Michael Schenker Group.


<2006年11月17日: 中野サンプラザ

遂に、遂にこの日がやってきました。え?なんの日かって?
決まってるじゃないですか、通称「神」こと、かのマイケル・シェンカーの御光臨日ですよ。
なにせマイ・フェイバリット・ギタリスト:トップ10の更にその上に唯一神として君臨する、本当に
死ぬほど好きで仕方ないオンリーワンのアーティストですからね、マイケルは。2000年5月以来、約6年
ぶりの来日ツアーを「MSG」として行うとのニュースを聞いた今年の4月以来、待ちに待ちかねていた
この日が遂にやってきたわけですからね、そらもう仕事は半分どころか完全に上の空、終業ベルと同時に
ダッシュで会社を飛び出して、中野サンプラザへ一直線ですよ。

だけど、業界一のメンヘル君として知られる彼のことですからね。
日程変更とか時間に大幅遅れとか、そういったレベルを軽々と飛び越えて、そもそもライブやってくれる
のかな?という、至極基本的、かつ当然行われてしかるべきことを、かなり高い確率で投げっぱなしちゃう
という界隈随一の気まぐれ屋さんですからね。

参考までに、過去から現在に至るまでの「やっちゃった」所業を、以下にざっと羅列してみました。
(ネット上やライナーから拾ってきた情報なので、話半分で見てください)

・1975年、UFOで「Lights Out」をリリース直後、謎の失踪を遂げる。
 もう1人のギタリストとしてポール・チャップマンが加入したことが、当時のマイケルの精神状態
 になんらかの悪影響を与えたのではないかと言われている。
 以降、バンド側がマイケルに気を使うあまり、ライブではアンコール以降でしか登場できないなど、
 大変ぞんざんな扱いを受けた末、ポールは至極あっさりクビになる。

・1978年、「Obsession」リリース後の全米ツアー後、再び謎の失踪を遂げ、いよいよUFOを
 クビになる。なお、このツアーの様子が収録されたライブアルバム「Stranger In The Night」に
 おけるマイケルの神がかったプレイは巷で大評判となり、この一件でマイケルは「精神状態が
 不安定であればあるほど奇跡のようなプレイをみせるギタリスト」として更に名を馳せることになる。
 (なお、失踪したマイケルの穴埋めとして呼ばれたのは、前述したポール・チャップマン)

・失意のままドイツに戻ったマイケルは実兄ルドルフ率いるスコーピオンズに参加し「Love Drive」
 で数曲プレイするも、そののち神経性過労症(属にいうメンタル)でダウンし、結局脱退となる。

・アル中のリハビリを受けた後、自らのソロ・プロジェクト「MSG」を立ち上げて、1980年に
 ファースト「The Michael Schenker Group」をリリース。続けて1981年、凄腕職人コージ・パウエル
 を迎えてのセカンド「MSG」をリリース。セールス、ツアーともに好調を博し、誰もがさあこれからだ
 と思っていたその矢先、豪放な性格のコージーが、リハを執拗に繰り返すマイケルのナーバスな
 所業に愛想を尽かしてバンドを出て行ってしまう。

 
歌が下手すぎるという身も蓋もない理由でクビになった初代Vo:ゲイリー・バーデンの代わりに
 バンドに入ってきたグラハム・ボネット君。コージーと一緒にプレイすることを期待していた筈が
 上述の一件でものの見事に肩透かしを食らわされる形となり、それにムカついてたわけではなかろうが、
 MSGとしての初ギグでいきなり下半身露出という奇行を起こして、当然のごとくそのままクビに。
 後日グラハム自身が語ったその理由を、Burrn風にセリフ起こししたものが以下。

 「ギグまでに時間がなくてさ、そもそも歌詞を覚えてなかったんだ。だからステージ下にカンペ
  貼っといたら観客がわっと押し寄せてきて紙がビリビリになっちまったもんで、パニックに
  なっちゃってさ。で、ふとズボンみたらチャックが全開になって、俺の大事なアレがなんと
  外気に晒されているじゃないか! 慌ててチャック閉めたらもろに挟んじまったって寸法さ。
  つまり、あの時の俺にはステージから裸足で逃げ出す以外の選択肢が残されていなかったと
  いうわけなんだよ」

 全然、言い訳になってないところが実にグラハムらしい。

・加入後、即クビになったグラハムの代役として一度クビにしたゲイリーを呼び戻しバンド活動を
 続行するも、1983年「Built To Destroy」ツアー中、ゲイリーともめて、再び彼をクビに。
 当事者のゲイリーいわく「突然、『お前はスーパースター気取りだ』みたいなことを言われて
 ケンカになったんだ。俺は自分からプラグを抜いて翌日にはもう飛行機にのっていたね」だそうで。

・1983年、日本武道館公演において、最前列の客に何らかの理由で腹を立て、
 ステージ上でその客に対し、「ジャップ、金をやるから出て行け」と罵声を浴びせる。
 また横浜公演においては、ファンがプレゼントするつもりで投げたライターがマイケルのおでこに
 当たる
という不幸極まりないアクシデントが勃発し、それにキレたマイケルはステージから降りてしまう。
 一説によるとこのときマイケルは舞台裏で「DOCTOR!DOCTOR!」と叫んでいたそうで。
 (誰かその後に「PLEASE!!」を付けて歌ってあげればよかったのに)
 更に余談になるが、この公演以降、ステージ裏にはマイケル専用のヘルメットが準備されたという。

・1984年、日本初のメタル専フェス「SUPERROCK」に出場する為、再来日。
 このとき、ゲイリーの代わりにステージに立ったのは、本来ならポップ畑出身の筈のレイ・ケネディ。
 そのあまりの酷さでもって後世にその名を刻むほどの無惨極まるパフォーマンスを披露して、
 マイケルを失意のどん底へと追いやってしまう。
 尚、このときの様子を、後日ビデオでみたゲイリーバーデンのコメントが以下。
 「おいおい、一体どうなってるんだ?って思ったよ。彼はネイティブアメリカンのナヴァホ族
  みたいな格好
をしていた。酷かった、気の毒だった、信じられなかった、完全に浮いていた」
  
・1994年、UFOに電撃復帰し「Walk On Water」をリリースするも、それに伴うアメリカツアー中、
 またもやというべきか、やはりというべきか、看板Vo:フィル・モグとそりが合わず、いくつかの公演
 を放棄しての脱退となる。ちなみにその時のお言葉は、「僕は辞める、また一緒に何かやれるぐらい
 大人になったら
電話をくれ。やれるようだったらまた一緒にやろう」だったそうだ。

・1998年、「MSG」として再出発していた筈が、三度目のUFO復帰を果たして来日公演。
 4月26日の東京公演初日、中野サンプラザにおいて、7曲目を演奏したところで「もうこれ以上弾けない。
 残念だ」という意味不明のMCを突如始めたかと思いきや、次の瞬間トレードマークのフライングVを
 ステージ上に思いきり叩きつけてそのまま退出。この一件は伝説のドタキャン事件として今もなお
 HR・HM界隈に語り継がれている。
 後日、本人が語ったところによると「あの時は病気だった」「あの後、ポール・レイモンド(当時の
 UFOギタリスト)に指を折られた」「それで翌日のショーもキャンセルしなければならなくなった」
 とまあ色々あったそうだが、どのコメントもいまいち信憑性に欠ける上、本人自体が「あの時」じゃなくて
 「今も」、もっと正しく言うなら「ずっと前から」ご病気なので、話半分で聞いとくが吉。

・当然のごとく招聘先のUDOはお怒りだったようで、賠償金1800万円を支払わなければもう二度と
 プロモートしない、という内容の最後通告をマイケルに叩きつけた模様。

・この事件から1年後にMSGとして出したアルバムのタイトルがよりにもよって「The Unforgiven」。
 (邦訳すると「許されざるもの」) おま、全然こりてねーだろ。

・1998年、ギター和尚ことジョー・サトリアーニ、ギター仙人ことウリ・ロートと欧州G3ツアー。
 が、とある公演において客がビデオ撮影していたのがお気に召さなかったらしく、最後のジャムセッション
 をいきなり放棄したとのこと。後日ジョーはインタビューにおいて「マイケルとのG3ツアーは本当に
 大変だった。もう二度と彼とはやりたくない」と答えている。

・2000年11月、UFOのギタリストとして出演したイギリスのマンチェスター公演において、
 酩酊状態でステージに上がって、ギターソロのきっかけを何度も外す、ソロがほとんど弾けてない等
 のお粗末なプレイを披露した上、Voのフィルに
子供じみた嫌がらせを繰り返す、顔面の黒アザ跡に
 「Spike did this」(スパイクのせいだ)と
マジックでペインティング(前日、元クワイヤボーイズの
 スパイクに目の辺りを頭突きされたらしい)するという、普通の精神状態ではちょっと考えられない
 ような奇行をさんざ行った末、オーディエンスからの「このろくでなし野郎!」というブーイングに
 対して「お前らも俺もクソ野郎だ!」と返し、最後に「ブーイングありがとう」とマイクでがなりたてて
 帰っていったという。後日「自分が愚かだった」「キャリアの中でも最悪のライブ」「今は反省している
 などのコメントを出してお茶をにごしたそう。

・2001年12月に行われる予定だった日本公演をキャンセル。自分以外の全員をクビにしてしまった
 ことによりバンド活動が根本的にできなくなったことが原因だったらしいが、アル中が酷くなったせい
 とも言われている。

・2001年、アメリカツアーの途中で例の病気になり、バロアルト公演では1曲目"Into the Arena"
 のソロがほとんど弾けないことにキレてそのままステージを降りてしまったそう。もちろんツアー残り
 の公演も全てキャンセルに。

・2002年、MSGとして「Be Aware Of Scorpions」を発表して、それに伴うツアーを行うも、
 ツアー中にその時のVo:クリス・ローガンが、ベースのレヴと殴り合いのケンカをして脱退。
 マイケルいわく「寝ていてね、俺はなにが起こったのかさっぱり理解できなかった」そうで。

・2002年、数々のツアーキャンセル料や、元嫁さんに家財道具一式を持ち逃げされたりしたせいで、
 ほぼ無一文になってしまったマイケル、貧困状態に困り果て、遂には商売道具のフライングVを売り払って
 しまう。(250万程で売れたらしい)

・2002年、カリフォルニアでライブ中、何らかの問題に対していつものごとく切れたら、クルー全員
 に襲われて金を奪われた末、ブタ箱に放り込まれた
そう。マイケル自身は「サウンドエンジニアが
 始めに喧嘩しはじめた」と釈明。

・2003年、ニューヨークにてライブ中、酔っ払いにビール瓶を投げつけられ、頭のてっぺんから
 足のつま先まで濡れネズミになってしまったことにキレて、ライブを打ち切る。まあこりゃ当たり前か。

・2003年、フェニックスで配られる無料の週間新聞「New Times」紙に、マイケルが1時間200ドル
 でギターレッスンをするとの広告がでていたそう。後日、本人が語ったところによると、実際に生徒募集
 はしたそうだがレッスンは結局やらなかった、とのこと。

・2004年6月、韓国ツアーをキャンセル。
 プロモーター側に問題があったそうだが、同時にマイケル重病説や悪徳マネージャーにいいようにされて
 いる説なども飛び交う。この時期は周辺に様々な問題を抱えていたもよう。

・2005年、イングウェイとのダブルヘッドライナー・ツアーをキャンセル。
 本人いわく「ダブルヘッドライナーではなかった」「人に嘘をつかれたり、操られるのはスキじゃない」
 だそうで。実際このツアープランには色々と問題があったようで兄貴のルドルフ(スコーピオンズ)も、
 「やめといたほうがいいんじゃない?」とアドバイスしたらしい。
 また、この件に関してファンから来た抗議メールに対し、「ファック!俺がカーペットにでも見えるのか?
 まず最初に自分自身でよく考えてから話しろ、とっとと俺の前から失せやがれ!」とサイト上で返事した
 とのこと。

・同年、アメリカ・ツアーもキャンセル。
 本人いわく、「離婚のことで妻に脅かされていた。彼女は最初は事を簡単に済ませようとしていた、
 だがもう1人の別の女が絡んで、ことは更に複雑になっちまったんだ。それがあまりに酷い話だったんで、
 俺はアメリカに行くのが怖くなっちまった。パスポートがなくなる、監獄行きだ、みたいなことをさんざ
 言われてね。そこで俺はエージェントに「この二人の女に俺を放っておいてくれと伝えてくれないか」と
 頼んだ。俺はアメリカでその二人の女のために五万ドルも使ったよ、離婚と養育費変更のためにね、
 ところが一年たった今も俺は相変わらず結婚していて、養育費も変わらない額を払ってる。弁護士に
 五万ドルも払ったのにだよ!これって笑える話じゃないだろ」とのこと。

 また、別の理由として、雇われメンバーである他の3人との金銭的問題もあったらしい。
 ベースのレヴは「俺たちは週単位で契約していたが、約束通りの金が支払われなくなってきた。
 マイケル自身の問題によるキャンセルが何回かあったこともあって、どうやら予算が尽きてきたらしい。
 だから俺は約束の金がもらえないようならバンドを辞めると言ったんだ。そして辞めることになった。
 その二日後にはヤニも辞めた。俺が一番初めに辞めたんで非難は俺に集中したようだけどね」とコメント。

・2005年12月、自サイトにいきなり仕事関係や離婚、借金関連のメールを公開し始めたかと思いきや、
 今度はアクセプトのウルフ・ホフマンやウリ・ジョン・ロートとともに行う筈だったドイツ版G3ツアーを
 キャンセル。

・2006年9月、自身のサイトにいきなり現Vo:ヤリ・ティウラとのメールのやり取りをアップ
 しだして、本人自身から「僕からの私的な手紙をwebに載せないでもらえないか?」とやんわり注意
 される。内容は上述の金銭的問題に関することらしい。詳細は
ここここ、参照

・2006年同月
 オフィシャルページのMSGロゴが逆になって表示されるようになる。


ね?コレモンの人なんですよ? そら不安にならない方がおかしいってもんですよ。
だーから、会場着いても、開幕のベルが鳴っても、その御姿が実際にステージ上に現れるまではずっと
ドキドキもんでしたよ。(違う意味で大興奮)
それだけ心配させられた分、実際にマイケルがステージに出てきて、トレードマークのVをギュンギュン
いわせ始めたときの気分ったら、そらもう、喜びもひとしおといった感がありましたね。

が、神の姿を拝謁賜ることが出来た感動はここまで。
OPナンバー"Assult Attack"後半ソロ部分のアルペジオにて、音外しまくりに加え、指もまるでついて
いけてないという、神どころかプロを名乗るにしてはあまりに度を越えすぎた恐るべきド下手っぷりを
耳の当たりにさせられまず度肝を抜かれたのを皮切りに、MSG持ち曲の中ではかなり簡単な部類に入ると
思われる"Ready To Rock"のごく短いソロパートでも壊滅的に駄目駄目なプレイを晒してしまう始末。
でもって曲が終わった途端、舞台袖に引っ込んでしまってショーは中断という駄目押しまで付く顛末。

そんな悲惨極まる出来だったマイケルと比べて、本来ならサブキャラな筈の他メンバーが、かなり高い
レベルのパフォーマンスを披露してくれていたというのも、これまた随分と皮肉な話だと思いましたが、
その中でも、X-MENに出てくるウルヴァリンを二倍太らせたようなヒグマ面で終始パワーみなぎるストローク
を見せてくれていたドラムの人(元BLACK N' BLUEのメンバーらしい)と、あたかもラーメンマンのごとき
その麗しき弁髪をタケコプターよろしくものすごい勢いで振り回し、かつ自分自身も尻尾に火を点けられた
ペルシャ猫ばりの勢いで猛回転しながらテクニカルなフレーズを弾きこなしてた通称レヴことレヴェレンド・
ジョーンズの両名の活躍は、嬉しい誤算でしたね。

で、肝心の神はどうなったかというと、3分程の中断後に元気よく再登場してくれたまでは良かったものの、
UFO時代の名曲"Let It Roll"のソロパートにさしかかって何フレーズか爪弾いた直後、愛機のディーンVを
床に放り出して、そのまま退出。
そして後に残されたるは呆け面の観客達と、ギターソロなしで懸命に演奏を続ける他メンバー達。
「神」と称されるきっかけの一つになったあの至高のソロパート部分の裏で、ピロピロと間抜けに鳴り響く
乾ききったキーボード音が、ただただ場内に失笑を誘うという地獄のような光景が展開されることに。

そして曲終了後、再中断。神が戻ってくることは二度となく、僕は真後ろに座っていた外人のキレっぷりに
さんざキョドらされた挙句、そのやけくそ気味の拍手にシンバル持たされたチンパンジーのおもちゃばりの
勢いで迎合させていただくことになるのでした。ほらパチパチパチパチー!

えーと、セットリストはと…

 01:Assault Attack
 02:Ready To Rock
 03:Let It Roll

さ、寂しー
ちなみに、その後に続く予定だった筈のセットリストが以下。

 04:Dust To Dust
 05:Love Trade
 06:Shadow Lady
 07:Lights Out
 08:Into The Arena
 09:But I Want More
 10:Too Hot To Handle
 11:On And On
 12:Only You Can Rock Me
 13:Armed & Ready
 14:Attack Of The Mad Axeman
 15:Arachnophobiac
 16:Doctor Doctor
 17:Rock Bottom


その夜、某巨大掲示板は当然のごとく祭りになったといいます。

 ・神ブチキレて中断…
 ・外人が発狂して雄叫んでる
 ・そして終了
 ・神キレて帰りました
 ・またかよ神…
 ・中止だとさ。ひどいねえ、まったく。 2曲だけ聴いて帰れって言われてもね。
 ・札幌も中止で帰国だな、こりゃ
 ・こんな形で伝説を体験しようとは…
 ・この体験はプライスレス(TT)
 ・マイケルが悪いのではない。中野サンプラザが悪いのだ
 ・またやっちまったとなると さすがに今後呼んでくれるプロモーターもないかもしれんね。
 ・俺の周りから出た第一声、「やりやがった!」
 ・みんなある程度は、覚悟してた感じ
 ・最初のソロなんて、ぐちゃぐちゃだったから、自分のプレイにむかついたのか。
 ・荒れてる人もいたけど、客の大半はなんだか半笑い。 おれも思わず半笑い。
 ・なかなか出てこないマイケルを手拍子と掛け声で引っ張り出そうとする客の中で、
  小学校の時、登校拒否のクラスメイトを集団で誘いに行った思い出にふけってしまった。
 ・神から中野サンプラザでキャンセルくらったのは、これで2度目。 ホントに鬼門だ。
 ・また中野サンプラザでご乱心か
 ・Assault Attackのソロ酷かった。 2曲目はさらに酷かった。 3曲目はソロまでいなかった…
 ・ぶちきれてる金髪おばさん二人組がいたがw主催者は悪くねーーだろうよ
 ・当日券を1時間並んで買った。寒かった
 ・なけなしの金をはたいて、交通費も使って・・・・。
 ・異様に下手だった。最近の高校生の方が上手い
 ・まさにドクタードクター、プリ〜ズ  って状態だなw
 ・俺の有休返せ!
 ・一曲目のソロでドン引きしたよ〜。「エッ!?」って空気あった。
 ・「本人の体調不良のため、しばらくお待ち下さい」のアナウンスだけで、 おとなしく待っている、
  ホールいっぱいのお客さんを見て思った。 「おまえらって、イイやつだよな」
 ・明日参戦するんですが・・・ 不安で眠れません
 ・今日の様なグダグダな演奏される位なら、中止でよし!と思った。
 ・Live中断終了後、ZAK関係者らしき人がステージ上で陳謝してる時に「おめー誰だ!名を名乗れ!」
  とかキレてたやつ、列車事故の時に駅員に詰め寄るヤツみたいで恥ずかしかった…W
 ・「おめー誰だ!名を名乗れ!」 なんか孫悟空みたいw
 ・すげーwwww  違った意味で祭りになってますやんw
 ・でも本当、日本人は寛大だよ。
 ・7500円で伝説の神を見れたんだ、安いもんさ・・・
 ・神 → 祟り神
 ・私的にはこのまま伝説化して引退して欲しいとも思ふ(哀)


当然、翌日行われる予定の札幌公演を目当てにしている方々はドキドキもん。
実際に行われる直前まで、以下のような状態に。

 ・明日の札幌はどうなるのでしょうね。
 ・札幌参戦。 いろいろな意味で楽しみ
 ・蝦夷在住ですが札幌住みじゃないので今から出発します。中止ならススキノ風俗はしごします
 ・マイケルが国内線ではなく国際線に乗ったとの情報が…
 ・リハーサルやってる模様だす。もう少しだ〜。
 ・本日は何曲演奏するでしょう?
  1)ゼロ曲
  2)1〜9曲
  3)10曲以上 
 ・1)に2ペリカ
 ・だらだらと2
 ・「マーティーが何時でも出れるようにスタンばってる」に5ガバス。
 ・開場時間は過ぎたみたいだけど普通に入場できたのかな現地組は。
 ・便りが無いのは良い知らせ?
 ・応答せよ
 ・いつ終わるかわからない緊張感のあるライブ。
 ・がんがれ、サポーロー
 ・札幌組からの第一報が入るまで何だかドキドキするな。 合否判定を待つ気分だ(笑)


えー、プレイ自体は相当微妙だったものの、とりあえず札幌公園は最後までちゃんと行われた模様です。
(良かったですね)

僕自身の所感としては、彼がこういう人だと分かっていてチケットを購入した部分も多々あるので、
今回の件には全然腹を立てていません。むしろあのまま続けられてズタボロのプレイを聞かされるよかは
よっぽどマシだったんじゃないかと本気で思っています。まあ、正直自分でも寛容すぎるとは思いますが、
メロディメイカーとしてのずば抜けたセンス、安定感はまるで期待できないものの時としてそのプレイに
「神」を宿らせることもある技術力はもちろんのこと、その才能とは裏腹に周囲とうまく折り合いを
つけることが出来ない人間的不器用さ及び脆弱な精神面をも含めて、要するに良いとこ悪いとこ全て
ひっくるめての人間「マイケル・シェンカー」が大好きなもんで、これはもう仕方ないかなーって。

2月に再公演があるとの噂があるので、今はそれに期待したいと思います。


<その後のマイコー君プチ情報>
・日本公演の惨状に対して、ベースのレヴが自分のサイトにお詫びの文面を出した模様。
 「俺にメールをくれた全ての人、そして日本とタイにいる全てのファンに対して、ここ3回のライブの
 ステージ上で俺の隣にいた無能なギタリストについてお詫びしたいと思う。俺自身、シェンカーが
 あのようにひどい演奏をしたことが信じられない。俺と他のメンバーは110%の力を出したのに、彼は
 1%も力を出していなかった。それはバンドとクルーにとってのみならず、忠実なMSGにファンにとって
 大変失礼な行為だと思う。改めて彼のとった行動についてお詫びする。彼が自分で謝ることはないだろうから。
 残りあと2公演、それでおしまいだ」

・日本公演直後のタイ公演においても、プレイは無惨極まる内容だったとのこと。
 またタイの観客が礼儀正しく座って聞いてことに対してカチンときたか、曲の途中でステージ脇
 に引っ込み、その後マイクで 「これ以上座って見てるなら俺はステージから降りる!」と発言。
 マイケル側にいた観客が慌てて立ったおかげで、ライブは最後まで行われた模様。

・11月25日の台湾公演(アジアツアー最終公演)キャンセルになったとのこと。
 マイケルはそのまま失踪したとの噂


…うーん。2月再公演、無理かもねー


<今日の一枚>

 THANK YOU 2 / Michael Schenker

02年発表のアコースティク・インストゥルメンタル・アルバム。
マイケル特有の力強くも繊細なタッチ、そしてこれまた彼らしい哀愁メロが存分に堪能できる一枚。
他の企画系アコス・アルバムとは一線を画す、飛びぬけた出来かと思われ。本当に心癒されますこれ。
彼がプッツンしちゃったこの状況下においては殊更にそう感じたり。


<今日の駄目T>



#フロントのフライングVを眺める度にちょっと切なくなるという、
 ある意味、もっとも思いで深いメタルTになってしまいました。



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