混沌の廃墟にて -262-

電車の中から発言してみるテスト

1996-12-14 (最終更新: 1997-12-14)

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 変なタイトルだが、この発言を電車の中からD201 HYPERを使って行ったことに 由来しているのである。電車の中からデータ通信という話があったので、本当に できるのか、というのを確かめてみているのだ。車内は前後横とも誰も座ってい ない状態なので、こっそりテストするには絶好の状態である。

 携帯電話を選択する時の基準について、以前の「廃墟にて」で紹介したが、も う少し詳しく書いておこう。

 最終的に選択肢として残ったのば、デジタル・ムーバP201 HYPERと、D201 HYPER という2機種である。店員の説明通り、大雑把にいえば殆ど差はない。

 ちなみに、この2機種と同じに発売されているモデルがあと3つあって、N202、 F201、N201である。これら3機種が選択肢から外れたのは、まず、重いからだ。今 書いた5機種は、ちょうど重さの順になっていて、97g、120g、135g、155g、165g である。120gと135gはあまり違わないのだが、N201とN202は、折畳みタイプのデ ザインである。個人的には、このような可動部があるものは故障の原因になりそ うな気がするのであまり使いたくない。しかし、世間では割と人気があるそうで ある。

 そこで、2つの機種が残ったわけだ。あえて差を考えると、次のような所が違う。

 まず、D201は蓋が付いていて、かつ日常生活防水であること。P201はボタンの 上に蓋がない。ポケットに入れて歩くと間違って押してしまうかと思うかもしれ ないが、実際はロック機能があるので、誤動作は殆どないと思う。心配なのはそ ういう失敗ではなく、うっかりコーヒーを飲ませてしまうとか、そちらの類の問 題なのだ。過去にキーボードにいろいろ飲ませるという経験から考えても、電話 に何か飲ませてしまう可能性はある。この時に、少しでも安全性が高い方がよい。 この観点からはD201が有利である。

 しかし、P201はD201に比べて23g軽い。これは大きなポイントである。たかが23g と思われるかもしれないが、常時身に付けていないとあまり意味がない携帯電話 としては、これは結構大きな差なのである。実際に手で持ってみると分かるが、 少し違うな、という感覚が実際にあるものだ。もちろん気のせいかもしれないの だが。

 いずれも充電式バッテリーを使うわけだが、持続時間はどうか。P201、D201の 順に紹介すると次の通り。

P201D201
連続待受時間170時間200時間
連続通話時間110分90分
充電時間90分80分

 面白いことに、D201の方が待受時間が長いのに、通話時間が短い。どういうこ とだろうか。D201の方が、待受時の節電機能が優れているのか、はたまたP201の 方が通話時の電力が少ないのか。この比較は、軽いP201の方が不利になるはずな のだが、それにしては健闘していると考えてよい。

 連続90分といっても、実際に90分も連続して使うことは通話料を考えるとまず なさそうだから、十分な長さだと思う。というわけで、結局フタが付いていると いうのがどうしてもポイントが高いということで、D201を選択することに決定し たわけだ。


 ただ、実際に使ってみると、うまいタイミングで電池切れになっていて…とい うことがある。電池レベルは3段階表示なのだが、ずっとレベル3の表示で、ある 日いきなり切れてしまうのである。デジタルだからだとコメントした人がいたが、 まさに絶妙である。1週間使っていると、6日はレベル3、次の1日の間にレベル2 になっていて、帰宅するまでの間に放電、という感じである。すると、受け損ねる 時間が出来てしまうのである。

 予備の電池があれば安心なのだが、充電バッテリーは6,000円。結構高い。電池 ホルダーなら3,000円。万一という時だけ補助バッテリーとして使えれば問題ない のだから、電池ホルダーというのは名案かもしれない。と思ってドコモショップ に買いに行ったら置いてない。注文して2週間位かかるというのである。これもあ まり一般には人気がないのだろう。(*1)

 普段から充電器に突っ込んでおけばそう簡単に放電しないのかもしれないが、 DynaBookを使いはじめてからの経験で、どうもバッテリーは完全放電するまで充 電する気にならないのである。

 一つだけ使い勝手について書いておきたいのだが、思ったより小さいと、話を する時にどうも落ち着かないのである。公衆電話だと、口の所にマイクが位置す るのだが、この大きさの携帯電話は、耳にスピーカーを当てると、口とマイクと が、かなり離れるのだ。慣れれば何でもないのかもしれないが。


 一般に、ネットの発言等は善意に解釈しろという言い伝えがある。表現という のは割といろんな解釈が可能なもので、悪意に解釈して勝手に腹を立てるという のは損だ。

 ただし、フォーラムスタッフの場合はそれではいけない。内容を悪意に解釈し て、なおかつ冷静でいられること、論理的に反駁する能力があること。これがま ず必須である。さらに、複数の解釈を行って、どちらが本意に近い可能性に高い のかを考える位は基本だ。

 ところで、最近、Usenet Boyを名乗る人物(だと思う)が、fjを賑わしている。 実際に確かめたわけではないので、うかつに突っ込むと大怪我するかもしれない が。とりあえず、他の投稿も総合すると、高校生程度の年代の日本人の留学生、 という噂である。この人の主張があまりにボロボロなので、付く投稿がどれもこ れも反論ばかりでさながら大空襲に仁王立ちといった状態で、ぱっと見た感じで は個人攻撃である。

 もちろん、実はこれは個人攻撃というよりも、その人の主張への論理的な反駁 に過ぎないのだ。ただ、Usenet Boy氏の場合、知識があやふやだとか間違ってい るだけならまだしも、それに加えて論理展開が飛んでいるため、誰が見ても同意 できないというか誰でも反論できるというか、そういうことを立て続けに投稿す るので、結局個人攻撃のように見えるのである。しかも、論理展開に無茶がある ので、反駁に対して効果的な反論ができず、逃げているようにしか見えないのも 不利のようだ。

 例えば、近いうちに大地震がある、という投稿をしている(実際の投稿は詳しく 日時が切ってあるが、あえて略する)。これは本人が調査して予言したわけではな く(専門の地震研究家なら現在の科学をもってしてもそのような期間を指定した予 告は不可能であると言うだろう)、他の情報を勝手に広めているような感じなのだ が、本人はどうも大スクープを知ったと思ったらしく、本気になっている。とこ ろで、どういうデータとか根拠なのだという点については一切表に出さない。 「調査によれば」という程度の根拠である。これでは、いわゆるトンデモ情報の 類と変わらない。

 ところが、これに対して、Usenet Boy氏の言うことももっともではないか、と いうような感じの投稿が現れた。妙な人もいるのだなと思っていたのだが、文体 とか言葉遣いがどうもUsenet Boy氏に似ている。しかも、pathを見ると殆ど同一 の所から投稿しているのが気になる。

 そのうち、Usenet Boy氏は風邪を引いたといってクリスマスまで(随分長い風邪 だな)投稿できないと宣言した。すると、また一人、Usenet Boy氏を支持する投稿 者が現れた。この人はAnonymous、つまり匿名投稿である。これがまた文体酷似で しかもpathがまたもや共通である。

 これにはもう本気で何とかした方がいいと考えた人もいて、実際に行動を起こ すという話も提案されていて、また、同一人物で一人二役ではないのかと糾弾す る人も出てきて、最近にない盛り上がりである。

 一人二役かどうかはとりあえず保留するにして、一般論として考えてみると、 一人二役までして自分の投稿を支持する投稿を出したいというのが、そもそも実 に子供っぽい行動だ。だいいち、元の投稿が知識がいいかげんかつ論理が飛んで いるというのものだから、それを支持するような投稿をいくらした所で同様に叩か れまくり状態になるのは目に見えている。

 ところで、一般論を考えるのであれば、もう一つ興味ある問題がある。変な投 稿がたくさんあると仮定しよう。読者がその数をもって、変でないのだと錯覚す ることがあるだろうか? あるかもしれない。例えば、「はだかの王様」の状態で ある。しかし、はだかの王様状態というのは、「そのような変なことがあるわけ がない」という先入観をもって初めて成立するのだし、しかも、子供が一人「服 を来てないよ」と指摘すれば完全崩壊するというまさに薄氷を踏む状態なのだ。

 もちろん、ぱっと見て変かどうか分からないような場合には、数が多いとだま されてしまうかもしれない。とりあえず支持する人が多いならそちらに付いてみ るというのは、うまい選択になることが多いのである。

 仮に自作自演で応援の投稿を書いたとしても、まあ子供のやることだと思えば 可愛いものではあるが…もちろん、そんな事で済む問題ではない、という主張は、 もっともである。特に、英文で誤った情報をfjから流されたりすると、日本語を 読めない読者が大誤解するおそれがあるというあたりが恐い。それに「年齢など 関係ない」というのがネットの法則である。子供だからといって大目に見るとい う風潮はよくないのかもしれない。

 ネットにはかつて伝説があった。大学教授と子供が対等に議論したというアレ である。身分、地位、年齢を越えてコミュニケーションできる場として、ネット というメディアは確かにそれを成立させる要素を持っている。

 ただ、この伝説は、子供が大学教授に張り合うレベルで会話したというのがミ ソなのだと思うわけだが、最近のfjを見ていると、どうも大学教授が子供レベル で議論するというケースに近い印象を感じることが多い(失礼)。japanというニュー スグループもできたし、fjというアカデミックな砦においては、個人的には、も っと崇高な議論を期待している。低級な投稿は、何もむきになって突っ込まなく ても誰も本気にしないはずだ。読者の判断力をもっと信用してよいのではないか。 変な主張はサクッと否定するに留めておいて、他にパワーを使うというのがお 洒落なネットスタイルだと思う。


 ところで、これらの議論は、もしかするとUsenet Boy氏が指摘した期日で実際 に大地震が起きた場合に限り、さらに根本的なレベルで錯綜する可能性がある。 そのような時にアウトドアからアクセスできるように、やはり電池ホルダーと乾 電池を用意しておいた方がよいかもしれない。


補足

(*1) なんとか入手できた。単4の電池4本を入れて使う。


        COMPUTING AT CHAOS RUINS -262-
        1996-12-14, NIFTY-Serve FPROG mes(6)-182
        FPROG SYSOP / SDI00344   フィンローダ
        (C) Phinloda 1996