による感染症といえるわけですが、感染症は,病原体とその感染対象である宿主との相互関係により成立します.この感染症の発症のメカニズムと病態およびその治療法を研究するためには,病原体自体の解析と宿主側の防御機構の解析のみならず、病原体と宿主との相互作用の理解が必要とされます.このためには,臨床でのデータの蓄積とともに,人間の場合には動物実験による解析と検証が重ねられ、ようやく治療方法なども確立されてきたわけです。
 ところが、リクガメの場合には、それらのすべてにおいて、ほとんど未知といっても過言ではない状態と思っていてよいぐらいの段階なのです。
 特に、国内においては、現在確立された治療方法はありません

まず、症状が海外の研究や報告にあるヘルペスウイルス感染症のものに似ている、もしくはそっくりだとしても、ヘルペスウイルスの確定自体が大変困難です。

University of Florida, College of Veterinary Medicine:「TORTOISE HERPESVIRUS INFECTION」より


 症状のところでふれますが、口内組織などのサンプルを電子顕微鏡にて観察し、ウイルスが発見されれば、それを海外のすでに撮影されている姿と比較して、確定することになります。100から125nm程の大きさです。さらに簡単にふれますと、一般的なウイルスの観察方法は、電子顕微鏡を利用して行います。電子顕微鏡の場合、資料を真空状態で観察するため、水分を多く含むものは直接観察できません。そのためエタノールで段階的に脱水してt−ブチルアルコールで置換してから凍結乾燥を施します。また、金属蒸着法を利用し、Pt-Pd合金を細かい粒子として資料に付着させて観察するなどします。この資料作りが大変です。最近低真空SEMといって水分を含むものを蒸着することなく直接観察できる機種も出てきましたが。いずれにしても、資料作成と観察が可能な研究機関に頼る必要があり、個人的には難しいところです。
もちろん、獣医さんにしても、個人で電子顕微鏡を所有している方は、まずいませんので、卒業した大学などに頼ることになりますが、ほ乳類と異なり、リクガメのヘルペスウイルスを特定できる研究室が国内に幾つあるのかは、疑問です。ちなみに、お世話になった獣医さんが、ご親切に幾つか国内の大学で特定が可能か調べてくれたのですが、けっきょく無理でした。時間的にも急ぐ作業になるので、商業ベースにのらない観察や作業を、他のことに優先させて行うことのハードルと、国内でリクガメのヘルペスウイルスを確定できるだけの資料がそろっていないハードルと、現在までにおそらくヘルペスウイルス感染によると思われる死亡例は、かなり存在するのですが、飼育していたリクガメを死亡した地点で解剖し、こまかい組織の観察などを行って、確定した例がないハードルなどなどが国内での確定を困難にしているわけです。
私も急遽個人的に低真空SEMの導入も検討しましたが、資金的に絶望的でした。 


つまり、リクガメに関しては、症状がヘルペスウイルス感染によるものと思われるものであっても、本当にヘルペスウイルスが原因かどうかを知ること自体が、日本ではできない現状があります。ですから、あくまで、たぶんヘルペスウイルスによるものだろうという想定での治療や対処になるということです。


3)歴史および海外の報告
イギリスのT・Trust(トータストラスト)の報告には、1996年のヘルマンリクガメの「ヘルマンリクガメのリンパ腫に関係するヘルペスウィルス感染 」があります。翻訳をしたものは、こちら に用意しました。(トータストラストのページの日本語翻訳については、森リクガメ研究所が許可を得ています)


また、研究がかなりすすんでいるアメリカにおいては、University of Florida, College of Veterinary Medicineにおける「TORTOISE HERPESVIRUS INFECTION」の報告があります。翻訳をしたものは、こちら に用意しました。(このページの日本語翻訳については、Elliott R. Jacobson教授より、森リクガメ研究所が許可を得ています)

※これらのページの無断掲載は禁止です



4)症状
感染に飼育者が気がつく症状の推移としては、


1--「クシュ」というような音を感染個体がわりと頻繁に発するようになります。
2--口のまわりが濡れたようになり、よだれが出始めます。
3--少し食が落ちはじめ、元気がなくなります。
4--口を開けてみると、舌に疱疹が見られます。
5--数日で舌の疱疹は、どんどん広がり、舌全体に広がって見えます。食べ物を食べようとしても、痛さですぐに食べるのをやめてしまいます。唾液がダラダラ垂れるようになります。


1の段階では、ちょっとした風邪とか、鼻炎とか、アレルギーとか様々な可能性がありはっきりしないのが難点です。床材が変わったときなどにチョクチョク見られる症状だからです。しかし、これが2日程続くと、すぐに2の段階に進みます。2の段階で、すでに口を開けて中を細かく見ることができれば、小さな疱疹がプツプツと舌の上に出来ているのが分かるはずですが、いわゆるマウスロットとまったく見分けがつかず、ヘルペスウイルスによるものかどうかは、判断できません。
この段階で、適切な処置を行える、獣医師に診ていただくことができれば、助かる可能性があります。しかし、放置した場合、早い場合1日程度で5の段階まで症状が急激にすすみます。ヘルペスウイルスが原因である場合、5の状態になると、助かる可能性はかなり低くなってしまうでしょう。12時間程度で死亡してしまった例もあるのです。
他の感染症と区別する方法の一つは、他の個体への急激な感染です。他の感染症の場合、それまでの各個体の健康状態や抵抗力にかなりの個体差があるので、複数個体いる場合、そのうちの1頭のみにしか症状が見られないのが普通です。しかし、今回の当研究所の例では、大変健康状態がよく、ここ5年以上まったく病気らしい病気もしたことのない他の個体へ次々と感染していきました。
特徴の一つとして、ある同一種に特異的に感染がひろがる傾向が見られる ようです。
T・Trust(トータストラスト)の報告にも、多種飼育のコロニーにおいて、ヘルマンにのみ広がっていった記載がありますし、当研究所においては、ホルスフィールドとギリシャリクガメ(イベラ種)が同一空間で生活していたにもかかわらず、ホルスフィールドにのみ広がって行きました。
1999年ころから、国内においては、ホルスフィールドリクガメに特異的に多く、ヘルペスウイルスが原因と思われる症状が出る例が増えてきているようです。獣医さんのところにつれてこられる個体に、同じような症状の個体が多いとの話をお聞きしました。海外の報告では、Melissa Kaplanの報告の中で、「Horsfieldは、(Lange, et.al. 1989)に流行したウイルス性疾病に弱いことが分かっており、疱疹タイプ有機体の潜在的なキャリアーと見なされるべきことはさらに注目されるべきです。」という記載があります。



5)対処
海外の報告例でもありますように、これらの症状の個体が発見された場合、すぐにその個体を他の個体から隔離するとともに、同一の飼育スペースにいたリクガメは、別の飼育スペースに移す必要があります。
そして、その飼育スペースの消毒が必要です。ヘルペスウイルスが空気中や土の中で、どれほどの期間生き続けることができるのかについては、はっきりしていないため、発病個体がいた飼育スペースは、放置したままにせず、かならず消毒します。
消毒は、消毒用エタノール及び、次亜塩素酸ナトリウムにて行います。消毒用エタノールは、薬局などで76.9〜81.4%の消毒用エタノールが市販されているので、それを利用するとよいでしょう。次亜塩素酸ナトリウムは、いわゆる漂白剤に含まれているので、ハイターなどの漂白剤を利用します。
感染の疑いのあるカメは、緊急で、獣医師に診察してもらって下さい。抗生物質などの投与がすぐに必要になります。



6)治療
はっきりとした治療方法は確立されていません。海外の例では、
1)トータストラストの場合
治療は、Ketoconazole (Nizoral Suspension:Jaansen)を一度に15mg/kg 周期的に5日間経口投与するとともに、Enroflaxin(Baytril:Bayer)を、一日に一回 5mg/kgあるいは10mg/kg 筋肉注射する。
野菜を液化して、チューブにより強制給仕。
まだ自分で食べるカメ達には、手で菜食の強制給仕。
とあるが、けっきょくこの治療では、助からず、あくまで付加抗的な2次感染症を減少させるにとどまった。


2)University of Florida, College of Veterinary Medicineの場合
アシクロビルのような抗ウイルス薬による治療が推奨されてきた。抗生物質は二次感染のコントロールにおいて有用かもしれません。
とあるが、有効性については、あまり触れていない。
抗ウイルス剤については、深くは触れないが、acyclovir(アシクロビル)ぐらいしか実際には存在しない。この薬を作った女性科学者ガートルード・エリオン博士はこの功績により協同研究者のヒッチング博士と共に1988年にノーベル賞を受賞した。ウイルス病は周知のように、種痘を初めとして、現在でも麻疹(ハシカ)や小児麻痺、おたふく風邪 などワクチンでしか予防できず、ウイルス病を治す薬や注射は存在しない、又作られないと考えられていたので、アシクロビルの功績は大きかったわけです。しかし、実際のリクガメの臨床において、処方する量や回数その他、有効性はよくわかっていないのが現状です。副作用も多そうです。


3)当研究所のホルスフィールドの治療の場合
獣医師の先生と様々な話しをさせていただき、対処療法にて試行錯誤の治療を行なっていただいた。血液検査を行なったが、特に大きな異常が認められない。
抗生物質の投与で、舌の疱疹を治療。おそらく舌のみでなく、食道から胃と広がっているであろう疱疹が膿んでくるため、抗生物質はいち早く投与された。抗生物質の投与によって、最初はかなり急激に症状が治まるようだ。二次感染を押さえるために、様々な対処療法にて、腫れ止めや呼吸を楽にできるような処置などの対応をしていただく。唾液の分泌によって、水分が失われることと、自分で食べ物を食べられないため、補液を続けていただく。
症状が出始めの個体については、最初の抗生物質の注射にて、唾液は翌日には一時的に治まったとのことであった。
インターフェロンの投与も試みていただき、結果的に効果が見られたので、有効な治療の一つである可能性が高いが、とても高価なため、そのぶん患者の負担は多くなります.
アシクロビルの利用も検討したが、一部資料もあるにはあるが、適正な分量も不明で、臨床におけるデーターがほとんどないので、副作用などのことも考慮し、使用を控えた。
対処療法を続けると、一週間程度は、病状はやはり進行する傾向がある。個体の体力や抵抗力にもよるが、その一週間程経ったころのドン底状態を乗切れる個体は、その後、徐々に回復する傾向がある。同じ治療は続ける。
回復に向かうことのできた個体は、口の中に広がっていた疱疹は、合体し、一度膿んでから、かさぶたになって、剥離して治まる。口の中が回復してくると、3週間目くらいで、補液のみであったにもかかわらず、排便が見られる。これは、内臓が活性化してきた証拠であり、数日でエサを少量であるが自分で食べるようになる。
エサを食べてくれるようになると、治療の幅が広がるので、完治させられる可能性がぐっと大きくなる。エサにサプリメントとして知られているプロポリスを振りかけて与えることによって、かなり回復を早めることができたと思われる。プロポリスは、実際、人の口内炎などにもよく利くことが知られているので、科学的なメカニズムははっきりしないが、効果は得られる。しばらくは無理をさせずにストレスをかけないように様子をみながら、体力の回復をはかる。エサを食べるようになってから約1カ月ほどで、ほぼ発病前の状態にもどった。


 

7)予防
ヘルペスウイルスに限ったことではないが、安定している飼育環境において、突然ウイルス性疾病が自然発生することは考えにくい。
一般的には、外部から来た(その飼育環境外から来た)個体との接触があった場合の発病が多い。特に、何年もの間他の個体との接触がなく、安定している環境では、外部からの病原体に対する抵抗力が弱くなっていることも要因の一つと思われる。
できるだけ、他の飼育環境にある個体との接触を避けることは、大きな予防の方法となる。また、ペットショップなどで新しい個体を購入した場合などは、以前から飼育している個体といっしょにするまでに、検疫期間を設けることは、予防につながる。3カ月以上が推奨される。
当研究所の今回のケースでは、実際感染経路が特定できていない。10年の間まったく縁のなかったウイルス性疾病が、突然発生したに近い状況である。しいて考えられるとしたら、この3年間程の間にやってきたホルスフィールド3頭の中に(今回その3頭は、発病しなかった)キャリアーとなっている個体がいて、何らかの要因が引きがねとなり、キャリアーでなかった古くからいた個体のみに発病が見られたということである。獣医の先生によれば、ちょうどこの数年で、似た症例が非常に増えたということなので、この数年間に日本に入ってきた個体が、キャリアーとなっていることは、かなり確実であろう。古くから国内で飼育している個体(5年以上前からの飼育個体は特に)に対しては、新しい個体との接触には、特に注意をするべきであろう。
ヘルペスウイルスの場合には、飼育下のほとんどの個体がキャリアーであると考えてよいようだ。特に数の多いホルスフィールドは発病も実際多いといえる。体調を崩した場合に普段は抑えられているウイルスが暴れだし、発病するというのが定説ではあるので、日常の健康管理は、もちろん予防につながる。
もっとも、当研究所のケースでは、他の個体との接触もなく、前日までまったく健康そのもので、よく食べ、よく運動し、よく寝ていた個体に、突然の発病が見られたのであるから、まったく感染経路は現在も不明である。
野鳥や昆虫などからの感染も疑ってみたが、はっきりしていない。Mareks疾病などの可能性を疑ってみたりもしたわけである。
何はともあれ、少しでも、妙な兆候が見られた場合、とにかく早い対応がされれば、それだけ助かる可能性が増える。1日の違いが生死を分けることになるので、日常の観察には細心の注意が必用だということを、再認識させられた。